大友はどんな顔をしてお酒を飲んだのかな。そんなことに思いを馳せるだけでも楽しい。困らせたかな。それとも少しは興味を向けてくれただろうか。
予定がびっしりと書き込まれたスケジュール帳を開いていても尚、飯塚は上機嫌だった。
いつも通り、始業三十分前に自分の席でブラックコーヒーを飲み、軽快にキーボードを叩いてメールを処理していく。新人の時からの習慣で、一日たりとも欠かしたことがない。個人的に抱える仕事、特にデスクワークは、規則正しくこなすことが大好き。完全に邪魔が入らないことを保証されているのは始業前だけなので、徐々に集中していくこの時間は貴重だ。頭の中でスイッチが入り、戦闘モードになっていく。
各デスクに置かれた電話が一斉に鳴り出す。しかしワンコールで切れたのは、留守電になっているからだ。ひと昔前まではすでに出勤している面々が対応していたが、始業前のタダ働きは良くないという方針になり、今では出社時刻から一律に応対することになっている。実際それで大事になった試しはない。
「今日は引き出しが多いな。」
大口の預金者には営業が直接家を訪ねて対応することもある。飯塚は金融商品の売り込みが仕事の主だが、預貯金の対応も同時に受け持っていた。まとまった額を持ち歩くので、上背であることはそれなりに意味がある。目を光らせる不届き者たちに奪いやすいと思われない風情であることは、一つの自衛になるのだ。
手を上に伸ばして、一息つく。三十分近く画面を凝視していると、あっという間に肩が凝るので隙を見てはストレッチに励んでいた。
「ふぅ・・・今年もあとちょっとだな。」
年末は何かと物入りで大口預金者の引き出しが多い。そして忙しいのはどの業界も同じなので、商品が狙ったようには動いてくれない。ほとんどの人にとって必需品でない金融商品など、目に入れてもくれない。そこかしこのデスクで溜息の多い時期だが、飯塚は一人、年末とは言えない浮かれ具合だった。
押しても引いてもダメな時期というのはある。そういう時は虎視眈々と目だけは光らせて、待つのみ。下手に動くと歯車は狂ってしまうもの。それは仕事でも恋愛でも同じだと思うのだ。結局、人がやること。耐え忍んで待つことが必要な時もある。
「今は待て、かな・・・。」
未来が楽しいものだと思えば、待つことは全く苦ではない。恋愛に関してはどうせ失敗続きだから、気にしても仕方ないのだ。
それこそ学生時代や社会人になったばかりの頃は、前向きな思考だけが取り柄だった。
幸いにも仕事は向いていて、人並みに失敗はしつつもここまで順調にやってきている。共倒れだったら、さすがにここまで楽観はできなかったと思うけれど、どちらか一方でも見通しがついていたら、人生を悲観して行き倒れることはないだろう。
「どうなるかなぁ・・・。」
大友とのことは、今のところ全く先は見えていない。大友は億劫そうに相槌を打つばかりで、実際の情報源のほとんどはバーのママである蘭だ。彼が好んで飲むカクテルの名を不意に思い出して、飯塚は放置していたスマホを取り上げた。
「エンジェル・フェイス、と・・・。」
お酒を嗜むほど飲めない自分にとって、カクテルなど未知の世界だが、色々と意味付けされていることは知っている。衝動的にネットで検索をかけたくなるくらいには、彼の好むお酒の意味が気になった。
レシピは作り手によってだいぶ違うらしい。いかにもアルコール度数の強そうなジンやブランデーという文字が飛び込んできて苦笑した。弱めなら飲んでみようという野望は早くも打ち砕かれる。そして肝心の意味を確認して、飯塚は自分でも無意識のうちに苦笑した。
「意味深だな・・・。」
移り気な誰かを想って飲んでいるなら、大友は結構重症だと言える。ここは単純に味が好みでオーダーしているのだということにしよう。
始業五分前の音楽が社内に流れ始める。
「よし、今日も頑張るか。」
飯塚は席から立ってもう一度伸びをする。出社ラッシュで慌ただしくなる社内を見回して、飯塚は気合いを入れて空のカップを片付けに給湯室へ向かった。
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