ライや王宮仕えの者たちと一緒に葬儀で使ったものを片付け、終えたのは陽も暮れかけた頃だった。
「理世様はなにか遺言を残されたのでしょうか?」
「直々の遺書を残された。だいぶ前からしたためておられたのだろう。しっかりとした筆使いであったから。リリ様のことだけは後から書き加えたらしい。筆跡が震えていらっしゃった。」
「拝見しても良いものでしょうか。」
「世羅様にお願いするといい。明日には議会でも皆へ示される。書斎に招かれているのであろう?」
「世羅様は・・・いえ、なんでもありません。行ってまいります。」
「・・・そうしなさい。」
フェイが言い淀んだことにライは気付いたようだったが、神妙な面持ちで頷いただけだった。
世羅はフェイに対して特別扱いが多い。近過ぎる距離が、今後彼の足枷とならなければいい。
彼はもう、王族の一人ではなく、民の頂点に立とうとしている者だ。しかしその正統な継承者である彼に、王族の味方はいない。フェイにそのことを教え諭したのは、今は亡き理世だ。
世羅にとっては兄弟を失っただけでなく、唯一の味方を永遠に失ってしまったということだ。
世羅の書斎の前まで行き着くと、各地から来た役人たちが列を成していた。確かにこの人数なら、世羅がうんざりするのも頷ける。
彼らを横目に、身を縮ませて前進し、部屋の中へと滑り込む。フェイの気配に気付いた世羅は、部屋の隅に座るよう視線で合図を送ってくる。フェイは落ち着かないながらも、どうにか居場所を確保して、世羅と役人たちのやり取りを眺めた。
「このたびはお悔やみ申し上げます。どうか世羅様、戴冠の折は、東のマルトゥースへいらしてください。」
「リリはマルトゥース出身だったな。彼女のおかげで兄上も安らかに逝った。兄上がマルトゥースと彼女の家族に贈り物をしたいとおっしゃっていた。遺言にも残されている。しばらく落ち着かぬゆえ、薬師を遣わす。遠慮せず兄上からの贈り物を受け取ってほしい。」
「有難き幸せにございます。」
世羅に嫁ぎにきたはずのリリは、理世の目に留まり、理世の伴侶として王族の系譜に名を刻んだ。ライから聞き及んだ時は驚いたが、もし見初めた女性に看取ってもらえたのなら、幸せな最期だったのかもしれない。むしろそうやって無理矢理にでも、理世の死を肯定的に受け入れる何かがほしかった。
一方で、世羅は伴侶にするはずだった女性が自分の手からすり抜けてしまい、どう思ったのだろう。婚姻を結ぶことに否定的だったとはいえ、横から奪われては複雑だと思えたからだ。
しかし世羅の横顔は何も負の感情を感じさせないものだった。むしろしがらみから解放されて、清々しい顔をしている。
最近の世羅は、フェイの理解を超える言動ばかりする。世羅の心の移ろいが読めず、友としても臣下としても複雑な胸中だった。
世羅の前では友として立ってきた時間が長い。だからこそ、役人たちを前に毅然としている彼が、とても遠い存在に思え、寂しくなった。
* * *
民のために献身せよと臣下に言葉を遺した理世は、最期まで期待を裏切らない、清く気高い天帝だった。
フェイは世羅から差し出された遺言を手に、胸を熱くさせていた。
不思議と涙は溢れず、落ち着いた気持ちで読めることに自分でも驚く。窓の外と内を行ったり来たりとせわしなく動いていたキィが、フェイが泣き出さないことを確かめてから、ようやく息をついて羽繕いをはじめる。
遺言には民を思う気持ちばかりがしたためられ、世羅に遺した言葉さえ、民のためを思い記されていた。
「兄上は正真正銘の聖人君子だろう? けれど私には人間らしくいろと言う。兄上には一生かかっても敵わない。」
「世羅様はもう、受け入れておられるのですね。」
「ずっと覚悟していた。朝がくるたびに怖かったが、今は安らかな兄上の顔が目に焼き付いている。もう朝がくるたびに恐れる必要はない。」
「きっと・・・天から見守っていてくださいます。」
「その通りだな。」
書き物をしていた世羅がようやくそれらを仕舞い込んで、フェイの方へと顔を向ける。久々に嬉しそうな世羅の顔を見て、新鮮な心持ちがする。
「フェイ、かたちだけでも付き合ってくれ。なかなか美味なのだ。」
そう言って差し出してきたのは洒落た瓶に入ったお酒らしきものだった。世羅がかたちだけと言った意味に合点がいく。薬師のフェイがお酒を嗜むことはないからだ。
世羅が盃に透明な液体を注ぎ込むのを、興味津々で眺めていたフェイだったが、香り立つものの中に微かに刺激臭を感じる。
「世羅様、こちらのお品はどなたからの贈り物ですか?」
「羅切が寄越したのだ。以前にも同じものを貰っていてな。羅切の母が故郷から取り寄せているものらしい。後味がさっぱりとしていて・・・フェイ?」
羅切と聞いて、フェイは慌てて盃の中の液体を手ですくい、腕に塗り込めて確かめる。この刺激臭には覚えがあった。
液体を塗り込んだ箇所はみるみる赤く腫れ、次第に紫色へと変色していく。
「世羅様、いけません。毒が盛られております!」
「なんだと・・・?」
塗り込めた左腕が段々痺れてきたと思ったのも束の間、身体が火照って息苦しくなってくる。世羅の前で倒れてはいけないと思いながらも、立って自分の身体を支えることがすぐにできなくなった。
強い衝撃を覚悟したが、世羅が受け止めてくれたらしい。視界がぐらぐらと揺れながらも、痛みは感じずに済んでいた。
「フェイ、しっかりしろ!」
世羅の只事ではない声を聞きつけたのか、使用人たちがバタバタと部屋へ入ってくる音がする。
「ライを呼べ! 早く!!」
世羅が怒鳴る声など初めて聞いた。そんなことを思ったのが最後、フェイは意識を失った。
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朝霧とおる