今思えば、なんて無謀で勇気のあるやつだったのだろうと思う。自分は怯えてばかりいた。親友としての関係が壊れてしまうと思って。しかし彼はいとも簡単にその壁を飛び越えてきたのだ。
高校二年の冬まで、当たり前のように楽しい青春を過ごした。勉強や部活を頑張って、この土手に寝転びに来て、夢を語り合ったり、二人の世界に浸ってみたり。想いを伝え合った後は、お互いの部屋を行き来することも多くなった。
今のようにインターネットなんてものはない時代だったから、自分の身の周りにあるものが世界の全てだった。今の子たちのようにマセてもいなかったと思う。
けれど好きな人がいれば触れてみたい欲求は自然と湧いてくる。それをどう態度に表したら良いのか迷っていた自分とは違い、蓮はいつも直球だった。
「凌。ちょっとだけ、触ってもいい?」
そのちょっとだけが、どの程度のものなのかも分からないまま、自分は頷いていた気がする。当時はキスをするのだって精一杯だった。
唇を押し付けあったまま、スルリと下腹部へ伸びてきた蓮の手。その手が少しだけ震えていたのを覚えている。くすぐったくて、身体を捩ったら、すぐに腰へ回って来た手に捕まった。
制服のズボンとトランクスの前を寛げて、そっと様子を伺うように触れてきた。恥ずかしくて吃驚して、顔を真っ赤にしながらも、未知の世界に踏み出した。自分でするのとは全く違う。同じ行為なのに、嬉しくて胸がいっぱいになった。
自分にもそういう初心な頃があった。
キスをして、ちょっと大人の真似事をして、身体を繋ぐことこそなかったけれど、それで十分あの頃の自分は満たされていた。
そんな二人に決別のカウントダウンが始まったのは、高校二年の冬だった。
身体が怠いと言って、学校を休み出した蓮。一時良くなったこともあったけれど、それから彼はほとんど学校へ出てくることができなくなった。
後から知ったことだったが、体調不良の原因がわからず、病院をたらい回しにされていたらしい。
そしてやって来た高校最後の春、彼は脳腫瘍で入院することになった。初め、病室で見る彼は、さほど重病人には見えなかった。頬がこけていたわけでもないし、身体が極端に痩せていたわけでもなかった。
しかし病魔は確実に彼を蝕んでいて、夏に入る頃にはほとんど食事も喉を通らなくなり、点滴を余儀なくされていた。
不安だった。大丈夫だとしか言わない蓮に、何度問いたい言葉を呑み込んだことか。けれど一番不安なのは病気で苦しんでいる彼のはず。そう思い、核心部分に触れないまま、無情に時間だけが流れていった。
毎日通う事が叶う距離ではなく、週末塾で自習すると言って出掛けては、蓮の病室へ通った。痩せ細っていく彼を見て、手を握る事すら怖くなっていく自分。心を覆う不安は日を追うごとに増していった。
しかし、ついに酸素マスクが取り付けられたあの日、我慢の限界がきた。聞くのは怖くて、でもその姿を見たら涙が溢れて止まらなくなった。
タイムリミットが近付いている。誰の目から見ても明らかだった。蓮はあの日、どれだけの決心をして、自分に別れの言葉を告げたんだろう。不思議なくらい、あの日の蓮は穏やかだった。
「凌、俺ね・・・凌と、あと少ししかいられない・・・。」
酸素マスクに阻まれて聞き取りずらい彼の声を、泣きながら必死に拾った。
「死んじゃっても、ずっと・・・ずっと、凌のそばにいるよ・・・ね、だから・・・泣かないで・・・」
手術をすれば治るのだと、入院当初彼は笑っていた。次第に衰弱していく彼を見ながら、それが彼の優しい嘘なのだということは、心のどこかで気付いていた。
彼を蝕んでいた脳腫瘍は悪性度の高い神経膠芽腫(こうがしゅ)。もうすでに打つ手立てのないステージ4だった。
「凌、約束・・・幸せになる、って約束して。俺のためじゃないよ? 凌自身のために・・・ね?」
力のない手を握り締めて、自分は頷くことしかできなかった。
「俺はね・・・幸せ。凌が俺の分まで泣いてくれるから。」
蓮の言葉で、彼にはもう泣く体力すら残っていないんだと知る。現に開いている彼の瞳は天井を見上げたまま、もう自分を捉えてはいなかったから。
彼がいなくなってしまった後から知った真実がたくさんある。もうあの時彼の視力はなくなっていたらしい。音や声を頼りに耳を傾けていただけだったのだ。
「心配、してる・・・凌、寂しがり屋だから・・・」
言わなければ、何か伝えなければ、きっとこれが最後になってしまう。そんな切羽詰まった予感に掻き立てられ、泣きながらも言葉を返した。
「ッ・・・大丈夫、だよ・・・しっかりする・・・だから、心配しないで・・・」
握っていた蓮の手にそっと唇を寄せたら、蓮は嬉しそうに微笑んだ。
「凌、さよなら、しよっか・・・」
「ッ・・・」
「二人で、ちゃんと・・・ね?」
「・・・うん。」
後悔が残らないように、二人で別れを告げたい。そういう事なんだと思った。
「いつも・・・俺の大好きな、笑顔で、ね。」
「うん・・・」
「約束」
「約束、する」
彼の体温を覚えておこうと、彼の手を自分の頬に擦り寄せる。自分の涙が蓮の指先を濡らしてしまうのも構わぬまま、必死に彼の手の温もりを確かめた。
握っていた手が微かに動く。しかしそれだけだった。安心したように頷いて、天井を見つめていた目が閉じていく。蓮の側から離れ難かったが、自分に許されていた面会時間は十分だけ。ほどなく看護師から退出を促された。
蓮の予期していた通り、結局、それが二人にとって最後の会話となった。
秋の夕暮れ、土手の草花が影を潜める頃、彼は永遠の眠りについた。
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朝霧とおる