追い返されることを覚悟して力なくフェイの寝室へ向かうと、共寝していると思われた幼子の姿は見えない。
「フェイ、レイは一人で眠ったのか?」
「キィがそばについているのですよ。」
意外にも面倒見のいいキィに感謝して、招き入れてくれた部屋の主に擦り寄る。
「疲れていても、そなたの声を聞くと気が休まる。」
今日は朝から激務だった所為か身体が重い。フェイを熱情で包むには些か気力も体力も奪われ過ぎていた。
「世羅様?」
フェイが何か思い至ったように両頬を手で包み込んでくる。そして額と額を合わせて、唇が触れる距離まで近付いたかと思ったら、急に離れていった。立ち上がった彼を呆然と見つめていると、寝台のそばに置いてあった小さな木箱を漁り始める。
「フェイ?」
「世羅様、少しお熱がおありですね。」
「熱?」
指摘されても釈然としない。とにかく身体が鎧を纏っているように重く、節々が痛むのは事実だった。
「さほど高くはありませんが・・・良かった。手元にございました。」
優しい声音を回らない頭で夢心地で聞く。残念ながら、フェイの発する言葉が上手く世羅の頭には入ってこなかった。
「昨夜も遅かったとか。お疲れなのですね。今、熱冷ましの薬丸を作りますから、どうぞ寝台をお使いください。」
「・・・そなたは?」
「一晩、おそばにおりますよ。」
「そうか・・・。」
促されるままにフェイの寝台に身を横たえる。すると吸い込まれるように身体は沈み、視界がぐらぐらと頼りなく揺れた。
「フェイ・・・。」
この身体はどうしてしまったのか。急に不安が押し寄せてきて、縋るように愛しい名を呼ぶ。
「世羅様、ご心配なさらず。すぐお持ちいたしますよ。」
「フェイ。ここへ・・・私のそばへ・・・。」
フェイの姿を探そうとするものの、首が回らない。一度横たえてしまった身体は、意識が切り離されてしまったかのように言う事を聞かなかった。
「世羅様、ここにおりますよ。今宵はお食事を摂られましたか?」
「・・・あまり、喉を通らなかったのだ。」
ようやく目の前に姿を現したフェイに安堵して熱い息を吐く。
「世羅様、恐らくお疲れからくる熱だと思いますが、念のため視診と触診もいたします。」
「そうか・・・。」
蝋燭の明かりを増やして、フェイが口の中や皮膚を確かめ、脈を取ったり鼓動に耳を澄ましたりしている様子を目で追い掛ける。きっと普段であれば触れられただけで落ち着かない気分になるだろうに、今宵は熱く重い頭が邪魔をして、見咎められるような現象は起きなかった。
「問題はないでしょう。シン様に伝えて参りますので、こちらの薬丸を飲んでお休みください。」
「そばにいると言ったではないか。」
「伝えましたら、すぐに戻りますよ。」
「本当に?」
相当弱っているらしい。どんなに寂しかろうと、さすがにいつもの自分ならここまで縋ることはしない。というよりしていないと信じたい。弱音を吐いて、みっともない姿を見せてもなお、一刻もそばを離れてほしくないと願うほど、心が寂しさで塗り潰されそうだった。
「必ずや戻って参りますよ。」
「ッ・・・。」
慈しむようにフェイの唇が世羅の額に触れて、柔らかな感触と温もりを残して去っていく。気持ちだけはフェイを追い掛けて、静かな足音が再び部屋へ戻ってくるのを、世羅は首を長くして待った。
* * *
春は新しい命がそこかしこに芽生える喜ばしい季節。しかし世羅にとっては、物心つく頃から愛しい者と別れを惜しむ季節だった。
フェイが行ってしまう。また今年も胸に秘めた想いを伝えることが叶わず、遠くへ旅立つ彼の後姿を、押し潰されそうな悲しみと共に送り出すのだ。
怪我をしないだろうか。食べる物に困らないだろうか。来る冬には生きて会えるだろうか。行かないでくれと何度心の中で叫んだだろう。もういっそ引き留めて、この王宮の一室に閉じ込めてしまおうと繰り返し思う。けれどそんな事をしたらフェイが悲しむのを知っているから、どうしてもこの手を最後まで伸ばすことができない。
頬に温かい何かを感じて意識が浮上すると、そこは王宮の一室。世羅の部屋ではなかった。
「・・・ッ、イ・・・」
「世羅様?」
見送ったはずのフェイに呼ばれている気がする。自分は決して彼の声を間違えたりしない。その自信がかえって世羅を混乱させる。
「ッ・・・フェイ・・・?」
「世羅様、お目覚めですか?」
頬に冷たい布が優しく触れる。
「世羅様。何か恐ろしい夢でも?」
冷たい布は次に額の汗を拭って、離れていく。そして弾力のある手が世羅の手をそっと掴んで、脈でも確かめているようだった。
「まだ少し早いようですね。」
どうしてここにいるのだろうと、昨夜のことに思いを馳せてみると、ようやく世羅は納得する。熱で寝込んで、夢を見たらしい。次第に意識が冴えてくると、昨夜ほど身体の不都合は感じない。しかし起き上がろうとしたところで、フェイの手に制止されてしまった。
「世羅様。今日はご公務は控えていただきます。シン様からすでに皆さまへお話が伝わってございますよ。」
「大したことはない。昨晩より身体も軽い。」
「今は休むべき時です。無理をすれば拗れますから、今日は大人しく。」
優しい口調であるはずなのに有無を言わせない物言いに、世羅は微笑む。たまには寝込むのもいい。もしかして今日ばかりはフェイを独り占めできるのではないかと思い至ったからだ。
「フェイ」
何やら薬の調合に励むフェイの背後に声を掛ける。すると世羅の言いたいことを察したのか少し呆れ顔でフェイは苦笑した。
「シン様のお仕事を奪うのは気が引けますが、お許しは得ておりますよ。今日は一日おそばにおります。」
フェイの言葉に小躍りしたくなるのを全力で堪え、世羅は寝台に根付く。世羅は一日、フェイの声に耳を傾けながら甘い安らかなひと時を過ごした。
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朝霧とおる