順調な進捗具合に頬の筋肉を緩ませて、坂口は瀬戸にメールを送る。高揚した気分に任せて一度は電話の受話器を上げかけた。しかし私用のお誘いに使おうものなら、瀬戸から白い目で見られる気がして、かろうじて堪えたのだ。
「坂口さん」
「お疲れ、川辺。行こうか。」
「はい。」
並んで企画フロアから出る。瀬戸と同様、川辺も淡々としたタイプだが、こうやって先輩である自分を迎えにくるマメさはある。柔和な表情から近寄りがたい雰囲気もない。だから痛いくらいの視線に坂口は内心首を傾げた。
「瀬戸のサポート、ありがとう。手回ってなくて丸投げ状態だったから、助かった。」
「いえ。瀬戸の面倒見るのも、俺の仕事ですから。」
言葉の端々に棘まで感じて、いよいよ様子がおかしい。何か怒らせるような事をしたかと考えてみるものの、これといって心当たりはない。
「坂口さんとお昼出た後から、瀬戸の様子がおかしいんですけど。」
「え?」
「随分、上の空ですよ。」
「そ、そうなの?」
「全然進んでないので、あの状態だと残業です。」
心当たりならある。夜、家に来るよう誘ったけれど、瀬戸から快諾してもらえなかった。やり残した家事を放置して何日も家を空けたくないと渋られたのだ。しかし今は一歩引く時じゃないと全身が訴えている。中途半端に間を空けたら、昨夜から立て続けに起こった奇跡がなかったことにされるのではないかと、こちらも気が気ではないのだ。繋がった糸をどうにかキープしたくて、強引に頷かせた。瀬戸宛に送ったメールは念押しだった。
「坂口さん、瀬戸のこと振り回さないでくださいよ。」
「・・・。」
温和な川辺が睨んで見上げてくることが意外過ぎて、坂口の目は泳ぐ。咎められるだけの理由はあるにしろ、川辺がどういう立場で坂口を責めているのかがわからない。会議室で二人きりになると、川辺は怒っているというより呆れた様子で坂口を見て溜息をついた。
「貸すならもっと落ち着いた色のシャツ着せないと、皆にバレますよ。瀬戸が着てるシャツ、坂口さんのですよね。」
「・・・昨日泊めたから、貸しただけだよ。同じ服のままなのも、なんだから。」
無意識に喉が鳴る。川辺の目は完全に疑いの眼差しだ。言い訳が虚しく霧散していく。
「坂口さん、瀬戸のこと好きですよね?」
「・・・。」
「瀬戸がそれでいいなら、別にとやかく言うつもりないですけど。あんまり露骨な態度取ってると、瀬戸のこと傷付けますよ。」
「・・・気を付ける。」
「そうしてください。それと・・・気付いてる、っていうのは黙っててくださいね。瀬戸が出勤してこなくなったら困りますから。」
「ちなみに・・・いつから気付いてた?」
職場の人間にバレることだけはマズイと思ってきたし、今もその考えは変わらない。席に着き、意味もなく書類に目をやりながら、恐々尋ねる。返ってきた苦笑は想像の範疇だったが、川辺の言葉に崩れそうになった。
「瀬戸が入社して間もなく。坂口さん、随分熱心に誘ってましたもんね。長い間、瀬戸が素っ気なかったから、まさか付き合うとは思ってなかったですけど。」
「・・・厳密に言うと、まだ付き合ってない。」
「ああ・・・だから瀬戸に落ち着きがないんですね。」
幸いなのは川辺の口が堅かったことだけだ。隣席の先輩に筒抜けだなんてことが瀬戸の耳に入ったら、川辺が言う通り、繊細な瀬戸のことだから気に病みそうだ。
「今回、なんでローションの仕事、瀬戸に投げたんです?」
「いや・・・川辺のスケジュール、詰まってたから・・・。」
「大丈夫って言った手前、蒸し返すのもなんですけど・・・。坂口さんが中途半端なことするから、途方に暮れてましたよ。」
「悪い・・・。」
「好きなのは仕方ないですけど、坂口さん公私混同多過ぎです。」
返す言葉もない。瀬戸のことで必死だった。川辺に少なからず悪影響があったことも否定できない。
「泣かせたら許しませんよ。」
「・・・肝に銘じとく。」
「始めましょうか、打ち合わせ。」
「ああ・・・。」
年下に諭され、浮かれ気分が急激に冷めていく。しかし今回の事は完全に自業自得なので反論の余地はない。詰めたかったスケジュールがあったものの、今日の川辺に食い下がるのは難しそうだ。
心の中で瀬戸に謝って、当分社内で彼を刺激するのはやめようと心に誓った坂口だった。
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朝霧とおる
1. 無題
ありがとうございます。
楽しみです。
Re:無題
コメントいただきまして、ありがとうございます!
このお話の見守り隊隊長は川辺でございます。
普段は淡々とお仕事に励んでいる先輩ですが、瀬戸のことをなにかと気遣って可愛がっています。
振り返ってみると、瀬戸の変化に気付いてさりげなく坂口の事をよいしょしている場面などもありますので、そちらも楽しんでいただけたら幸いです。
もうすぐラストを迎えますが、結末まで見守っていただけたら嬉しいです。