ランチタイムは事務所から徒歩十分圏内と決めている。遠出をするとゆっくりする時間が取れなくなるし、近場なら急ぎの用事ができた時に戻りやすい。非常に合理的だ。
宮小路彰(みやこうじあきら)はここ連日通い詰めている『アクアリウム』という小さなカフェで、今日も日替りパスタを口に運んでいた。
手入れの行き届いた水槽の中で、様々な体型をした金魚たちが気儘に泳いでいる。ここに来ればランチタイムの一時間が優雅に感じられるので、大層気に入っていた。しかし宮小路がここへ来る理由はそれだけではない。
「鎌田。窓側の一番奥に座ってる彼、デザイナーだと思う?」
「いつ言い出すかと思ってたけど、やっぱりそれ目当てか……」
「よくわかったな。」
「ソース垂らしながらずっと見てるから気付くよ。」
「おっと……」
一つ歳上で事務所の雑務を一手に引き受ける鎌田から指摘され、慌てて服を見下ろす。トマトソースは白いナプキンの上に着地して赤い染みを作っていた。
事細かく作法を叩き込まれてきた身としては不覚だ。しかしそれだけ夢中になって観察している証拠でもある。
窓際に収まっている彼は、パソコンを打ち鳴らしている時もあれば、何かをスケッチしている時もある。連日観察した結果、どうやらデザイナーらしいと合点して、さらに興味を惹かれている。
「声掛けてもいいかな。」
「何て言って声かける気だ?」
鎌田家は宮小路家のサポートを多く引き受け、鎌田厚(かまたあつし)も例に漏れず、宮小路が社長を務めるデザイン事務所の手伝いを買って出てくれていた。
宮小路グループは創業当時から一貫してファブリックを世に送り出し、規模を順調に拡大してきた。明治時代から続く呉服屋がその起源だが、戦後以降の販路は多岐に渡る。今では服やインテリアに使われる、ありとあらゆる生地や織物を提供している会社として屈指の財を成していた。
宮小路が立ち上げたデザイン事務所は宮小路グループの傘下にあり、今現在はカーテン生地のデザインを主力に据えている。これから規模を拡大していくにあたって人材を増やしたい。断じて邪な気持ちから彼に声を掛けるわけではないのだ。
「君の雰囲気に惹かれた、っていうのはどうだ?」
「ヤメろ。それじゃ、ただの不審者だ。」
「え、そうか?」
「もっとマシな……例えば、仕事をお願いできないかと思って、とか。おまえの名刺出せば、向こうだってすぐ合点がいくだろ?」
「それじゃあ、ロマンチックじゃない。」
「真面目にスカウトする気があるのか?」
「至って真面目だよ。」
一目惚れであることは否定しない。黒く艶やかな髪や、血色の良い小振りな唇。青年らしい肩幅のわりに細身な体躯が宮小路の目を惹いてやまない。どこからどう見ても、宮小路の好みを地で行く青年だ。年の頃合いは二十代後半に見える。もしかしたら宮小路や鎌田より十近くも下かもしれない。
席を立って会計に向かう彼が二人のテーブルを横切る時、自分はつい息を止めてしまう。清廉な雰囲気を自分の肺から出す空気で汚してはいけないと思うほど、透明感が押し寄せてくるからだ。
「おまえ、求人の取り下げをした原因は彼か?」
「是非うちで雇いたい。実に真面目そうだ。」
「本気でそう思うなら、通報されかねない挨拶はやめておけ。」
「鎌田はつまらないな。」
「俺が止めなきゃ、おまえは本当にやりかねないからな。」
「まぁ残念だが、鎌田の言うことは一理ある。」
呆れた様子でこちらを見る鎌田の前で、最後の一口を運び終える。ナプキンで口を拭って清涼なレモン水を喉に流し込むと、宮小路は頭のスイッチを入れ替えて立ち上がった。
自分の審美眼が確かなものか、それを見定めに行く瞬間というのは、いつだってワクワクするものだ。すっかりその気になっている宮小路に、鎌田が腕組みをして眉を寄せる。宮小路はそんな鎌田に微笑み返して、窓側で仕事に励む青年のもとへと歩き出した。
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朝霧とおる