目覚ましだけはセットしていた自分を褒めたい。まさか電話をしながら寝落ちする展開は自分でも予想外で、翌朝起きた進はベッドの上で暫し呆然として事態を把握できなかった。
甲斐の機嫌を損ねていないか心配だったので、昨夜は悪かったとメッセージを送る。始業前ギリギリに届いた返信には、気にするなという言葉と、夜待っている、と進を期待させるだけの言葉があった。うっかり人の出入りがあるロッカールームでニヤけそうになりながら、歯を食いしばって辛うじて耐える。
甲斐自身がどう思っているかわからないけれど、進は甲斐に対して、しおらしさなんてものは求めていない。順従であってほしいとも思わない。つい揶揄ってしまう進に歯向かってきてくれる甲斐が好きなのだ。
手の届かない想いならまだしも、届いてもなお、好き過ぎて胸が苦しくなることなんて本当にあるのだと、日々自分でも驚く。この一週間我慢のし通しだったから、今日は暴走しそうだ。それでもぎゃあぎゃあと騒ぎながら受け止めてくれるんだろうとどこかで確信していて、頬が緩むのを止められない。
「今藤さん! スイッチ押す順番間違えちゃって・・・。」
「え? あ、あぁ。」
ロッカールームの入口で焦った声を上げて上田が呼んでくる。進は彼の声で現実へ引き戻され、速足に研究室へと向かった。
* * *
学会は展示組と講演組の二手に分かれているが、展示組が少々遅れをとっていた。パネルはサイズも大きいため移動の邪魔になるから、開催前日までに会場へ配送しなければならない。しかし予定していたデータ入稿が遅れそうで、間に合うかどうか微妙な段階になって初めてヘルプを求めてきたため、全てが後手後手の状況だった。
「もうちょっと早くヘルプしてくれればなぁ・・・」
同僚の一人が愚痴をこぼすが、そういう状況を迎えてから何を言っても遅い。
たった二枚のパネルだが、その道のプロではない上に、作成者が今回初めてだったこともあり、段取りも悪かった。しかし今そこを議論したところで先に進まないので、代案がありそちらの方が確実なら、すぐに実行へ移す方が賢明だ。
「課長。自力で作るのをやめて、プロに任せた方が早いんじゃないですか? 下手に遅れてペナルティになるのも困りますし。」
会場への搬入にはルールがある。規定に沿わない事をすると、最悪翌年に出展ができない、なんてことも有り得た。
「うーん・・・そうだね。予算の方は広報に掛け合ってみましょうか。今藤くん、任せちゃっていい?」
「わかりました。」
進は課長に頷いてみせて、すぐに研究室を出る。
気安いから甲斐に助けを求めたいところだが、出展に関して広報部をスルーすると、後々面倒なことになる。
進は事務所へ入って受話器を上げ、早速広報部へ依頼の電話をかけた。
* * *
プロに丸投げしたお陰で、かえって進行が早まり、結局今日も終電かもしれないという進の予測は杞憂に終わった。
『お疲れ。』
「どうも。そっちは?」
『もうとっくに家帰ってるよ。ちょっとだけ残業はしたけどな。』
ぶっきらぼうな甲斐の物言いを聞いて、進の口元が自然に緩む。どんな顔をして進のことを待っているのだろうかと想像する。部屋で一人恥ずかしそうに落ち着きなく歩き回ってこの電話を受けているのではないかと、容易に想像ができた。現に彼の声が若干揺れを伴って聴こえてくることからも、進の勘はおそらく当たっているだろう。
『今、どこ?』
「おまえんちの最寄り駅、降りたとこ。」
『そっか。』
「待った?」
『・・・飯は?』
答えをはぐらかした時点で、待ち呆けていたんだとわかる。テーブルに置いた携帯が着信を告げるのを、今か今かと待ち受ける彼を思うだけで胸を掴まれる。そうであって欲しいという進の願望もあった。
「のんびり食べる気分でもなくて、研究室でパパッと食べたよ。」
『ちゃんと食えよ。』
「そっちはちゃんといただく。」
『なッ!』
いちいち狼狽えちゃって可愛いな、などと本音であっても、さすがに口にはできない。機嫌を損ねて抱かせてもらえないなんていう事態になったら、この一週間の我慢が無駄になる。
「なぁ。」
『・・・なんだよ。』
「待った?」
すでに一度した質問を投げたのは、ちょっとした意地悪。けれど加減は見極めているつもりなので、このくらいで甲斐の怒りを買う事なないだろう。
『一週間・・・』
「うん。」
『長過ぎ。』
満足のいく回答が得られたので、進はさらに大股で歩き始める。この居ても立っても居られない愛おしさを、一刻も早く甲斐へぶつけたかった。
「切るよ? 走ってくから。」
『は? 疲れてんのに、変なことすんなよ。あ・・・。』
「ん?」
『な、なんでもない! 暗いんだから気を付けて来いよ!』
通話を切ると宣言した進ではなく、甲斐が突然ブツリと電話を切る。
「なんだ、あいつ。」
恥ずかしそうに焦った甲斐の声。憎まれ口を途端に修正してきて妙だと思ったが、電話の向こうで赤面している彼が想像できて、街灯の下で進は笑みをこぼす。誰にも擦れ違わなくて良かった。暗い道を一人微笑みながら歩いている自分は相当怪しい。
走るまでもなく、甲斐の部屋はすでに目と鼻の先だった。大きな足音を立てないように廊下を歩き、進は目的の部屋のインターフォンを鳴らした。
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朝霧とおる