飯塚に会ってどうするかなんて何も考えていなかった。ただ駿の存在に惑わされる部屋から逃げ出したい気持ち一心で。駿がシャワーを浴びている隙に、最低限の荷物を鞄に詰めて、アパートを出た。衝動的だった。とにかく逃げるなら今しかないと思えて。駿が手を伸ばしてきたら、きっと自分は拒めない。またあの腕に抱かれて、悲しい夢に堕ちてしまう。飯塚のことが頭に浮かんだのは、家を出た後だった。
駅のホームで呆然と飯塚の名を見つめていたら、彼からタイミング良くメッセージが来たのだ。それがなけなしの勇気を絞り出す引き金になって、何を言うかも考えずに、縋るように電話をかけた。
「やさし・・・。」
電話中に鼻を啜ったのは失敗だった。ホッとして少しばかり滲んでしまった涙を堪えた所為で、鼻がツンと疼いたものだから。電車がホームに滑り込んできたのは事実だったけど、呆気なく電話を切ったのは、泣きそうになったのを悟られたくはなかったから。泣きそうなことがバレたら、きっと必要以上に心配させてしまう。しかし一方で気付いて欲しいと望む気持ちもある。
飯塚って、狼狽えることがあるんだろうか。不思議に思うくらい、いつも彼の声音は落ち着いている。とても同じ歳とは思えない。もしかしたら自分がずば抜けて大人になり切れていないだけかもしれないけれど。
減速し始めた窓の向こうを見ると、線路に沿って誰かが走っているのが見える。目を凝らして街灯に照らし出された顔を見て、思わず大友は目を見張った。
「飯塚じゃん・・・。」
呟いた大友の近くで乗り合わせていた数名が、不審そうにこちらを流し見てくる。しかしそんな事も気にならないほど、彼の必死な走りっぷりに頬を緩める。そして同時に所構わず泣き出したい気分になった。
電車が完全にホームで止まる。ドアから排出される人混みに紛れて大友も下車したが、駅のホームに設置された時計を見上げて立ち止まった。
ホームで五分待って、ゆっくり歩いて改札口へ向かおう。きっとまだ彼は改札口に辿り着いていないだろうし、飯塚が思い描いていそうな出迎えを叶えてあげたくなった。
きっと彼は何事もなかったかのように涼し気な顔で出迎えたいと願っているはずなのだ。優しいからこそ、大友を心配させまいとする。自分のために走ってくれる彼の姿は、この胸にちゃんと刻み込まれている。だから格好くらい付けさせてあげたいと思った。
「俺、必死になるもの、間違えてたのかな・・・。」
ただ一途に駿を想い続けることを愛だと思っていた。別れを繰り返してもなお、受け止めることが良い事だと信じて疑わなかった。傷付いて打ちのめされても、彼を恋しく思う自分に自惚れていたと思う。
けれど自分の中で駿の存在は偉大だった。学生時代、周囲に馴染めなかった自分を励まし続けてくれたのは確かに彼で、その存在に心救われていたのは事実なのだ。
気付いた時には、心から彼を引き剥がしたくなるほど傷付いても、駿のことが好きだった。そして幾分冷静になった今も、彼を好きだと思う気持ちが残っている。心も身体も、深く駿が刻み付けられていて、好きだった気持ちを封じることも、忘れ去ることも到底できそうにはない。
駿のことを想うこの気持ちごと、誰か受け止めてくれないだろうか。迷うことなく思い浮かんでしまうのは飯塚の顔だったが、都合良く考え過ぎだなと苦笑いをする。
時計の針が下車してから五分きっかり動いたところで大友は歩き出す。反対側のホームに電車が滑り込んできて、再び人の波に呑まれて改札口を目指した。
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朝霧とおる