*BL小説* 全作品R18です。 閲覧は自己責任でお願いいたします。
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和希自身は大内とも和泉とも、さほど面識がない。しかしそれを全く気にも留めていない優希に引っ張られて、大内と和泉の家まで辿り着く。和希の手には差し入れのワインと、オードブルに使えそうな材料がぶら下がっていた。手ぶらで身軽な優希とは正反対だ。
「ここみたい。」
高級住宅街に入る手前に建つ、低いマンションの一室が彼らの家らしい。優希も訪ねるのは初めてのようだった。教えられた番号を呼び出すと、先日レストランで聞いた和泉の声が返ってくる。促されるままに上がりこんだ先は、非常にモダンなインテリアに囲まれた彼らの住まいだった。
「お邪魔します。」
「どうぞ。」
出迎えてくれた和泉が不敵に笑う。主にその笑顔は自分へと向けられていて、何となく嫌な予感がする。尻込みしかかった和希とは反対に、優希が嬉しそうに和泉の元へと寄っていく。和希は優希の姿を尻目に、大内の姿を探しにキッチンへと入った。
「先輩。この間はどうも。」
「いらっしゃい。こちらこそ、休みの日に悪いね。」
「楽しみでしたよ。こういうの、初めてで。」
キッチンには所狭しと料理が並んでいる。どれも手が込んでいるように見えて、素人にしてはレベルが高い。
「台所、空いたら借りても良いですか? 一品だけですけど。」
穏やかな笑みで迎えてくれた大内の様子に、和希もようやく落ち着いて肩の力を抜く。
「君の手料理食べられるの、楽しみにしてたんだよね。優希が会うたびに自慢してくるから。」
優希のことだから、全く何の遠慮もなく自慢していそうだ。容易にその姿が想像できて、若干居た堪れなくなる。
「お口に合えば良いんですけど。みんな、酒がイケる口みたいだから、つまみになるものにします。」
「達也さんも飲兵衛だから、喜ぶ。」
自分たちの教師だった人を親しげに呼ぶ大内が、なんだか不思議だ。ちょっと掘り下げてその関係を暴きたくなるものの、酒が本格的に入ってからにしようと思い直した。
「この辺のやつ、もう出来上がってるから、運んでもらっちゃっても良い? 達也さん飲み始めちゃってるし、優希もなんだか話し込んでるし、あの二人待ってると時間ばっかり喰いそうだから。」
オーバーに肩を竦めた大内と笑い合い、和希は早速テーブルへと料理を運び始めた。
優希とは向かい合わせになり、和泉の隣りに着席する。そして並べられた料理に目を輝かせている優希を見つめた。この嬉しそうな顔を見てしまうと、自分のことをそっちのけで和泉と話し込んでいた事も水に流せる。勝ち負けで語るものでもないが、やはり振り回される方が負けなのだ。
「美味しそう。」
身を乗り出して覗き込む優希の顔は見ていて飽きない。自分の色眼鏡かと思ったけれど、和泉と大内がその様子を微笑ましい顔で見ている。あながち自分の感覚はズレていないだろう。
「盛り付け、和希に手直ししてもらったんだ。やっぱプロって違うよね。同じ料理でも見栄えが違う。」
「和希、凄いでしょ?」
和希が遠慮を口にする前に、優希が嬉々として応える。予想通りの展開だったのか、大内が笑いながらも肯定する。
「おまえ、変わってないね。身内ネタくらい遠慮しろよ。」
「和希大好き人間だから、一生治らないよ。」
学生の頃から交流の深かった大内はともかく、和泉までもが当時の様子をしっかり熟知していそうな気配に和希は首を捻る。そして同時に掌には冷や汗が滲んできた。
「先生、当時から俺たちの事ご存知だったんですか?」
恐る恐る尋ねると、返ってきたのは否定の言葉だったが、続く言葉に苦笑いせざるを得ない。
「相手が誰だかはっきり聞いてたわけじゃないけどさ。こいつが高校生の時、愚痴なんだか惚気なんだかわからない話を延々と聞かされたしね。別れたくないだの、捨てられそうだの散々泣いて。いっぺん、そいつの顔拝んでみてぇと思ってたけど、今目の前にいんだもんよ。笑っとくしかねぇだろ。」
「ご迷惑、おかけしました・・・」
心底可笑しそうに笑う和泉の視線が痛くて、和希はつい謝罪の言葉が口に出る。玄関先での不敵な笑みは、そういう意味だったのかもしれない。
「先生、真剣に聞いてくれてたんだと思ってたのに、酷いッ!」
