何通りも試作を繰り返し、ゴーサインを貰った帰り道。展示会場の準備期間こそが大仕事なので、どうしても一息つく時間が欲しくなる。腹持ちのいいドリアやピラフが残っていることを願いながら、『アクアリウム』の戸をくぐる。訪れたのはラストオーダー間近の夜八時過ぎだった。
「いらっしゃいませ。」
「こんばんは。まだご飯もの、残ってますか?」
「永井さんがお好きなエビピラフ残ってますよ。」
「じゃあ、それで。」
「はい。」
一週間ぶりでも、『アクアリウム』はいい意味で何も変わらない安心感がある。優しい明かりが情報過多に襲われた頭を休め、包んでくれた。永井はホッと息を吐き出して肩の力を抜く。球体の水槽に目を向けると、永井の存在を気に留める様子もなく、金魚はヒラヒラと優雅に舞っていた。
心配性な性格は二日後に控えた展示会から意識が離れない。集中しているというより囚われていると言った方が正しい。頭を休めるべき時間すら考えることがやめられない。そんな時はここへ来て頭をリセットする。強制的に頭をオフタイムへ切り替えるための儀式だった。
「おまたせしました。」
「あ、クリーム。」
「父から、サービスです。」
グラタンやドリアに使われる店主特製のクリームソースは格別な味だ。優しい味がヒートアップした気持ちを宥めてくれるに違いない。七年も通い詰めているので、智子も店主も永井の好みは熟知している。心遣いを有り難く思いながら、食べる前から満ち足りた気分で手を合わせる。
「ありがとうございます。いただきます。」
暑い中の移動で身体は疲れ切っていたが、思い切って来てよかった。人の温かさに触れると、強張った筋が解けていくのを感じる。
エビピラフに集中していると、空になった永井のグラスに智子が水を足しにやってくる。
「そういえば、永井さん。」
「はい。」
「最近いらっしゃる背の高い二人組の男性、今日のお昼にご来店くださって、永井さんを探してらっしゃるようでしたよ。」
「え……?」
凪いだ心が再びざわめき始める。しかし宮小路グループの御曹司に気に掛けてもらえることが嬉しいかというと、果たしてそういう意味で心臓が早鳴っているのか、永井自身よくわからない。ただ奇妙な昂揚感に包まれているのは確かだ。
純粋にデザイナーの永井を必要としてくれているなら、悪い気分はしない。自分の預かり知らぬところで宮小路が永井のことを偶然目に留め、彼の琴線に触れる何かがあったとしたなら、それはデザイナーの端くれとして有難い話だ。
しかし井伊夫妻のもとを離れる気はないし、宮小路の前で堂々と仕事をする自分は想像できない。せっかくの機会に否しか言えないことはどうにも心苦しくて、面と向かって会う勇気は湧いてこなかった。
落ち着かない気分で彼のことを思い出していると、智子が永井を見て、ふっと笑みをこぼす。
「永井さんが難しいそうな顔されるの、初めて見ました。」
「そう、ですか?」
「そうですよ。永井さんって物静かで清涼感があるっていうか……最初は近付き難い雰囲気がありましたけど。でも実際話したら気さくな方だから、ちょっと意外でした。」
近付き難い孤高なイメージがあり、遠巻きにされることは幼い頃からしばしばあった。他人には動じない性分に見えるようだが、単に感情表現が苦手で、顔が強張ってしまうだけなのだ。これといって親しいと呼べる友もおらず、卒業と同時に連絡も途絶えている。なかなか寂しい現実に苦い思いも走るが、こればかりは相手ありきのことなので自分の力だけでは解決を図れない。
純白の天使、クリストキントのように、せめてこの手で世に送りだしたものたちが、人々の目に留まり長く愛される日を夢見ている。まだまだ遠い道のりだろう。
「お仕事の調子はいかがですか?」
「週明けには、通常運転に戻ります。またお昼の時間、お世話になります。」
「嬉しいです。お待ちしてますね。」
「はい。ご馳走様です。」
宮小路が自分を探しているらしい事は気になったが、満たされたお腹が永井の思考を緩慢にする。控えている展示会の存在感も相まって、家路へ着く頃には忘れ去っていた。
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朝霧とおる