天帝である理世のもとには、病床へ交代で薬師たちが見舞っていた。
最後に叩かれた扉に世羅の心臓が跳ねる。待ち望んでいた彼が、ここへやってくるからだ。
薬師には長を頂点とする以外に特に序列がない。昨年は五番目だったし、その前の年は八番目だった。今か今かと待ち侘びて、こんな事を意地になって憶えている自分が痛々しいくらいだ。
「参れ。」
「失礼いたします。」
静かながら軽やかでよく通るこの声を、夢心地に世羅は聴き、入室してきた青年をまばゆい物を見るように目を細め、立ち上がって出迎えた。
「フェイ、よく来てくれた。」
「恐れ入ります。」
フェイが深々と頭を下げ、陽によく焼けた顔を上げた。健康的な小麦色。藍の衣の下にも同じ色の肌を隠し、薬師である証、国鳥の刺青があることを世羅は知っている。幼き頃、二人で王宮の湖で水遊びをしたから、彼の隅々まで脳裏に焼き付いているのだ。
「理世様、世羅様、お久しゅうございます。」
「そう堅苦しくせずとも、気を楽にせよ。ねぇ、兄上。」
「そうだ、水くさい。もっと近くまで寄って、おまえの顔を見せておくれ。」
一礼してフェイが兄の理世が横たわる病床までやってくる。
理世は世羅の三つばかり上だ。生まれた時から心の臓が弱く、共に走り回った記憶はない。床に臥せていることの多かった兄は、天帝の座を譲り受けてから、もはや起き上がることのできない身体になっていた。
フェイが理世の手を握り微笑んだ後、持っていた包みを開いて、理世に何かを差し出した。
「遅くなってしまいましたが、約束のお品です。」
フェイは世羅の知らぬ間に、理世と何か約束事をしていたらしい。二人で見つめ合い、寂しく微笑む姿に、少しではない嫉妬が湧いていくる。
「フェイ、病んだ顔を見ることに意味があるだろうか。」
「理世様、ありのままをご覧いただくと、きっと心が安らかになります。人は己を知ることで安堵する生き物ですよ。」
「綺麗に磨かれている。ここへ来て初めて映すものが私では、少々この鏡も浮かばれないな。」
「そんなことをおっしゃらず、さぁ。」
目の前にあるものを、あるがままに映すその道具をカガミというらしい。世羅も隣国にそのような技術があるというのは聞いていたが、本物を見るのは初めてだった。
理世がジッと自分と見つめ合った後、静かに目を閉じて小さな声で呟いた。
「死にゆく顔だな、フェイ。」
「兄上・・・」
淡々とした物言いに世羅の方がたまらなくなって、声を上げてしまう。
「でも、受け止めることができるのも確かだ。誰に何を言われるよりも説得力があって、覚悟ができる。」
一方のフェイは心乱された様子はなく、穏やかな顔で理世を見つめていた。そして声を上げた世羅に向かって静かに問いかけてくる。
「死は平等に訪れるものです。自然は我らを生かすとともに、死へも誘います。お二人の母君も短命でしたが、大層賑やかな日々を送ってらっしゃいました。彼女が幸せでなかったと、世羅様はお考えになりますか?」
曇りなきまなことはこういうことを言うのだろう。穏やかながら意志の強さを感じさせられる瞳に吸い込まれる。
「そんなことはない。母君は父君をお心の強さで支え、幸せそうに笑っていらした。」
「これだけ短い在位の間にも、理世様はシンビ国を正しき道へ導いておられると、僭越ながら感じます。少なくとも薬師である私は不便なく、王都までやってくることができました。薬師が疎まれることなく、ここまで無事に来られるということは、国が健全な証です。民は自分たちの身に危険があったり、不自由していれば、薬師に恵んでくれたりしませんから。」
「おまえの言う通りだ。旅をする者の言うことは説得力がある。上辺だけで私を励ます者と、おまえは違う。フェイ、私はこの鏡に毎日己を映して、自身の心に問いかけることにしよう。私の生とは何か。おまえはいい物を持ち帰ってくれた。私の宝にしよう。」
理世の満足げな顔に、フェイの言葉の清らかさと重さを感じる。
「有難きお言葉にございます。」
頭を下げて謁見を終えようとするフェイに、世羅は迷いながらも声をかけた。
きっと言うことのない想いを抱いて、それでも今宵だけは彼の時間が欲しいと思った。
兄がフェイの言葉に救われたように、自分も救われたかった。許しがほしい。
「フェイ。今宵はここで私と過ごさぬか?」
「よろしいのですか?」
「旅の話をたくさん聞かせてほしい。」
「もちろんですとも。では、のちほど。」
出会った頃と変わらない温かな眼差しに射抜かれて、世羅は甘い痺れに声も発せず頷くことしかできなかった。
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朝霧とおる