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とおる亭

*BL小説* 全作品R18です。 閲覧は自己責任でお願いいたします。

宮小路社長と永井さん「アクアリウム」4

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宮小路社長と永井さん「アクアリウム」4

仕事関係者をファイリングした名刺用ケースではなく、手帳に付いている小さなクリアケースへ名刺を仕舞い込む。永井は『アクアリウム』での出来事はちょっとしたアクシデントだと思うことにした。

人手を探しているといっていたが、あいにく職はある。恩人である井伊夫妻のもとを離れるつもりはないし、やはり何かの間違えだと思う気持ちが勝っていた。現にあれから宮小路はこのカフェを訪れていない。『アクアリウム』を訪れる全ての客と顔を合わせる智子がそう言うのだから、来店時間がズレて会えないわけではないことも承知していた。

これから一週間は展示会の準備のため、毎日紡績工場の担当者と下準備がある。しばらくここへ来る事が叶わないので、気合いを入れるためにデザートを注文する。今日は自家製のクリームブリュレ。濃厚な舌触りを堪能しつつ、スケッチブックに何度も修正を繰り返した。

真夏だというのに、スケッチブックの中に描く世界は冬だ。まさにクリスマス商戦の前哨戦を告げる展示会であることから、今年度の明暗を占う上で重要な展示会といえる。

クリスマスカラーの一つである白で勝負することにしていたが、永井は雪ではなく純白の天使をモチーフに選んだ。

ドイツではサンタクロースよりクリストキント、幼少のキリストをクリスマスに愛でる。黄金の髪に白い衣装を身につけた天使がクリスマスへのカウントダウン、アドヴェントを盛り上げ、子どもたちに贈り物を届けてくれる。

憧れの地ではあるが、自分の足でその地に降りたことはなく、いつか中世の面影を残す街を訪れてみたい。奨学金の返済すらやっとの自分には遠い夢だが、展示スペースにその息吹を込めることができたらと願う。演出が目に留まれば、レストランでもショーウィンドウでも、一歩ずつ現状より世界を広げていきたい。大きな展示会であるだけに、チャンスをものにしたいところなのだ。

同じ白でも選ぶファブリックを工夫し、無地の白が持つ様々な顔で勝負する。鮮やかな白、深みのある白。ひとくちに白と言っても表情は多岐に渡る。難しく遣り甲斐のある仕事に、永井の手も勇んでいた。

クリームブリュレをスプーンですくっていると店の入り口で鐘が鳴る。つい顔を上げてしまった理由を、永井は少し苦々しく思った。宮小路かもしれないと心のどこかで期待し、そうではないことにガッカリしてしまったのだ。

宮小路デザイン事務所のオフィスは『アクアリウム』から近い。また会う機会はあるかもしれないが、どうも場に馴染まない二人であることを思うと、多くは期待できない。

一度会えば、次もあるような気がしてしまう。勘違いや気まぐれより、自分にとって都合の良い僥倖だと思いたくなる。

声を掛けてもらい繋がった縁をみすみす逃そうとしているのは、図々しくなることに抵抗があるからだった。接点があったのだから、同じ業界にいる身として仕事を貰えないか食い下がるくらいの気概はあってもいい。しかし押しが強くなければ生き残っていけないこの世界で、どうしてもあと一歩の強引さを発揮できない。永井の場合、行動力を阻んでいるのはプライドではなく遠慮だった。

井伊夫妻は永井の良さだと笑ってくれるが、永井は落ち込むことも少なくない。請け負った仕事には真摯に向き合っているつもりだが、周りに流されやすいことを思うと、自分を選んでもらう意味がどこにあるのかと自問してしまう。

宮小路の目に何故か永井の姿がとまったらしいが、果たして御曹司のお眼鏡に叶う自分かと考えると自信がない。だから自分から連絡をする勇気も持てなかった。つまりは怖気付いているのだ。どこかで再び会う機会があったとして、彼の存在感に萎縮してしまうのが目に見えている。

いくつか事務所から持ち出したサンプル生地に触れながら、繰り返しスケッチブックにイメージを描き出していく。どんなに心乱れていても、この作業に没頭し始めれば、不安や焦燥感から解放されるのだ。

肌でファブリックの質感を確かめていると、手先に神経が集中するぶん、自分を悩ませる多くのものが鎮まる。目を瞑ると、効果は一際大きかった。

「よし。」

最後の線を引き終えて、ペンを置く。受注した際から繰り返してきた先方とのやりとりも、手応えがある。いつもより素材や予算が多く、永井にしては珍しく興奮している案件だった。

ランチタイムをめいいっぱい『アクアリウム』で過ごさず、永井は手早く荷物をまとめ、店をあとにする。外の陽射しは相変わらず肌を強く照りつけたが、永井は気に留めることなく、湧いてきた集中力を途切らすまいと事務所までの道を急いだ。









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