保健室は人が絶えることがない。生徒には元気で過ごして欲しいと願う身としては、少々複雑な気分だが、慕われることを鬱陶しいと思うほど捻くれてもいない。
「和泉先生、早く結婚しなよぉ。」
要が聞いたら頭を抱えそうな話だ。今まさに要は周囲から結婚を急かされる歳に突入している。
「なんだったら、私が結婚してあげようか?」
しかし四十代に突入し、和泉はとっくの昔にその適齢期を過ぎている。逆に気を使われて話題に上らないから、生徒たちの無邪気さが笑えてしまう。今さら真面目に受け取って悩んだりしない。
「おまえたちは、まだ結婚より勉強だろ?」
「勉強つまんない。先生、何のために勉強すんの?」
「そうだなぁ・・・。」
和泉もかつて疑問に思う時期もあった。小学生くらいの時だっただろうか。いずれにしても、遥か昔の話だ。
「おまえたちは誰かに必要とされたい、って思うか?」
高校三年生の二人が首を傾げて、顔を見合わせている。要は彼女たちと同じ頃に、周りからの期待を押し付けられて溜まり続ける鬱憤を晴らしつつ、現実を見て一人で生きていくために猛勉強をしていた。和泉もそういう点では彼とあまり変わらない。
「一人でいいって意地張ってても、人間は誰かに必要とされたい生き物なんだよ。でも自分の我儘ばかり通そうとしてたら、誰にも相手をされなくなるだろ?」
「うん。だってハブられたりするのヤダし。」
「でも素でいても気の合う人はいるよ?」
そう、気の合う人はいる。信用して自分を曝け出すことができる人間が。けれど同じだけの信用を得て好意を持ってもらうためには、それ相応の自分でなければ振り向いてはもらえない。
「取り繕うことは悪いことじゃない。摩擦ばかりじゃ生きていくのは辛いだろ? 自分が傷付かないために仮面を被るのも勉強なんだ。机に向かってるだけが勉強じゃない。色んな人と接して、自分がどういう人間なのか失敗して傷付きながら、繰り返し確かめる場所が学校だよ。」
「じゃあ、ノート必死に書いてやってる勉強の方は?」
明確な答えを持たないから話を逸らしたのに、誤魔化されてはくれないようだ。苦笑して仕方なく話を戻す。
「夢中になれるものを見つけた時、後悔しないため、かな。」
「やりたい事見つかったら、私だって頑張れるよ。」
確かに、若いうちはそれで間に合うかもしれない。けれど視野が狭いうちは、そのやりたい事ことも、なかなか見つけることは難しいのだ。
「やりたい事が見つかった時にいざ始めようとしても、到底間に合わないことに気付いて、大体後悔する。あの時、何でやっておかなかったんだろう、って。だから、何がやりたいかわからないうちから、今自分が出来る限りの事を全力でやっておくんだ。」
自分の場合、やりたい事はわりと早い段階で見つかった。思うようにいかなかった事もたくさんあるが、今、要が隣りにいて、好きな仕事をして、後悔はない。
先刻味わったばかりの両親との別離は苦い思い出でも、すでに自分にとっては過去の一つのピースにすぎない。
後悔は何も生まない。過去は変えられないからだ。失敗したら反省し、自分の糧にして、前を向いて突き進む。それを理解しろと言うのは簡単だが、本当の意味でわかってもらうのは難しいものだなと思った。
「なんか、難しい。」
思った通りの反応で苦笑する。けれど、聞く耳があるだけマシだ。
「じゃあ、おまえが今髪を結んでる髪飾りで考えてみようか。」
「え、これ?」
「そう。」
「これ、勉強と関係あるの?」
日常何気なく手に取るものは、彼女たちが意味もわからず学んでいるものの集大成だ。
「それが手元に届くまでのことを考えてみようか。まずデザインを起こして完成形を思い描く。それを誰にでもわかる形で描き起こす人が必要だよな?」
「うん。ああ、美術?」
「そうだな。次にどんな素材で作ろうか考えた時に、どんなゴムを使って、それを包む繊維はどんなものが良くて、って考えるよな? でもゴムにしたって繊維にしたって、誰かがそれを最初は作ったんだ。植物の特徴を研究して、試行錯誤する。常に新しい素材が研究の結果として生まれてる。」
「そっか。じゃあ、生物関係あるじゃん。」
身を乗り出して話を聞き始めた二人に、和泉も頷く。
「例えばゴムの強度を知るために色んな実験をしなきゃいけない。分析するためには数字だってわからなきゃいけない。」
「数学とか物理かぁ。」
嫌そうな顔をする二人に苦笑する。どうやら二人は数学や物理が苦手らしい。
「だいぶ端折るけど、物は完成したとして、それで売れるか?」
「出来たんだから、売れるんじゃない?」
「売れないよ。店頭に並べてもらうために、店と交渉しなきゃいけない。どれだけそれが魅力的で需要があるものなのか、売り込まなきゃいけないだろ?」
「そっか。」
「説得できるだけの数字もなきゃいけないし、言葉も必要だ。海外展開を考えるなら、それこそ色んな国の言葉ができなきゃいけない。」
「なんか、凄い話になってきた。」
憂鬱そうに顔を顰める二人が面白い。普段そんな事を考えて、髪飾りを使っていないだろう。そういう和泉自身も、そんなものだ。何とか説得してみようと試みる、大人の悪あがき。
「おまえの持ってるそれ一つ取って考えても、おまえの手元にやってくるまで、沢山の人の知恵がそこに詰まってる。大変だろ?」
「勉強やんなきゃいけない気がしてきた。」
そう言ったって、次の日にはまたやる気を削がれている生き物。移り気の多い高校生に、目標の定まらない勉強をやり通すというのは至難の技だ。
結局は本人次第。周りが何と言おうと、本人に明確な目標がなければ、日々の努力を積み上げていくことは難しい。早く生きがいを見つけてくれる事を祈り、彼らが助けを求めきた時に手を貸すことしかできない。
そこまで考えて、やっぱり思考は要のことへ移っていく。要は付き合い始めた時から大人だった。外見も中身も大人だったのだ。
もう少し彼を子どもでいさせてあげたかった。けれど周りがそれを許さなかったのだろうし、求められる像を演じきってきた要の器用さが、かえって仇となったのだろう。
要を甘えさせてやれるのは、今も昔も自分だけ。和泉がそう思うのは、決して自惚れではないだろう。
要の心の声に、和泉はいつも耳を澄ませている。助けを求める要の声は小さく弱い。だからそのサインを聞き逃さないように、いつだって彼をこの腕の中で見守っているのだ。
今日も帰ったら、要の話をたくさん聞いてやりたい。職場で患者と格闘している彼を想い、和泉は窓辺に向かって小さく微笑んだ。
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いつも当ブログの拙い話を閲覧いただきまして、ありがとうございます。
「先生」はこれにて終了ですが、
明日から「沢田家の双子」番外編第二弾をお届けいたします。
そちらの予告に関しまして、
本日12月21日18時に告知させていただきます。
本編スタートは22日0時からとなっておりますので、
また、お付き合いいただけたら幸いです!!
それでは、また。
管理人:朝霧とおる
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@AsagiriToru
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