年末の挨拶周りを済ませ、鬼の形相で山のような書類を片付けたのは、少しでも今藤の顔が見られたらいいなという、かなり個人的な欲求によるものだった。
「あぁ、フラれた・・・。」
「は? おまえ、付き合ってないって言ってなかったっけ。」
「そっちじゃなくてさ、今藤。飯誘ったんだけど、あいつ残業だってさ。」
「甲斐、今藤とよく飲み行くよな。営業メンバーより多いだろ。」
そりゃそうですとも。好きだから一緒にいたい。何が悲しくて幸せオーラをまとう既婚者の酒井たちを誘わなければならないのだ。ただ今藤に会いたい。たったそれだけの餌で雅人は走り回っているようなものだ。
恋愛感情で見てくれなくても、せめて好きなやつには人として好かれたい。
「だって今藤ってさ、当事者じゃないぶん愚痴りやすいんだもん。」
「営業の愚痴かよ。今藤は災難だなぁ。」
酒井が完全に仕事を放置して、隣りの雅人を見て笑った。
「そんな事ないって。俺だって聞いてるよ、あいつの愚痴。」
プライベートな事は聞いてもはぐらかされるが、仕事の話なら今藤もよく喋る。別に話す内容にこだわりはない。もちろんプライベートな一面を見せてくれるなら嬉しいが、それが期待できない以上、同じ空間で旨い酒を飲み交わすだけでも十分満ち足りる。
「研究棟、行ってくるかな。」
「邪魔すんなよ。」
「しないよ。」
口実は残業の差し入れでいい。研究室にこもっていたら会うことすら叶わないけど、事務員に差し入れを渡していけば、そのこと自体は今藤の耳に入る。あいつの目に飛び込むことが叶わないなら、せめて話だけでも耳に入ればいい。健気過ぎる自分に泣けてくる。
今藤はわりと甘党だ。洋菓子が好きだから、話題のコンビニスイーツでも調達しよう。夕飯を食べ損ねるやつらのことも考えて、カップ麺も頭のリストに加えた。
「甲斐、頼む! ちょっとだけ、資料のグラフ、手伝って!」
チラリと腕時計に目を落とすと、まだ六時をまわったばかりだった。残業だと明言するくらいだから、今藤は当分研究棟にいるだろう。焦ることはない。
「了解。ちゃちゃっとやろうぜ。」
酒井は今年、新人を抱えていた所為で忙しい。去年は雅人が同じ状況に陥って彼に手伝ってもらった借りがある。約一時間だろうと見込んだ書類の束を受け取り、表計算ソフトを立ち上げる。入社当時、デスクワークは苦手だったが、十年も経てばそれなりになる。
雅人は椅子に座ったまま一度伸びをして、眠気防止のブラックコーヒーをお供にパソコンへと向き直った。
* * *
酒井に礼を言われて退社した後、雅人はコンビニで予定通りの物を仕入れて、研究棟へと向かった。営業部などの入る本社ビルと同じ並びにあるものの、研究棟は徒歩五分ほど離れたところにある。
会えるかもわからないのに、胸が勝手に高鳴っていくのはどうすることもできない。上り階段の所為にしようと決めて、あえてエレベーターは使わずに今藤が籍を置く三階エリアまで上がった。
「あ・・・。」
間抜けとしか言いようがない声が雅人の口から洩れたのは仕方がない。今日は会えないことを覚悟していたから、まさか廊下でココア片手に寛ぐ彼と出くわすとは思わなかったのだ。
「あぁ、甲斐か。お疲れ。」
壁にもたれ掛かって白衣のポケットに右手を突っ込む今藤を見て、また惚れ直す。ちょっと疲れた顔をしているところも、彼を色っぽく見せた。
落ち着いた低音で名前を呼ばれると、ふわふわと得体の知れない大きなものに包み込まれた感覚がした。ずっとその余韻に浸っていたかったが、不審に思われないよう雅人は自然を装って今藤に笑いかける。
「お疲れ。残業って聞いたから、差し入れ。みんなで食って。」
「おぉ、サンキュ。悪いな。」
「まだ、かかりそう?」
少しだけ期待を込めた。もしかしたら区切りが良くなって帰ることができるんじゃないかと思ったのだ。けれど今藤がすぐに頷いて、まだ二時間はかかると愚痴をこぼしたので、僅かな期待はすぐに打ち砕かれたけど。
「なぁ、今藤。土曜は空く?」
土曜日はどこの部署も午前出勤で大掃除に駆り出される。午後用事がないなら捕まえやすかった。
「まぁ、土曜なら。昼から?」
「今年最後だし、昼から飲もうぜ。」
雅人の言葉に今藤がフッと笑みをこぼす。その笑みに心臓が射抜かれたのは言うまでもない。
「いいよ。店は?」
「適当にこっちで用意しとく。」
適当になんて選べない。今藤を独り占めできる店を、とも思ったが、さすがに個室だと意味深だからやめておこう。そんなに気にすることでもないかもしれないが、邪な気持ちがある分、余計な気を回してしまう。せめてお洒落な店にしよう。話のネタにできるなら、年末の忙しさにやられて浮かれていると笑われたっていい。
「了解、まかせる。じゃあな、戻るわ。コレ、ありがと。」
「おう。お疲れ。」
「お疲れ。」
もうちょっと話したかった。でも仕事なら仕方ない。みっともなく追い縋ることなどできるはずもなく、笑顔で手を振って今藤の後ろ姿を見送る。今藤は雅人に背を見せたまま研究室に吸い込まれていく。
「一度も、振り返んなかったなぁ・・・って、当たり前か。」
誰もいない廊下に、雅人の小さな呟きがこだました。
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朝霧とおる