同期忘年会の翌日、甲斐雅人(かいまさと)は臨月を迎えていた姉に卒倒しそうな手土産を用意して呼び出した。姉の律子は雅人の話に文字通り驚愕し、暫し言葉を失っていた。少なくとも、よく晴れた休日、人の多いお洒落なカフェで話すような話題ではない。
雅人は姉の律子に、自分が今現在、男に片思いしていることを明かした。やはり身重の彼女を気遣ってやるべきで、今この瞬間に話すべきことではなかったと顔色の変化で悟ったが、言ってしまったものは仕方がない。雅人は完全に開き直っていた。
「あんた、父さんと母さんにその話したの?」
頭から角でも生えてきそうな勢いで睨まれる。
「いや、言ってないけど。二人とも堅物だから、それこそ絶縁されかねないよな。」
「なんで私に言うかなぁ。そういうことは墓場まで持ってってよ。心臓に悪い。」
「悪かったって。一人で抱えてんの、ちょっとつらくなって。」
手を合わせて謝るものの、姉の律子はノンカフェインの紅茶を啜りながら溜息をつきつつ、さらに睨んできた。
「私ね、今、臨月。大事な時期なの、わかってますか、弟の雅人くん。」
「わかってる。ごめんって。」
昨夜、酒の席で会った今藤は、相変わらずの男前だった。本人の無自覚さにまたそそられるのだ。今藤は誘えば概ね乗ってくれる。酒も強いから、会う口実を作りやすかった。
研究開発部の連中は付き合いの悪いやつが多いものの、今藤はその例には当てはまらない。フットワークも軽く、よく研開と営業の橋渡しをしてくれた。お陰で雅人も仕事がしやすい。
今藤の肩を叩くたび、ちょっかいを出して絡むたび、本当は心臓が跳ねっぱなしだ。落ち着く暇なんてありはしない。そんな風になる自分を誤魔化し宥めながらきたものの、つい最近認める気になった。
酒を飲んだ帰り道、魔が差して初めてその手のバーに足を踏み入れ、誘ってきた男と寝た。自分はありがちな理由でその男の誘いに乗った。今藤に似ていた。酔った頭が理想的な幻想を抱かせてくれたのかもしれないが、背格好や顔がどことなく似ていた。
寝た事を後悔したりはしなかった。やはり自分はそうだったのかと納得させられただけだ。ただこの一件のおかげで、もう自分の気持ちに嘘をつき続けることが困難になった。変化といえば、それだけだ。
今藤に気持ちを伝えるつもりなんか全くなく、時々飲み明かし、ご飯と共にし、仲の良い、物分かりの良い同期面を続けるだけだ。会社が同じである以上、部署は違うとはいえ無関係ではいられない。彼のおかげで広がった人脈もそこかしこにある。この関係を失うわけにはいかなかった。だから想いを告げることはできない。今は少しその虚しさに浸っているが、持ち前の明るさはじきに復活するだろう。
「で、その人とはどうなの?」
「どうなの、って・・・。どうもしないから。」
個人的に飲み食いする関係ではあるものの、今藤は捉えどころのない部分も多々あり、謎も多かった。プライベートな事を聞いても、大概はぐらかされてしまう。
好きだからもっと知りたい。想いが通じないなら、せめて彼のデータベースだけは蓄えてやろうと意気込んで飲みに誘うけれど、今のところ完敗続きだ。
しかし知りたい気持ちが増している、というのは危ないサインでもあった。自分は今藤にハマっている。ずぶずぶの沼に嵌って抜け出せなくなりつつあるのかもしれない。
「その人、カッコいいわけ?」
「うん、まぁね。」
「ちょっと、写真とかないの?」
「ないよ。」
あっても見せないけど、と心の中で応酬する。しかし刺激するのも怖いので、雅人は胸の内に留めた。
一度男を知ると、その居心地の良さが癖になった。抱いてくれるやつには悪いけど、いつも脳裏に浮かべているのは今藤の顔だ。あの広い背中を思い出し、長い腕に抱かれるさまを想像する。それだけで身体は昂るのだから、随分と自分の身体は安っぽくできている。
でも自分のことを必要以上に卑下するつもりもない。好きなものは好きだし、溜まるものは溜まる。いい歳した大人が恋に振り回されて人生を棒に振るべきではない。
いつ、どこにいようとも、ふとした瞬間、今藤は何をしてどんな事を思っているのだろうと感慨に耽る。少しでも自分のことを考えてくれていたらいいのにと。飲み会でバカをやっている自分でもいい。十年前、酒の勢いで調子に乗ってキスをした時のことなら最高だ。
今思えば、誰でも良かったわけじゃない。あいつだからキスしたんだと思う。本能で今藤を求めて、酒で緩んだ頭は正直に彼の唇を奪いにいった。
無意識だからできた。若かったからできた。今は絶対にあんな冒険をすることはできない。だからせめて思い出させてやろうと、今藤の前であの話を何度も蒸し返す。好きだと自覚し、どんどん臆病になっていく自分が唯一できる悪足掻きだった。
「まぁ、誰を好きでもいいけど、無茶はしないのよ。」
姉の言葉は、ゆきずりの相手と寝ることを繰り返す自分への忠告にも聞こえる。苦く思いながらも、彼女に頷いて応えた。
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朝霧とおる