一目惚れとは厄介な病で、脳内は薔薇色に染まり、理想が独り歩きを始める。そして自力でブレーキをかけられないことも難儀なところだ。
行かないと豪語していたのに、痺れを切らして『アクアリウム』の戸を潜ったのは週末だった。つまりは二週間も我慢は保たなかったことになる。
「鎌田」
「逃げられたんじゃないか?」
「……。」
ここは変わらず涼しげで、店内の中央では金魚たちが気儘に水草の間を泳いでいる。彼らには己のテリトリーという概念はなさそうで、警戒したり喧嘩をすることもなく、自由に球体の中を行き来していた。宮小路は溜息と共に羨望の眼差しを彼らに向ける。
「お待たせいたしました。ズッキーニと生ハムの冷製パスタです。」
「どうも。つかぬことを聞くが……。いつも窓側の奥にいる青年の姿を見えないのだが、今日はもう帰ってしまったとか?」
「常連の方なんですけど、素敵な方ですよね。私もファンなんです。お仕事が立て込むそうで、暫くお見えにならないそうですよ。」
連絡が来ないことに業を煮やしていたが、もしかしたら直接会って話したいと思ってくれていたのかもしれない。宮小路はさっきまでの浮かない顔を返上して、向かい合う鎌田に微笑む。
「彼に仕事の打診をしていてね。そうか。忙しいなら仕方がないな。」
何が打診だと言わんばかりに、鎌田が白々しい目で宮小路を見る。しかし宮小路に恥をかかせようとまでは思わないのか、呆れた胸中を声に出したりはしなかった。
「引き止めてすまない。ありがとう、いただくよ。」
「ごゆっくりどうぞ。」
スカウトという名のナンパを決行しておいてなんだが、展示会を終えるまでは宮小路もひと息つけない。互いに時間の余裕がある時、ゆっくり口説く方がいいと思い直す。
「おまえ、いつもトマトソースで飽きないのか?」
「好きだから飽きないね。今日はよそ見の必要がないから、綺麗に食べてみせるさ。」
「前向きなのは結構だけど……。断られて、仕事に手が付かないなんて事は勘弁してくれよ。」
「そこまで無能じゃない。」
「前科があるから言ってる。」
透き通るガラスにぶち当たることなく器用に泳ぐ金魚たちを不思議に思う。宮小路の恋愛遍歴が残念なのは性癖によるものではなく、邪な輩を引き寄せる宮小路の人と成りだと鎌田に断言されていた。
宮小路グループ創業家の一員として、生まれながらに名が知られてしまっているのは、状況によって善し悪しだった。
恵まれた環境に身を置きながら、若く未熟な時は人の怖さもそれなりに経験したものだ。その割に擦れていないところが良いところだと仕事関係者には存在を重宝してもらえるが、その分プライベートの寂しさが際立つ。
鎌田という公私共に信頼できる友がいる一方で、宮小路が心から気を許せる友は鎌田を除けば皆無だった。
「別に特別な事を望んでいるつもりはないんだけどな。どうしても上手くいかない。」
社長業もデザイナーとしても、今までの結果が天職だと告げている。現状では二足のわらじを上手く履きこなしていた。しかし人間の足は二本しかない。生活に恋愛要素を足した途端、全ての均衡が崩れることを繰り返している。
「まずは財布から恋人に昇格しないとな。」
「最初からそんなつもりはない。結論から言えば、否定はできないが……。」
「いや……。俺から見てると、おまえは最初から財布だぞ。つまり、人を見る目がない。」
「人選には自信がある。」
「それは仕事の話だろ。恋愛となると、おまえのセンサーは完全にイカれてる。」
素晴らしいパートナーを持つ相方に言われてしまうと、説得力があって反論できない。ぐうの音も出ず沈黙のまま冷製パスタを口へ運ぶ。
「素性どころか名前すら知らないのにハマってるから、俺は心配だね。確かに今までおまえが引っ掛けてきた中で一番人は良さそうだけど、人を見た目で判断するのがどれだけ危ないかわかってないわけじゃないだろ?」
「彼は絶対大丈夫。」
「そもそも……。あっちがヘテロなら望みすらないんだってこと、わかってるか?」
「いや、そこはイケると思ってる。」
「どうだか……。」
さすがにそこを外すと始まる前に玉砕してしまう。同じ気配を感じ取るからこそ膨れていく好意のままに向かうわけだが、自分に納得しかけて宮小路は思考を止めた。
仕事で人選をする時はそんな生温い基準で人を連れてきたりしない。しかし恋人探しは同性を愛せる性癖であるかどうかしか気にしていなかった。そんな単純な過ちに、たった今、宮小路は気付かされたのだ。
「鎌田」
「なんだ?」
「どうやら俺は間違っていたらしい。」
ふと視線を感じて店の中央へ視線を移す。すると憐むように一匹の金魚が宮小路を見つめてヒレを揺らめかせていた。
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朝霧とおる