今藤の家がある駅で降り、好きだと言われたことや、キスをしたことがたった今起こった事のように思えてくる。恥ずかしくて居た堪れなくなり、何度もしゃがみ込みそうになりながら彼の家まで辿り着いた。部屋の明かりが外へ漏れ出ているので、今藤が中にいるのは明らかだ。しかしインターフォンに指を当てて、グッと力を込めるに至るまで、雅人は随分長いこと心の中で格闘を繰り返した。
『甲斐?』
「あ、うん。」
インターフォン越しの彼の声はいつもと違って聴こえる。年季の入った機器がそうさせるのだろうが、雅人の不安を煽り立てるような雑音混じりの声に、少しばかり怯んでしまう。
「・・・お疲れ。入って。」
すぐに玄関のドアが開いて、今藤が入るよう促してくる。顔を直視できないまま促されるままに部屋へ入って靴を脱ぐ。ちょっと散らかってるけど、と通された部屋の床には、専門書が無造作に置かれていた。
「甲斐、まだそんな顔してんのかよ。」
「いや・・・冷静に、って言われても無理。」
開き直って今藤を睨むと、苦笑される。軽く受け流され、自分の緊張が無意味だと言われているようで納得がいかない。
「なんでそんな、あっさりしてんだよ!」
「甲斐雅人くん、顔真っ赤。」
「あぁ、もう! おまえ、ホントなんなの!!」
「好きだから呼んだんだよ。先に進みたい。」
「ッ・・・。」
揶揄うでもなく優しい彼の目も言葉通り好意の目で見つめてくる。グッとそのまなざしに引き寄せられて、雅人は言葉を失った。
「何が心配?」
「何が、って・・・。」
立ったまま向き合って、逃げるなとでも言うように今藤が腕を掴んでくる。
「何も始まってないんだから、心配したってしょうがないだろ。」
見上げて交わった視線は、今まで知るどんな彼より真剣な目で、揶揄うような素振りは全く見当たらなかった。
「別に想った十年が無駄だったとは思わないけど、もったいない事したな、とは思う。だから先を望んでいいなら、一分一秒も無駄にしたくない。」
熱烈な告白をされているんだとわかって、返事も探せないまま雅人は俯く。もうバレているだろうけれど、顔が熱くて仕方がない。恥ずかしさで悶えそうなほどだ。
「そんな、ぐいぐい来んな!」
「押せばどうにかなるのに、押さなくてどうすんだよ。」
「ちょっとは引け!」
「引くか、バカ。」
「ッ・・・。」
顔をグッと近付けてきて、今藤が頭上で苦笑する。
「甲斐、諦めろ。だっておまえ、俺の事好きだろ?」
両頬を今藤の手で包み込まれたと思った瞬間には、彼の唇が雅人の唇に重なっていた。息継ぎも許されず、するりと割って入ってきた舌に、ゴクリと喉が鳴る。本能が欲していたものを拒むことなんてできない。いつの間にか頭部を今藤の大きな手で抱えられて、彼の望むままに唇を貪られる。
本当はとっくに陥落していた。雅人は嬉しさで満たされていく自分を、ついに認める気になる。そして一度認めてしまうと、込み上げてくるものに目頭が疼き始めた。女々しくて嫌になる。今藤の唇が離れた隙を狙って深呼吸できなかったら危ないところだった。泣き顔なんて意地でも見せたくない。
「なぁ、いい?」
「え・・・。」
聞かれた意味はわかっていたけれど、狼狽えずにはいられない。泳いでしまった雅人の目は、そのまま今藤の目に捕まった。
「抱いてもいい?」
尋ねてきたのは体裁だけなんだと雅人はすぐに知る。今藤の手が器用に雅人のボタンを外し始めたからだ。
「ちょッ・・・ま、待って!」
「この展開で待つ、っていう選択肢は俺にはない。」
「なんで、そんな急なんだよ! せ、せめて、風呂! 風呂、入らして!」
「・・・。」
今藤が睨みながら溜息をついてくる。噛みつくような少し乱暴なキスを寄越した後、雅人は今藤に手を引かれ、バスルームへ押し込められた。
「経験は?」
「・・・ある、けど・・・。」
「五分で出てこい。」
ぴしゃりとバスルームのドアが閉まる瞬間、今藤の気まずそうな顔がちらりと見えた気がして、雅人はきょとんと立ち尽くす。いつもふてぶてしく殊勝な顔をしている彼が、雅人にがっついた事を恥ずかしく思ってあんな顔をしたのだとしたら。そう考えるととても新鮮で笑える。
雅人はいそいそと着ていた物を脱ぎ始め、そっと開けたドアの外へ置く。律儀に用意されたタオルに口元を緩めながらドアを閉め、素っ裸のままバスルームでしゃがみ込んだ。
「スゲェ、緊張する・・・。」
それでも自分の身体は期待に満ちて、前は微かに芯を持ち始めていた。久しくその現象を恥ずかしいと思う感覚はなくなっていたが、今藤に見られるのだと思うだけで、込み上げてくる恥ずかしさで死ねそうだ。意識すればするほどに反応してしまう。確かめるように握っただけで、雅人の分身は滾って容積を増した。
「あぁ、もう・・・どうにでもなれ。」
雅人は勢いよく立ち上がって、シャワーのコックを捻る。すぐに温かい湯を放ち始めたシャワーに打たれて、恥ずかしさを誤魔化すように、少し痛いくらいに身体を擦って洗った。
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朝霧とおる