「俺はバーのママじゃねぇっつうの。」
憤慨している優希以外、全員が笑う。あの頃の自分たちにとって一大事だったことも、今となっては笑い話だ。笑い話にできるほど、今が充実しているとも言える。全てが愛すべき過去だ。
「おまえさ、そんなんで、ちゃんと仕事してるのかよ。」
「してますよ。」
むくれた顔で勢いよくムール貝を突き刺す。皿にキズが付かないかとハラハラしながら和希は優希を見た。
「いつも、こんな状態なわけ?」
面白いものを見るように和泉は話しかけてくるが、和希としては気が気ではない。拗ねられて苦心するのは和希だ。
「頼みますから、これ以上揶揄わないで下さい。結構根に持つので。」
和泉のこっそり耳打ちすると、さらに和泉が肩を震わせて笑った。
「先に食べ始めたのが約一名いるけど、乾杯にするか。」
和泉の音頭でグラスを取る。全員、一杯目はスパークリングワインだ。
「再会を祝して、今年一年の労をねぎらって、乾杯。」
グラスを掲げて笑い合う。何の憂いもなくここにいられることが、幸せだと思った。
双子がやってくるのは昼過ぎなのに、今朝早くから張り切って下ごしらえをする要が微笑ましい。澄ました顔をしていても、手際良く動く姿が、全身で楽しみであることを訴えている。和泉は要の珍しい様子を見ているこの瞬間も、楽しくて仕方がなかった。これが見られただけでも企画した甲斐があるというものだ。
そんな朝から飛ばして疲れないのか、と喉まで言葉が上がってくる。けれど楽しみにしている彼にそんな無粋なことは言わない。小さい子どもでもあるまいし、疲れたら勝手に小休憩でも取るだろう。
「要、オーブンは俺が見てるから、おまえは皿とグラスの用意をしてくれ。」
「ちゃんと見ててよ、達也さん。」
念を押すように言うのが可笑しい。グラス片手の和泉が信用できないのだろう。口に含んで香りを楽しみ、ゆっくりと飲み干していく。苦笑しながら要へ頷くと、訝しげな視線が返ってくる。しかし渋々要は食器棚へと向かった。
もともとこのマンションを購入した時は、オーブンは付いていなかった。去年リフォームした時に、オーブン付きのキッチンセットへと変えたのだ。
鶏の脂が弾け飛ぶ小気味良い音を聞きながら、冷酒を再び口に含む。冴えるような辛味に身体が熱くなる。オーブンの熱も相まって、火照っていく身体が心地良い。良い気分になっていると、要の呆れた声がキッチンの入口から聞こえてくる。
「二人が来る前に出来上がったりしないでよ。」
「ちょっとしか飲んでないよ。」
笑いながら瓶を掲げる。一時間で半分。和泉にしてはローペースだ。けれど要からは冷ややかな眼差しが返ってくる。
「達也さん、オーブン交代するから、もう座ってて。」
ご機嫌斜めのようで、そうではない。睨む目とは反対に口許が緩んでいる。すれ違いざまに要の唇をさらうと、要の耳がサッと染まる。恥ずかしいのか、和泉の方を見向きもしないでオーブンの前へ屈む。和泉は揶揄いたくなる気持ちをグッと堪えてキッチンを出た。要の機嫌が本当に悪くなっても困る。
ダイニングのテーブルを見遣ると、自然と満足感が湧いてくる。素人のセッティングとは思えない演出に、彼のハイセンスな感覚を思い知らされる。
要は、小さい頃からたくさん良いものをその目で見てきたのだろうな、と感じさせる感性がある。大事に育てられてきたことも彼の品の良さに滲み出ている。
せっせと昨夜折っていた紙ナプキンで作った扇が、テーブルの上で華やかに開いている。やることが丁寧で細かい。
「よくできてるじゃん。」
呟くように言葉を零して、和泉はテーブルの上を眺める。しかし彼の頑張りが例の双子に通じるかはわからない。
褒めてやってくれよと双子に念じながら、和泉はオーブンの前で鶏が焼けるのを待ちぼうける要を想った。
どんなに傷付いても、朝は平等にやってくる。鏡の中に映る自分の顔は、想像していたよりむくんでいなかった。要が寝入った後、和泉が冷やしてくれたのだ。
患者と対面する以上、医者は顔も重要だ。医者が泣き腫らした顔など晒したら、患者も不安になる。仕事に支障が出ないようにと考えてくれた和泉の心遣いが有り難かった。
「要。今日、昼休みにメール寄越せ。」
「・・・うん。」
心配させている。朝、食欲がないなどと言ってしまったのもあるだろう。けれど心配してくれることが嬉しいと思ってしまう自分。よほど弱っている証拠だ。
