疲れを拭い去り、冷静になってみた朝。やはり気になるから聞こうという結論に達する。小さいわりに丁寧に書かれた自分の名と何度も睨めっこをして、進は何度目かの溜息をついた。
かれこれ想っていたのは十年。しつこい年月だと自分でも呆れるけれど、それなりに彼との関係を大切にしながらここまで過ごしてきた。心が強く揺さぶられていたのは、それこそ甲斐と忘年会でキスをした一件くらいで、それ以降、甲斐の一挙手一投足に反応する度合いは下降線を辿っている。そこは必ずしも彼に寄せる気持ちの大きさと比例していないようだった。
別に大した意味はないかもしれない。けれど甲斐の行動に今、動揺し揺さぶられている自分がいるのだ。甲斐が慌てふためくのか、それともなんてことない理由が存在するのか。久々に頭を甲斐でいっぱいにして、囚われてみてもいい。
進は財布から小さな透明のビニル袋を取り出す。甲斐が進の前で落としていったおみくじがそこには鎮座しており、進は一言走り書いたメモでビニル袋を挟んだ。大きめの封筒に入れて封をする。赤ペンでわざわざ極秘と書き足して、進は口元を緩めた。
「意地悪いな、俺・・・。」
今から出せば、午後の社内便で甲斐のもとへこれが届くだろう。社内便用の棚に並べられてあるいくつかのカゴ。進はその中から営業部行のカゴに封筒を投げ入れて、すぐ研究室へと引き返す。
「あれ? 営業部に届け物ある?」
「いや。午後便じゃないと意味ないんで。」
「そう。」
どうやら課長は営業部に用があるらしい。進が営業部のカゴに封筒を投げ入れていたのを目撃していたのだろう。しかし遊びで課長の手を煩わせるのはさすがに気が引ける。それに万が一、甲斐を動揺させるに至った場合、午前中から悩ませていたら彼の仕事に少なからず影響が出るだろうと思ったのだ。
「来るかな、あいつ・・・」
就業後、二人の知る飲み屋を指定した。安い居酒屋で、昔はよくそこを使っていたから、甲斐に来る意志があるなら迷うことなく来るだろう。しかし進にとってはどんな高級で洒落た飲み屋よりも意味のある場所だった。そして甲斐にとってもおそらくそれなりに意味のある場所になっていただろうと、今は微かな予感がある。
十年前の忘年会、進が思いがけない強烈な思い出を貰った場所だ。自分たちに可能性があるとするなら、これは確実に天から降ってきたチャンス。自分の勘違いだったとしても、さほど深手を負わずに何事もなかったように流せる自信はあった。
「あいつはどうかな・・・。」
社内便のカゴに投げ入れた封筒のことを思う。やはり性根の悪いことをしたかと胸がざわついたものの、結局進は引き返すことなく研究室へと舞い戻った。
* * *
来る覚えのない社内便を受け取った雅人は、差出人を見てさらに首を傾げる。
「あれ? なんかお願いしたっけ・・・?」
「誰から?」
「今藤から。」
「でも、おまえ宛じゃん。向こうが用あんのかもよ。ほら、助けたわけだし。」
酒井が興味津々に封筒を覗き込んできたが、コピー機の方から新人に呼ばれ、すぐに席を立つ。
「ホント、なんだろう・・・。」
全く心当たりはない。隙間にペーパーナイフを差し入れて、慎重に封筒を開けて、その中身に絶句する。
「・・・。」
いつの間に落としたんだろう。急いで財布の中を漁るものの、やはりそこにはなく、手の中にある紙片が紛れもなく雅人のものだと証明する書き込みを見つける。願掛けなんて女々しいことをするんじゃなかった。今藤は気付いただろうか。気付いたからこそ、こんな周りくどいことをして送り付けてきたのかもしれない。
「バカ過ぎる・・・。」
もしかして勘付いた今藤が顔も見たくなくて社内便を使ったのかもしれないと思い至り気持ちがどん底まで沈む。しかし封筒の底に、指定の飲み屋で会おうというメモ書きを見つけて多少気分が持ち直した。
「いや・・・ちょっと、待て・・・。」
仕事どころじゃない。今まで涙ぐましい努力で封印してきた今藤への想いをぶつけなければいけないかもしれない。そして拒絶された日には、しばらく自分は使い物にはならないだろう。それくらいには落ち込める。
「あー・・・何やってんだろう・・・。」
「甲斐、どうした?」
「あ・・・いや・・・。」
「何かやらかした?」
「まぁ・・・そんなとこ・・・かな・・・。」
酒井の視線を気にする余裕もなく、デスクに俯いて頭を抱える。
「今日なら手伝えるけど?」
「いや・・・手伝ってもらうような案件じゃなくてさ・・・。」
「は?」
「ごめん。ちょっと、ほっといて・・・。」
どうにか気持ちを落ち着かせようと、無意味に席を立つ。しかし足はふわふわと宙を浮いているようで、余計に自分の動揺具合を自覚する羽目になった。どうにか買ったコーヒーを流し込んでみても、全く味がわからない。
「気付いてないっていうオチはないかな・・・。」
どこからなかった事にすればいいだろう。神頼みしたところでもう遅い。しばらく早く帰れそうだと今藤へ宣言したのは昨日の自分だ。昨日の自分を殴りに行きたい。むしろ消せるものなら抹殺したいくらいだ。
「あぁ、どうしよ・・・。」
泣きたいくらい動揺しているのに、案外その時になってみると涙は出ないものだな、と働かない頭で思う。缶コーヒーを握り締めてしばらく廊下の壁に自問自答した後、諦めるよりほかないと腹をくくって、鞄を取りに営業部のフロアへ戻った。
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朝霧とおる