望むままにこの身を貪り尽くそうとする恵一が、ようやく腕の中で眠りについた。ホッとするような、もう少し睦み合っていたかったような複雑な気分だ。
恵一を見ていると、人を好きになる事が命懸けの所業に思えてくる。もっとラクに生きれば良いのにと思うけれど、きっと恵一にはそういう生き方をする器用さはないのだろう。
今ある不安が消えたところで、また次の不安が恵一を掻き立てることになる。だからせめて自分だけは、揺れ動いたりしないようにしっかり立っていなければいけない。そうでなければ共倒れだ。
手狭になってしまった部屋をぐるりと見渡す。本棚の横にはとっくに収まりきらなくなった本が山積みだ。ここを出ようかと提案した時、恵一は乗り気ではなかったと思い出す。
紳助はこの場所に特別愛着があるわけでもない。元々子どもの頃から引っ越しの多い家庭環境だったから、定まった場所にこだわっていられるような状態でもなかった。むしろどこでもやっていくための適応力の方が求められ、ごく自然に断ち切る方法を身に付けていったと思う。
恵一は違うらしい。困ったように笑って、離れたくないと彼の目は訴えていた。
「でも、狭いよな・・・」
紳助がアルバイトをしている建築事務所は大学から電車で一本だ。二十分ほど揺られて着いてしまうような距離。卒業して通勤することになっても、恵一に合わせてこのままここへ居座る事が不便なわけではない。しかしせめて部屋はもう少し広くしたい。元々一人暮らし用に誂えてある部屋に無理矢理二人で入っているから、収納スペースが足りていないのだ。
強引に他を借りて出れば渋々ついては来るだろう。けれど寂しげな瞳で見上げられる様が目に浮かぶ。
「卒業の時か・・・」
そのタイミングを逃せば、出るに出られなくなるだろう。可哀想だが、今度は彼が愛着を持っても困らない場所へ移ろうと、紳助は幸せそうに眠る恋人の寝顔に誓った。
* * *
恵一はぎっちり講義を詰め込んでいるが、紳助はというと歩に誘われて、履修登録も出していないテニスの授業に参加していた。
完全にただの気晴らし。デスクワークばかりで身体が鈍るから、履修はしていなくても、ほぼ毎日どこか身体の動かせる授業に顔を出している。特に人見知りをする質でもないし、四年にもなればすでに見知った顔は多い。気楽なものだ。
「お昼、恵一と一緒だったんですけど・・・」
「ん?」
「目、ちょっと腫れてる気がしたんですけど。」
何でこいつに責められなきゃならないのだと思いながらも、歩は常に恵一を庇う奴だ。大体、紳助の方が悪者にされる。
「いじめたわけじゃねぇぞ。」
「ホントですか?」
「信用ねぇな。」
「ないですよ。」
間髪入れずに断言した歩を溜息交じりで見遣る。普段おっとりしているくせに、仮面かと言いたくなるくらい、恵一の事に関しては紳助に対して手厳しいし鋭い。
「不安だ、って言って泣くんだよ。」
「紳助さんが不安にさせてるんじゃないんですか?」
「・・・そうかもな。」
「大事にしてない、ってわけじゃないと思いますけど・・・紳助さんって淡々とし過ぎなんですよ。」
「何でもお見通しに見えるらしいよ。」
「ああ、確かにそうかも。俺から見ると、怖いくらい大人です。」
おまえたちが子ども過ぎるのでは、という言葉は取り敢えず呑み込んでおく。
「いつの間にか捨てられそうで怖い。」
歩の言う事は聞き捨てならない。恵一も同じように思っているかもしれないからだ。
「干渉し過ぎかな、ってくらい、構ってあげて下さいよ。二人で一緒にやる事を増やすとか。紳助さん、何でも一人でできちゃうから・・・恵一、寂しいんですよ、きっと。」
寂しい、と言われて胸にチクリと棘が刺さる。歩の説明が胸にストンと落ちてきて、今まで不可解だった恵一の言動の正体が解けた気がした。
手助けしているつもりが、自己満足で完結していたのかもしれない。そう思うと恵一に随分可哀想な事を強いていたことになる。
「歩。良い事聞けて、助かった。」
「お役に立ちました?」
「ああ。」
得意げな顔を見て、つい笑ってしまいそうになるが、機嫌を損ねると面倒なので辛うじて呑み込む。
「おまえの恋人、優しい?」
「もちろんです。紳助さんみたいに意地悪じゃないですよ。」
「おまえさ・・・わりと容赦ねぇよな。」
「そうですか?」
歩がテニスラケットとボールを弄り始めてコートの反対側へと歩き出す。
彼は高校時代、全国クラスのプレーヤーだったから本気を出されると手も足も出ない。今日は何もかも歩に完敗だなと天を仰いで身体を解す。
せめてしっかり身体を動かして頭をスッキリさせようと、歩と対峙してラケットを構えた。
いつも閲覧いただきまして、ありがとうございます。
にほんブログ村
B L ♂ U N I O N
Twitter
@AsagiriToru
朝霧とおる