和泉の要求に対して素直に頷き、最寄りの駅で別れを告げる。別れ際、ほんの一瞬和泉の手に触れて温もりを攫った。人前だからあからさまなことはできない。彼も自分もそれなりの立場を持つ。母からの否定が強く頭の中で響いていた。
駅のホームへ向かう階段を上りながら深呼吸をする。仕事をしにいくのだ。プライベートで何が起きていようが、患者の前にそれを持ち込んではいけない。頭を仕事モードに切り替える。ホームへと滑り込んできた電車に乗り込んで、満員電車に揺られると、ようやく勇む気持ちを取り戻し始めた。
呼吸音にザラつきがないと、要自身も息を吸いやすく感じる。患者と共鳴しているような不思議な感覚だ。
「吸入、よく頑張ったね。息苦しさはもうないんじゃないかな。どう?」
「うん、もう走っても苦しくない。」
「体育はどう?」
「先生、今日もね、僕、かけっこ頑張った!」
小学一年生の彼は、外で思い切り遊びたい盛りだろう。しかし小児科経由でやってきた彼は、三歳の頃から喘息に悩まされている。けれど水泳を始めて肺活量が格段に増えた。そして予防的に吸入も続けてきたことで、生活に支障のないレベルまで呼吸器が正常な状態に近付きつつある。
「吸入は朝起きた時と寝る前に続けてね。大変だけど、約束できるかな?」
「できるよ! だって一年生だもん!」
勇んで答える姿がなんとも微笑ましい。最近の彼の口癖は、一年生だもん、だ。しかしその言葉通りきちんと約束を守って薬を飲み、吸入も続けている。子どもは大人が思うより遥かに自分の状態を理解し、日々成長できる生き物なのだと、彼を見ていて思う。この小さな存在に奮い立つエネルギーを貰えた気がした。
休日に落ちるところまで落ちていた精神状態も、仕事をして徐々に穏やかな波へと変わって浮上していく。
聴診器を当てて聞こえてくる音に耳を澄ましていると、全身が研ぎ澄まされて神聖な気持ちになる。心を無にできる唯一の瞬間なのだ。凪いだ気持ちにホッとして、小さな勇者を診察室から送り出す。
一人また一人と患者が元気になっていくと、微力ながらも人の役に立てている実感が持てる。自分の存在意義を持てることは、たぶん人として自分が自分であるために必要なことだ。
仕事と和泉、そのどちらも自分が自分であるために失いたくないもの。そこに肉親が加わってくれることを望み、叶わなかった。ただそれだけ。それだけだと、思うことにした。
手書きカルテのノートを閉じて席を立つ。予定より十五分押しただけで昼に入れたので、今日はわりと落ち着いた日だ。
スマートフォンを取り出し、和泉の名を呼び出す。昼ご飯を食べに行く旨だけメールして、そのまま閉じようかという時、急に手の中でバイブレーションが響いた。ディスプレイに映し出された思ってもみない名に動揺し、手の中から落としそうになる。辛うじて掴み直し、恐々と通話ボタンを押した。
「はい。」
『要か?突然悪いな。』
「いや・・・」
緊張して取ったわりには、電話越しに聞こえてくる父の声は穏やかなものだった。
『今、話して大丈夫か?』
「あ、うん。」
やや掠れた声で返し、無意識に拳を握った。
『母さんの様子がおかしいんで話を聞いたら、おまえの話をするもんだから。ただ、いまいち要領を得なくてな。父さんとしては、ただ事実確認をしたいだけだ。今度母さん抜きで会えないか?』
何が来るかと身構えていただけに、和やかな父の声に力が自然と抜ける。そうだ、父はこういう人だった。忙しくてあまり家にはいなかったけれど、共に時間を過ごす時は、いつも要の話を聞き優しく微笑むような人だった。
「わかった。どこで会う?」
『一緒に暮らしてる人がいるんだろう? 都合がつくなら今週末にでも三人でどうだ? おまえたちさえ良ければ、紹介してくれ。』
思わぬ言葉に胸が疼く。絶望感でいっぱいだった心の中で、微かに期待が湧いてくる。
「うん、わかった。そうしたら、うちへ来る?」
『わかった。お邪魔するよ。向こうさんにも、よろしく伝えてくれよ。』
「うん。じゃあ。」
父の静かな返答を聞き、通話を切った。
母との温度差に驚くけれど、事実を知っても反応は人それぞれということなんだろう。要領を得ないなどと言ってはいたが、大方事情はわかっていそうだ。すぐにでも和泉に知らせたくて、再び彼の名をディスプレイに呼び出した。