坂口からのダメ押しのメールに溜息をつく。ズルズルと二日も先輩の家で世話になるのは、社会人として問題があるだろう。貸してもらったシャツは自分の趣味趣向とは全く違う。長さも瀬戸の身丈に合っているとは言い難く、借り物であるのは誰の目から見ても明らかだ。
他人のことを注意深く観察している人ばかりではない。けれど一度意識し始めると、坂口のことばかり頭に浮かんで、気が散ってしまう。落ち着かないから集中できない。先程からモニターの中で意味もなく矢印が彷徨っている。しかし今日中に上げなければならない案件が一件あるので、正直停滞している場合ではなかった。
「瀬戸、進行具合どう?」
「あ・・・川辺さん。」
「進まない?」
打ち合わせから戻ってきた川辺に力なく笑う。単純に行き詰っているのとは違うから、原因を打ち明けるわけにもいかない。
一方の川辺は、着席する様子がなく、抱えていた書類を立ったまま仕分けている。パソコンを起動する気配もないので、不思議に思って先輩を見上げた。
「瀬戸、上の資料室でも行かない?」
「・・・。」
「きっと画面の前で張り付いてても進まないでしょ、それ。」
「・・・はい。」
有難い提案に瀬戸は頷く。坂口のことを一旦頭から追い出さないと、仕事が捗りそうにない。行き詰っているシールの仕上げ。資料の山に埋もれて名案が湧いてくるのを待つのも一つの手だろう。
パソコンをスリープ状態にして、伸びをしながら席を立つ。瀬戸は川辺にお誘いに乗って、彼のあとを追った。
* * *
気晴らしに来たのに、その資料室で忘れたかった張本人と出くわして絶句する。
「瀬戸、お疲れ。」
「・・・。」
川辺とは探す資料が別ジャンルだったため、二手に分かれていた。過去の制作物を漁っていたら、いつの間にか没頭していて、背後から坂口が近付いて来たことに気付いていなかった。焦って川辺の姿を探すが、近くに彼の姿は見えない。困惑したまま坂口を見上げると、彼の視線はすでに瀬戸の手にあるファイルに注がれていた。
「探し物?」
「・・・はい。」
「キャンペーンのシールか。もしかして行き詰ってる?」
「少し・・・。」
瀬戸が律儀に先頭ページからめくっていたファイルを覗き込んで、坂口が唸る。
「そっか。ちょっとそのファイル貸して。」
「は、はい・・・。」
一瞬触れた手に緊張が走る。けれど坂口の横顔を盗み見ると、ファイルに落ちた彼の視線は真剣そのもの。妙に意識して過敏になっているのは自分だけのような気がして恥ずかしくなる。
「この辺りとか、どう?」
求めている資料を探すにも一苦労な自分とは違い、坂口の手は最初から的を射てファイルを開く。すぐに目的の物を見つけたらしい坂口は、ファイルを瀬戸に差し出してきた。
「赤とシルバーだと、こういう仕上がり。ブルーだとこっち。悩んでるのは配色だろ?」
「・・・。」
「ゴメン、違った?」
「いえ・・・違いません。」
相談する前だというのに、坂口は瀬戸の躓きを正確に見抜いている。その観察眼と熱心さに感心してしまう。同時に坂口の好意が現実味を帯びて胸に響いた。
いつから坂口は好きだったんだろう。今まで思い至らなかったことにようやく行き着く。ずっと見守られて大事にされてきた。何年も想いを隠して仕事でのサポート役に徹してくれていたのかもしれない。生半可な想いで気持ちを返せないから、どうしたって構えてしまう。
「俺の所為?」
「え?」
「元気なさそうって、川辺が心配してたから。」
息の音を感じるほど距離を詰めて来た坂口に、瀬戸の顔は火照っていく。
「責任感じる。」
「そんなこと・・・」
「俺とのこと、ほどほどには悩んでほしいんだけどさ。仕事に支障出るほど困らせたかったわけじゃないんだ。」
「坂口さんッ・・・」
いつ誰が来るかもわからない場所で抱き締められて、背後から襲ってくる温もりに身体が震える。
「大丈夫、今は二人だよ。内鍵閉めちゃったから、誰も入ってこない。」
「え、でも、川辺さんが・・・」
「適当に言って、下に帰したから。」
「・・・。」
確信犯だったことを明かされても、唖然とするだけだ。用意周到な手管に呆れてしまう。先刻の感動を返してほしい。
「俺、待たない方がいい?」
「え・・・?」
「強引なくらいが丁度いい?」
甘い声が、早く陥落してしまえと耳元で囁く。
「俺さ、元々待つのは苦手なんだ。瀬戸が許してくれるなら、もう遠慮しないんだけどな。」
やっぱり待つ気なんか更々ないのだ。昨夜は誤魔化されたけれど、抱いていた疑問が確信に変わる。
前に回っていた坂口の腕を振り解こうとして、かえって腕の力が強まった。
「坂口さん・・・」
「仕事、早く終わらせて、絶対来て。」
「そう思うなら、こういう事しないでください!」
「定時過ぎたら、様子見に行くから。」
「・・・え?」
「付きっきりで残業するのと、今から死ぬ気でやって定時に帰るのと、どっちがいい?」
ここまできたら、完全に脅しだ。どっちも嫌だけど、背後で見張られたら二課の面々が不審に思うだろう。それだけは絶対に避けたい。
「・・・せ、ます。」
「ん?」
「定時までに、終わらせます。」
「そっか。良かった。」
満足そうな溜息と共に、身体を纏っていた坂口の手が緩む。その隙に脱出して、坂口に背を向けたまま急ぎ足で資料室を出た。
大きなファイルを抱えたまま二課のフロアへ舞い戻り、先に戻っていた川辺を少し恨めしい思いで流し見る。しかし時計を視界に入れた途端、どうにかせねばと焦る気持ちが強くなって、瀬戸は慌ててパソコンに向かった。
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朝霧とおる