窓を半分開けたまま、網戸の細かい目を通って風が静かに室内の空気をかき混ぜる。カーテンもその風に煽られてヒラヒラと揺れ、隙間からは朝陽が差し込んでいた。
「ねぇ、皐。」
昨夜遅くに帰ってきた勝田は細く目を開けて、ベッドに寝転がったまま、香月の気配がする方へ声をかける。この五年の間に香月のことを皐と呼ぶようになった。
「あれ、起きたんですか? まだ寝ててもいいのに。昨日遅かったんだから。」
「うーん。」
横たわったまま伸びをすると、うっかりふくらはぎが攣りそうなり、慌てて足に込めた力を抜く。自分の身体は順調に歳を取っているようで、少しの無理でガタがくるようになっていた。
昨夜は営業部からお誘いがあり、飲み会に出た。調子に乗って飲んだら胃の調子がなんとなく悪い。痛むほどではないが、ドロドロと何かがまとわりついているようで気持ち悪かった。
「起きるなら、煮込みうどんとかどうですか?」
ベッドまで近づいてきた香月はエプロン姿で、長袖のシャツを捲り上げて腕を晒している。細く筋肉質で大好きな腕だなとしみじみ思う。意味もなく伸ばした手を香月が受け取って、手の甲に香月の唇がふわっと優しく触れた。
相変わらず壊れ物のように香月は自分に触れてくるけれど、こういう気怠い朝はときめいてしまう。自分がとても大切な物だと言われているようで、そこかしこで抗議の声を上げる身体に鞭を打って頑張って働いてきた甲斐があるなと自己満足に浸れるからだ。
「うどん・・・食べる。」
「はい。」
拙い言葉で強請ったことを気に留める様子もなく、香月は嬉しそうに微笑む。頑固で面倒な自分に、こうやって笑ってくれる人がいるなんて、自分は幸せ者だ。毎日奇跡が降り積もっているような気になる。
「出来たら呼びにきますね。」
優しい言葉と甘いキスを残して、香月がキッチンへと去っていく。義務的に消化していくキスじゃなく、愛しくてたまらないというように包み込むようなキスが、胃の不快感を和らげていく。
なんとなく不調に見舞われていることはバレていそうだな、と香月の言動で感じ取る。聡く、押し付けがましいことはしないから、香月と一緒にいるのは心地良い。
初めて会った時から変わらない印象に、自分は人を見る目があるな、なんて誇ってみたり。そんな彼を独り占めにできる幸福が永遠だと思わせてくれるのは凄いことだ。彼の懐の深さに感激しながら、布団を顔まで被って溢れ出る嬉しさと頬の緩みを隠した。
* * *
食欲はなかったけれど胃に卵とじのうどんを流し込み始めると、不覚にもお腹が鳴った。昨夜はたいして食べ物を入れずに飲むばかりだったから、胃は固形物を欲していたらしい。柔らかく温かい食べ物に胃は驚いたりせず、冷静に香月の手料理を受け付けた。
「美味しい・・・」
自分には背を向けてキッチンで洗い物をしていた香月には聞こえないのではないかというくらい小さな声で呟いた。しかし恋人はしっかり自分の言葉をキャッチして、振り返って、良かったですねと言って微笑んだ。
なんと幸せな朝だろうと安堵の溜息をついて、テーブルに揺れるガーベラに同意を求めて触れた。
「凌さん。その花、好き?」
「うん。」
香月も自分のことを名前で呼ぶようになった。彼から提案されて全身がざわめくような落ち着かなさに苛まれたけれど、それも初めのうちだけだった。
久しく呼ばれることのなかった自分の名は、再びこの恋人によって毎日勝田の耳に届くようになった。
「具合、あんまり良くないんでしょ? 今日、手伝いは・・・」
「行く。」
「でも・・・」
「行きたい。置いていかないで。」
香月に休みはない。だから土日は生まれたばかりの雛が親を追いかけるように、勝田も香月の後をついて回る。
「無理しないでくださいね。」
「うん。大丈夫。ご飯食べたら、元気になってきたよ。」
頑固だなぁ、と香月の心の声が聞こえてきそうな苦笑。けれど一度言い始めたら撤回などしないことを知っている香月は、それ以上何も言わなかった。
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こんばんは。
この二人は、私の書くカップルの中で一位二位を争うほど、
平凡で幸せな朝が似合うと勝手に思っております。
全6話と大変短い番外編ですが、小さなことでドタバタする勝田に、
ほっこりしていただけたら嬉しいです。
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朝霧とおる