去っていく背中を見るのはつらいけど、同時に今藤の潔さを感じて惚れ直す。今藤の広い背中はいつ見ても惹かれてしまう。今藤がストップをかけてくれて良かった。あのまま飲み続けていたら、多分自分は何かとんでもない失敗を侵すことになったと思う。散々飲んだが、まだそんな事を考えられるくらいには冷静だった。
ちょっと奮発したけど、好きな男に使う金は惜しくない。今藤もまんざらでもなさそうだったから、他人から見たら些細な事でも、雅人にとっては大収穫だった。
「聞けなかったなぁ・・・。」
はぐらかされるのが怖くて、結局恋人の有無は聞けなかった。今藤に拒まれることが、今の雅人には一番堪えることだ。好きな人の本音やプライベート情報を知りたいと願いつつ、壁を作られることが何よりも恐ろしくて一歩を踏み出せない。
こんな恋を自分はしたことがなかった。
告白されて付き合うことを繰り返し、結局気持ちが向ききれず関係が破綻することを繰り返してきた。けれど自覚してしまった初恋ともいえるこの現象に戸惑いと苦しみは増すばかりだ。
今藤が欲しい。その想いはあまりに明確で疑いようがない。今藤の言動に一喜一憂している自分が哀れだが、どうケリをつけたら良いのかも依然わからないままだった。
だってどう終止符を打てばいいのかわからない。同じ会社に勤める仲の良い同期だからなおさらだ。一人で頑張ってきたわけじゃない。お互い支え合ってここまできて、今さらこの良好な関係にヒビを入れるようなバカな真似はしたくなかった。
二人の関係がぎこちなくなれば、同期の酒井たちだって不審に思うだろう。万が一、訳が知れ渡るようなことになれば、正直ここにはいられない。何事もなかったように振る舞えるほど、雅人の神経は図太くはなかった。
「あぁ、好きだなぁ。すっげえ、好き・・・。」
一人アパートのベッドで天井を見上げながら呟く。今なら誰も見ていない。雅人が何を言おうと誰の耳にも届かないから。
「好き。どうしよう・・・なぁ、今藤。俺、おまえのこと好きなんだ。どうしてくれんだよ・・・。」
しこたま飲んでて良かった。眠気に負け始めた身体が疼くことを拒んでいる。好きな男と飲んだ後、その彼を思い浮かべて自慰をするなんて間抜け過ぎて笑えない。疲れていて良かった。自分は今日も間違えたりしなかった。それだけで、幾分心は救われている。
スーツも脱がず、このままでは明日の朝、皺だらけで悲惨なことになっているだろう。けれどそれでも構わなかった。深い眠りに落ちて、この胸に巣食うせつなさから逃れたい。このまま起きていれば確実に泣く。三十も過ぎて、恋に振り回されて泣くなんて滑稽だ。プライドが高い自分には許せない所業だった。
布団もかけず寝落ちすれば風邪でもひいて、年末年始、正真正銘の寝正月になるかもしれない。しかし意識がはっきりしていたのはそこまでだった。急速に引きずり込まれた夢の中に身体と意識をそのまま委ねる。雅人は頭痛と悪寒で目覚めるまで一度も目を開けることなく眠り続けた。
* * *
今年も残り五日を切った朝。幸せな昨夜の宴が嘘のように、雅人は自身の予測通りしっかり風邪を引いた。体温計は三十八度五分を告げている。症状は頭痛と寒気だけだ。布団もかけず暖房もつけず、ついでに心が病んでいた。至極当然の結果だといえる。
もう病院は正月休みに入っている。たとえやっていたとしても億劫で行く気にはならなかったかもしれない。湯冷めしないようにシャワーだけは浴びて昨夜の名残りを洗い流し、着替えてベッドの中に収まる。
気怠い身体である一方、雅人の心はさほど憂鬱ではなかった。うだうだと今藤の事を考え続けることを熱で朦朧とした頭が遮ってくれるお陰で平穏だ。ただ猛烈な人恋しさだけが胸を占める。
別に誰だって良かった。人の気配がそばにあってくれるだけでいい。そこまで考えて熱に浮かされた雅人が行き着いた答えは、男を呼ぶことだった。多分、普段の自分だったらそんな答えには行き着かなかっただろうが、ブレた思考回路が、いつかの帰り道に貰った怪しげなティッシュ広告に着地し、気が付いた時には呼び寄せていた。
「え? しないの?」
おそらく二十代前半だと思われる可愛い顔をした青年は、全く雅人の好みとはかけ離れていた。しかしあえてそうしたのは、電話しながらも自衛が働いていたからだろう。
彼がきょとんとした顔で疑問をぶつけてくるのは当然だ。三時間も拘束しておいて何もしてこない客など皆無だろう。しかも肝心な客は熱にうなされて寝込んでいる。今さらながら随分間抜けなことをしたものだなと自分でも思ったが、人を家に上げたことで、一人きりの寂しさから幾分解放された。
「コレ、お金。足りてる?」
「足りてます、けど・・・。」
「そこにいてくれるだけでいいからさ。」
「・・・。」
訝しげに雅人の顔を見ていた青年が、すくっと立ち上がる。怒ってしまっただろうかと回らない頭で考えていると、そうではなかった。
「俺・・・薬買ってくるよ。飯も適当に買ってくるから。」
「そう?」
内心、逃げられてしまうかなと思った。せっかく呼んだのにまた一人ぼっちかと思ったら寂しくなる。しかし雅人の心配をよそに、名も知らぬ青年は近くのドラッグストアとスーパーマーケットのビニル袋を提げ、二十分ほどで戻ってきた。
「お兄さん、恋人いないの?」
「いるように見える?」
「まぁ、いないから俺のこと呼んだんだろうけど。友だちもいないわけ?」
「そのお友だちが好きだから呼べないんだよ。」
「あぁ、なるほど。顔、結構カッコいいくせに、チキンなんだ。」
「酷い。俺、客だよ?」
遠慮のない物言いに雅人はつい笑みをこぼす。若さ故の傍若無人な物言いが微笑ましくも懐かしい。
「俺の客はセックスするって相場が決まってんの。あんた、パシリに俺のこと呼んだだけじゃん。」
「悪かったって。」
「薬代と飯代、あと交通費。一万でいい。これ返す。」
一時間で一万円の契約だ。一時間しかいてくれないつもりだろうか。そう尋ねると大きな瞳でこちらを睨みながら呆れたように言い返してくる。
「約束通り三時間いるよ。でも、ただ横にいるだけで三万も貰えない。お兄さんが汗水流して働いた金じゃん。無駄遣いすんなよ。」
思いもよらぬ発言に、雅人は苦笑する。
青年はその後きっちり雅人の言いつけ通り、そばにいて欲しいという願いを実行し、後腐れなく去っていった。
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朝霧とおる