気落ちしているから今がチャンスかも、と蘭が耳打ちしてくる。しかし人の不幸を喜ぶのは自分にとって都合が良くても、気分は晴れない。好きになった相手の慰め役は買って出るけど、向こうが望むかどうかは別問題だ。
あまり期待はせずに、蘭お手製のビーフシチューを口へ運ぶ。飯塚の場合、ここへは夕飯を食べに来ているようなものだった。実際、大友に会えたのは一度きり。蘭と雑談をして、時には見ず知らずの相手から誘われて、のんびりとただ彼だけを待つ。
最後の一口を収めきって一息つき、食後の紅茶を頼む。バーテンダー歴の長い蘭にとって飯塚は、腕の奮いようのない客だ。しかし蘭は特段気に留める様子もなく、待ち構えていたように紅茶を差し出した。
「あれ?」
「そう。買っちゃった。ほぼ毎日来てくれるお客さんに、いつまでもティーパックのお茶は申し訳なくて。」
透明なポットの中で茶葉が踊っている。昨夜までは粉末のティーパックが浸っていたが、今日はちゃんとした茶葉だ。
「ありがとうございます。香りも良くて美味しい。」
「でしょ? 私、やり始めると凝り性なの。それはスリランカの。」
「でもコスト高くついちゃわないですか?」
「ここで紅茶頼むの飯塚くんだけだから大丈夫。この缶が空になるまでに、大友くんのことゲットしてちょうだいよ、って噂をすれば。」
蘭の微笑みで扉の方に目をやる。振り返るとちょうど扉の鐘を鳴らして大友が店に入ってくるところだった。
「ッ・・・。」
咄嗟に言葉が出なかったのは、明らかに泣き腫らした目元をしていたから。
「大友、お疲れ。今日、仕事納め?」
「・・・うん。」
どうしたのかと問いたい気持ちはどうにか堪えて、当たり障りのない言葉で大友の行動を見守る。
気まずいらしく大友は飯塚と目を合わせようとしなかった。しかし露骨に避けるつもりもないらしく、飯塚から一つ席を空けてカウンター席に収まる。
「この前・・・」
「うん?」
「・・・ありがとう。」
お酒を奢った一件を指しての礼だろう。内心ハラハラしつつも、平静を装って微笑んで頷く。
「気にしないで。俺が好きでやったことだし。」
「そう・・・。」
ぎこちない空気につい耐えかねて、さっきは呑み込んだはずの言葉が、つい口を出る。
「その顔・・・どうしたの、大友。」
「別に。そういう気分だっただけ。」
「理由・・・聞かせてよ。」
大友の重い溜息に、打ち明けてくれそうにはないと一瞬諦めかけた。しかし依然として目は合わせないものの、大友の頑なに見えた口はちゃんと理由を教えてくれた。
「フラれただけ。」
「だけ、って・・・。そんな軽い話みたいに言うなよ。大友は傷付いたんだろ?」
「ッ・・・。」
泣きそうに歪んだ顔はすぐに苦笑に変わる。どうしようもないことだと諦めるような顔に、つい突き動かされそうになる。抱き締めたい衝動を堪えたのは、まだ手を伸ばせるだけの関係ではないと戒める理性があったから。一目惚れだけど、軽い気持ちだとは思われたくない。
「大友くん、また待つの?」
蘭の一声がなかったら、話はこのままうやむやになって立ち消えていたかもしれない。救いの手に感謝して、大友の返事を待ってみる。
「どうせ・・・また戻って来る・・・。」
「やめなさいよ、大友くん。」
食ってかかるような蘭の言い方に、飯塚は諫めるように二人の話に割り込んだ。
「大友はどうしたいの?」
飯塚の言葉に、大友が何かを見定めるように見つめてくる。今夜初めて目が合った。縋るようにも見えた瞳に囚われて、飯塚も大友をジッと見つめ返す。すると耐えかねたように大友がスッと目をそらした。
「わかんない・・・。」
「わからないんだ?」
「・・・うん。」
虚ろな目で頷いた大友に胸がせつなく疼く。自分だったらこんな風に泣かせたりしない。先走る決意を抱いて、大友が受け入れてくれるだろうギリギリのラインで好意を伝えようと試みる。
「俺は・・・相手の勝手で傷付く大友を見たくない。」
「・・・。」
「だから・・・一人がつらかったら、俺のこと思い出してよ。呼んでくれたら、駆け付けるから。まぁ、仕事の時は無理だけど。」
真剣に言ったつもりなのに、急に大友が笑い出す。
「仕事の時はムリなんだ?」
「そりゃあ・・・。」
「どんな時でも駆け付けるって言えよ、バカ。格好付かないじゃん。変なヤツ。」
ひとしきり笑うと満足したらしい大友は、二人を隔てていた空席に座り直して飯塚に身体を寄せてくる。
「なぁ、俺のこと好き?」
急に舞い降りてきたチャンスに飯塚は目を瞬く。上手く行き過ぎではないか。何か大友の重要なサインを見落としていないか不安が過る。彼は長いこと、その相手に囚われていたはずで、こんなあっさりと振り切って、次の恋へ向かうとは到底思えなかったのだ。
「・・・好きだよ。一目惚れ。」
大友の質問に正直な回答を寄せつつ、内心首を傾げる。しかし今は心にしこりが残っていたとしても、いずれ彼の中で昇華されていけばいいかと思い直す。付き合っていようがいなかろうが、心の整理がつくまで待つという意味では大差ない。
「大友、下の名前は?」
「裕二。」
「俺は浩之ね。」
「知ってるって。名刺くれたじゃん。」
捨てられてはいなかったのだと、飯塚は安堵の笑みを浮かべる。
「はいはい。ここでイチャイチャしないでよ。続きはホテルでどうぞ。」
蘭が呆れたように鼻で笑いながらも、こっそり飯塚に目配せをしてくる。
「いや、さすがにホテルは・・・。」
昨日今日知り合ったような関係で、すぐにホテルへ連れ込むのは誠実さに欠けるような気がして躊躇われる。飯塚が渋っていると、蘭と大友が目を合わせて笑い出す。
「蘭さんの言う通りだね。」
「ほら、私の目に狂いはないわ。いい男でしょ?」
大友が笑いながらペーパーナプキンとそばに立ててあったボールペンを手に取る。何かを熱心に書き込んでいたかと思うと、それを飯塚に差し出してきた。
「俺の連絡先。おまえのも教えてよ。」
大友の笑顔に胸を打たれ、ふと気付く。彼が自分の前で笑うのは今夜が初めてだ。ようやく見る事の叶った笑顔をそっと胸に仕舞い込み、勇んでボールペンを手に取る。受け取ったペーパーナプキンは宝物を扱うように、丁寧に手帳へ挟んで閉じた。
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朝霧とおる