まだ寒い日が続く冬の午後。部屋を満たす甘い香りがオーブンから漂ってくる。勝田はソファで新聞を斜め読みしながら、キッチンで忙しなく動き回る香月の気配に満足していた。
「凌さん。」
香月が勝田の名を呼ぶ。穏やかな声に呼ばれると、未だにくすぐったい。胸がいっぱいになる幸福感は、慣れとは無縁らしい。香月の声は、いつまで経っても勝田の心臓を掴み、鼓動を早くさせる。
「できましたよ。」
この一時間、ずっとそわそわしながら待ち続けた恋人の言葉だった。新聞の内容もほとんど頭には入っていない。
「いい匂い。」
「でしょ?」
「うん。」
特別甘い物を好んで食べるわけではないけれど、香月の作ってくれる物は何でも口にする。慕ってくれる、温もりに包まれたスイーツは、どんな高級菓子にも勝る優しい味だ。
「フォンダンショコラ?」
「はい。中、上手い具合に溶けてるといいんですけど・・・。」
「皐もまだ見てないの?」
「一緒に切って、確かめてみましょう?」
「うん。」
香月の慣れた手が湯気の立つフォンダンショコラを陶器に盛り付けていく。どこかお洒落なカフェにでも出てきそうな代物だ。差し出されたフォークを握ると期待に胸が膨らんで、香月が座って落ち着くまでの時間が異様に長く感じられた。
「皐、いい?」
「どうぞ。」
恋人の微笑みに駆けていく鼓動を止められない。入刀した瞬間に脈打つ鼓動はピークを迎え、目の前で溢れたチョコレートに小さく感嘆の声を上げた。
「あ・・・。」
「成功ですね。」
照れたように笑う香月の顔に胸を打たれて、つい俯く。香月と過ごす、この穏やかな時間が愛おしくてたまらない。激しい熱情を注ぎ込まれることだけが全てじゃないと、香月は身をもって証明してくれる。
「凌さん、食べて。」
「・・・うん。」
すでに甘い空気を肺いっぱいに吸い込んでいたから十分満足だったけれど、口へ運んだ瞬間、さらに幸せが舞い降りてくる。
「・・・美味しい。」
「良かった。」
二人で一つのフォンダンショコラを分け合うことも、香月が唇の端につけたチョコレートを舌で舐め取る仕草も、淡々とした日常を艶やかに見せる。今日という日をより特別に感じるのは、香月が店を早めに閉めて、勝田のために時間を作ってくれたからだろう。
香月は勝田を喜ばせるための術を知っている。盲点ばかりを突かれて喜びに沸く自分を認めざるを得ないのは悔しいけれど、悪い気はしない。
「これ・・・好き、だな・・・。」
「また作りますね。」
本当に好きでたまらないのは、目の前にいる恋人なんだけど。今さら過ぎて、面と向かって言うのは、どうしようもなく恥ずかしい。
「凌さん。」
「・・・うん?」
「嬉しいです。そうやって美味しそうに食べてくれるから。」
「ッ・・・。」
「ダイエットもいいけど・・・たまには凌さんに食べてほしいな。」
お菓子は砂糖が入っているから甘いのだと思っていたけれど。もしかしたら、舌を虜にする別のスパイスが入っているのかも。
フォークで突きながら、顔を火照らせて俯く。香月のくれるものは、棘の刺さった勝田の鎧をいとも簡単に剥ぎ取ってしまう。本当に油断も隙もない。
「時々は甘い物もいいでしょ?」
「・・・そうだね。」
完敗だと思いながら、平静を装ってフォンダンショコラを口に運び続ける。
食べ終わった後、すぐにソファへ逃げようとして、背後から香月の腕に捕まった。
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朝霧とおる