世話役の露博が執務室の扉を叩いたのは、公務がひと段落つき、陽の光が陰り始めた頃だった。
「紫苑様。至急お耳に入れたきことが。」
「何だ。」
喜怒哀楽をほとんど見せることのない露博の顔が青褪めている。明らかに芳しくない要件であることは、紫苑にもすぐ察しがついた。
「先刻、凛様が書斎でお倒れになり、意識がございません。」
「ッ……倒れた?」
他の誰が倒れても、こんなに恐怖を感じることはない。凛の身に起こった事を容易に受け止められず、露博の言葉に思考が完全に停止する。紫苑が乱心せず傍にいる限り、凛を死に追いやるものは老いだけであるはず。愛おしい神の化身が倒れる理由が思い至らない。
「すぐに参る。」
「かしこまりました。」
乱れる着衣を気に掛ける余裕さえなく、長椅子から勢いよく立ち上がる。従おうとした侍女たちを退け、露博一人のみに追随を許したのは、威厳を保てる自信がなかったからだ。
握り締める手に冷ややかな汗が滲んできて、どんなに急いで足を運んでも、書斎までの距離がいつもより遠く感じる。
「紫苑様。凛様は書斎の隣室で休んでおいでです。」
「わかった……。」
紫苑の只ならぬ気配を察したのか、扉番の臣下が紫苑の歩みを妨げぬよう、すぐに扉を開ける。通例なら王族のみが携帯を許される、王家の紋章を刻んだ首飾りの石を確認するところだが、扉番の安易な配慮を諫めるだけの思考が紫苑には残っていなかった。
「凛ッ!!」
真綿を積んで絹の織物で包んだ柔らかい寝台に、凛が唇を紫色に染めて横たわっている。頬に触れても温もりを感じず、肌は病的に白い。血色のいい薄紅の頬が、今はすっかり影を潜めている。
「何があった。」
「これが書斎の床に転がっておりました。」
差し出された青いガラス瓶を手に取って、ますます紫苑は混乱した。危険な物ならそもそも凛の手元に置かせたりはしない。十分確かめてから渡したのだ。
「毒はないはずではなかったのか?」
「仰る通りでございます。召し上がった様子はないようでして……。」
「飲んでいない?」
「星読みに使ってらっしゃる銀の盆に水が張られておりました。」
「……。」
星の宮が宿す力の多くを、本人以外知ることは叶わない。王の紫苑ですら、秘儀に関して教えを乞うことはできない。神と人に引かれた一線は、どうあがいても超えられない境界線なのだ。
「脈は至って正常でございます。これでも先刻より身体の温かさは戻っておいでです。」
「じきに、目覚めると?」
「そう信じるより他ありません。」
何の慰めにもならない王医の言葉に、紫苑は声を荒げる気力すら削がれる。生気を失った凛に触れることが怖く、ただ手を握って祈ることしかできなかった。
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朝霧とおる