ママの蘭が楽しげに笑って、大友の前にカクテルを置く。
「これは飯塚くんからの奢り。」
「・・・え?」
彼から奢ってもらう理由なんてない。飯塚が向けてくる視線を好意と考えれば納得はいくけど、本当にこんなキザなことしちゃうヤツがいるんだという事実に唖然とする。それに口説こうにも帰ってしまったら奢り損ではないか。
「いいじゃない、貰っておけば。彼、結構いいスーツ着てるし、いいとこ勤めてるんじゃない?」
「・・・。」
名刺をくれたから勤め先は知っている。肩書は単なる営業でも銀行員。しかも大手だ。歳は同じだと言っていたけれど、自分より給料が倍以上だと言われたって驚かない。実際そんなものだろう。
彼に好いてもらえるようなことは何もしていない。先日会った時だって、彼の関心を惹くようなことは何一つ言えなかったと思う。
「変なヤツ・・・。」
「ほら、そんなこと言わないで。いい男だし、乗り換えちゃえば?」
「電車じゃないんだから、そんな簡単にいかないし。」
「男も電車も同じ。乗り換えないと、先には進まないわよ。同じところ、行ったり来たりしてばっかりで。」
そんなことはないと言いたいのに、蘭の言う通りなので言い返すことはできない。
同じところを行ったり来たり。人生の三分の一を駿に費やして、結局何も実ってはいない。実るどころか、心は磨り減っていく一方だ。
「まだ、好きなの?」
「・・・わかんない。」
「困った子よねぇ、あんたも。飯塚さんの顔、ちゃんと見た? ホント、いい男よ?」
「蘭さんのタイプってだけでしょ。」
仕立てのいいスーツが似合うスラリとした体躯の男。顔はすっきりとした面持ちで、確かに好み。つい目で追い掛けたくなる人であることは確かなのだ。蘭とは付き合いが長いから好みのタイプもバレている。駿はそういう意味で必ずしもタイプではない。外見から入っていない分、厄介な惹かれ方をして、結局拗らせている。
しかし今はとにかく心が疲れていた。新しい恋をする気力がない。駿から逃げ切る気力もない。心が疲れていると、仕事でも些細なミスをする。今日は手に取ったはずのシャンプーがトリートメントだった。すぐに気付いて洗い流し、仕切り直したから、客さえもその間違えに気付いたわけではないけれど。極度の緊張に晒されていた新人時代とは違う。こんな情けないミスをしたのは記憶が辿れる限りで初めてだ。
本当に疲れている。親友に愚痴る気力すら今はない。
深く詮索してこないママの前で酒を煽り、考えることを放棄してグズグズしているだけ。
「そういえば、引っ越しの準備はどうなの?」
「・・・白紙。」
「そうなの?」
男二人では手狭なアパートだった。海外を飛び回っている駿は身軽なものだが、それでも少しずつ彼の物は増えていった。商売道具のカメラこそ置いていくことはないけれど、食器や服、そういうものが目に見えるかたちで増えていき、今まで付き合ってきた中で、過去最高に増殖していた。
だから自分は心のどこかで期待していたんだと思う。今度こそは大丈夫。きっと駿は自分を選ぶ。もう自分たちは若くないし、それなりの月日を共にしてきた。それだけの自負があった。
今度引っ越す時は、家を買おうと決めていた。しかし駿にフラれたのは、その話を切り出そうとしていたまさにその日だった。
クリスマス前だったからショックだったんじゃない。この先の人生を共に歩みたいという決意を挫かれたから、心を打ち砕かれたのだ。
一年以上、穏便に時が流れていたのは初めてで、すっかり自分は油断していた。
駿は変わっていない。学生時代に出会った頃から何一つ。碌でもない男なのに、それでも輝いて見える瞬間があるから本当に困る。
「ちょっと、大友くん。せっかくご馳走になったのに、一気飲みってなんなのよ。丹精込めて作った私にも失礼だから!」
蘭が大友の態度に口を尖らせつつ、律儀に頼んでもいない二杯目の準備に取り掛かる。
「どうせ次もエンジェル・フェイスでしょ?」
「・・・うん。」
「あんたって、ホント、バカ。」
「うん・・・わかってる・・・。」
飯塚はどんなヤツだろう。人を見る目がないのは駿との関係で証明しているようなものだから、彼を値踏みすることは憚られる。しかし少なくとも駿よりは真面目そうで誠実そうだな、と空になったグラスを見つめて苦笑した。
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朝霧とおる