目の前で起こったことを理解せねばならないのに、心がついていかない。フェイが目の前で倒れ、腕に抱きとめた時には血の気が引いた。
「羅切を捕えよ。今すぐに!」
フェイをライのもとへ引き渡した後、すぐに兵を伴って羅切がいる部屋へ乗り込む。同じ空気を吸っていると思うだけでもおぞましい。自分へ向けられた敵意よりも、フェイへの仕打ちに怒りが収まらなかった。
「羅切ッ! そなたを反逆罪で捕える!」
「騒がしい兄上だ。残念ですよ。苦痛で歪むあなたの顔が拝みたかったのに。」
冷酷に嘲笑う顔に寒気がしてくる。
「そなたには卑怯者に相応しい死に場所を用意しよう。」
顔を見るだけでも震えるほどの怒りが湧いてくる。兵士たちにあとの始末を任せて、世羅は羅切の部屋を出た。
このまま羅切と対峙していたら、気が触れてしまいそうだ。兵士たちの前で発狂し困らせるような真似はしたくない。羅切を地下の牢へ放り込むことだけ命じ、世羅は頭から離れないフェイのもとへ足早に戻った。
「フェイ・・・」
あの愛おしい命が果ててしまったら、どうしたらいいのだろう。考えるだけでも恐ろしく、とても正気でいられる気がしなかった。
理世が去ったばかりだというのに、否、去ったばかりだからこそ、慌ただしさに乗じて、羅切は仕掛けてきたのだ。
理世のことに心を配り、集中力を欠いていたところを狙われた。
羅切からの贈り物。その言葉に、フェイは顔色を変えていたというのに、なんと迂闊だったことか。
以前貰った時は、ライに毒の有無を確かめさせた。同じものだったから油断してしまった自分に全ての責任がある。
フェイが運び込まれていた部屋は、使用人たちの使う余り部屋だった。こんな狭いところへ押し込めるなどと到底我慢がならなかったが、ライがフェイに何か薬を飲ませている手前、強く言い募ることはできなかった。
ライの一挙手一投足を食い入るように見つめ、フェイの瞼がどうにか開いてくれと願う。しかしフェイの顔は青ざめたまま、いっこうに目覚める気配がなかった。
「ライ、助かるのか?」
「解毒までしばらくかかりますが、じきに目覚めます。」
ライの言葉に、全身に入っていた力が抜けた。身動き一つしないものだから、あってはならないと思いながらも最悪のシナリオが頭をよぎっていたのだ。
「何の毒だったのだ?」
「コニンでしょう。口にしていないのが幸いでした。」
「フェイは腕につけていた。」
「毒があるかどうか、薬師たちはそうやって見極めるのです。はじめから口にするのは危険ゆえ。」
「飲んでいたら・・・」
「間違えなく、死に至っていたでしょう。コニンは肌に塗っても量が多ければ危ない猛毒の花です。」
なんて恐ろしいことをしてくれたのだ。毒を盛ったであろう羅切だけではない。フェイにも怒りに似た気持ちが湧いていた。
死をも恐れず身代わりとなった彼に、報いてやれる方法など思いつかない。いくら考えても、フェイの存在ほど大切なものはないというのに。彼がいなくなってしまったら、自分の愚かさを悔やんでも悔やみきれないだろう。
「世羅様。お休みになってはいかがですか? フェイのそばには私がおりましょう。」
「いや・・・フェイのそばにいたいのだ・・・」
「さようでございますか。何かありましたら、お呼びください。」
「わかった・・・」
察しのいい老齢の薬師を見送り、フェイの辛そうな寝顔を見つめる。額に汗の玉を作り、身体は小刻みに震えていた。
こんな小さな身体に毒を受け、守ってくれたのかと思うと、堪らない気持ちになる。
「フェイ・・・」
ライが置いていった桶の水に布を浸し、絞ってフェイの額に乗せる。汗の玉が噴き出し微かな呻き声が上がるたびに、別の布で身体を拭っていく。
こんなに苦しそうにしているというのに、本当に助かるのだろうか。
世羅は不安で一刻も耐えきれずに、ライを呼び寄せたが、老齢の薬師は頷くだけだ。
「腕をご覧ください。赤みが引いてきております。もうしばらくの辛抱でしょう。」
「そう、か・・・」
同じ薬師の仲間だというのに、フェイに対するライの態度があまりに素っ気ないような気がして、指摘すれば、彼は静かに首を横へ振った。
「世羅様をこの命に代えてもお守りするのが我らの責務。むしろ光栄なことです。」
「死んで光栄などということがあってたまるか。そんなことは私が許さぬ。気の緩んでいた私こそ、罰を受けるべきだ。」
「世羅様。フェイ自身が望み、世羅様をお救いしたいと自らの命を盾にしたのです。お守りしたことを責められては、フェイは戸惑うでしょう。」
「それでも、命を盾にするなど間違っている。」
「世羅様。フェイではなく、他の臣下であっても、同じことをおっしゃいますか?」
「ッ・・・」
言葉を詰まらせた後、気まずい思いが胸に広がる。フェイに特別な感情を抱くゆえの勢いと憤りだったため、咄嗟に言い返すことができなかった。
「申し訳ありません。年寄りの・・・意地の悪い戯言です。お忘れください。」
ライの言うことは正しく的を射ている。
天帝という存在が、臣下をそうさせてしまうなら、フェイと心を分け合いたいと望む自分にとって、それは残酷な現実だった。
フェイは自らを盾にすることを厭わない。そんなことをしてくれるなと懇願したところで、彼は迷わずその潔さと実直さで、己の使命を全うするのだろう。
自分のために、愛しい者が命を落とす。その事実を突きつけられて、世羅は冷静ではいられなかった。
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朝霧とおる