一人で臥せているとばかり思って開けた扉の向こうには、知らない娘が一人、寝台のそばに座っていた。その横では瞼を閉じて静かに眠る理世がいる。しかしその顔は、出掛けた時より青白く、確実に精気が失われていた。
「ッ・・・」
人の入ってきた気配を感じたのか、理世の身体が微かに動き、やがて彼の瞼が開く。
「世羅か。無事でなによりだ。」
世羅の方へ目をやり微笑んだあと、見知らぬ娘に頷いた。
「世羅様、リリにございます。東方より宰相の命にて参りました。」
「世羅、そんな怖い顔をするな。リリは私の良き話し相手になってくれている。邪険にするのは私が許さんぞ。」
ついに来てしまったかと身構えた自分に、理世は面白いものを見るように静かに笑って、手で制してきた。
取り乱すようなみっともない真似をする気はさらさらないが、愛を注ぐ気のない娘が自分のもとに来て擦り寄ろうとするなら、嫌悪感が湧き上がるのは止められないだろう。
「そなたに相談がある。悪い話ではないから、そう睨んでくれるな。」
笑いながら弱々しく咳き込んだ理世に、我に返って彼の背をさする。
「兄上、お加減がよろしくないのではありませんか? お話なら後で聞きましょう。」
「いいや、一刻も早くそなたの了承が得たいのだから、後回しになどできぬ。なあ、リリ?」
リリが困ったように笑い、それでも否定はしてこない。宰相からは五日前に娘を連れてきたと聞いていたが、理世とリリの仲を思うと、時間の割に距離が親密だと思えた。
「リリを私が貰い受けてもいいだろうか。」
突然の申し出に意味がわからず呆気にとられる。兄はこの娘を妻にほしいと言っているのだろうか。
「最初で最後の伴侶にしたい。そして私が死んだら、里へ帰してやる。」
「兄上、また突拍子もないことを・・・」
「リリも納得してくれた。どうする? そなた次第だ。」
自分は言いたいことを言い終えたとばかりに息を吐き出して、静かに世羅の様子を窺っている。
勝手な人だ。けれどいつだって世羅の味方をして、こうやって手を差し伸べてくれる。もう彼には自分の時間がないというのに、とんだお人好しだ。
しかし理世の言葉に甘えるのは本当に正しい道だろうか。厄介事の全てを理世に負わせ、自分だけが甘い汁を吸い続ける事に納得がいかない。
「世羅」
「はい・・・」
「望むものを手にしなさい。そのために、強くならなくては。」
「兄上・・・」
「私は欲張りだ。皆が幸福でなければ許せぬ。」
身体はきっと悲鳴を上げているのだろう。震える手をこちらに伸ばしながら、それでも強い眼差しで見つめてきた。
「民のために知恵を使い、自分のためにも心を砕きなさい。自分を戒めてばかりいたら、幸せにはなれぬ。民がどんなに富んでいようと、そなた一人が不幸を負わねばならぬなら、それは偽りの幸せだ。偽りの幸せは脆い。きっと世界が歪んでしまう。」
「兄上は、私にも幸せを追い求めよとおっしゃるのですね。」
「そなたは間違えたりなどしないだろう。民に心を配れることを私は知っている。」
「買い被りすぎです。」
「それに・・・そもそもこの結婚は当の二人が望んでいない。いがみ合って朽ちるより、幸せを求める同志として別々の道を生きていく方が、私はよほど建設的だと思うのだが。どうだ、世羅。」
そんな風に言われてしまっては、もう反論する言葉がなくなる。
「それに・・・そなたたちのため、というばかりではない。ここで臥せているだけでは退屈だ。リリがそばにいてくれれば寂しくない。これは私のささやかな幸せなのだよ。」
全てを悟りきっているように穏やかな微笑みを浮かべる理世に、世羅は成す術もなく頷いた。
* * *
理世の言い出したことに、宰相たちは酷く慌てた。どうにか取り下げてもらおうと食い下がっていたが、理世は世羅の目の前で眠りについたまま、もう半日以上目を開けずにいた。
宰相たちは頭を抱えながらも、天帝の命に逆らうことはせず、死へと近付きはじめたことを察し、最後には理世の意思を尊重した。
世羅は思う。絶対的な存在だからではなく、今まで理世が積み重ねてきた徳に、臣下たちは折れたのだ。
天帝の最後の我儘。それに沿おうと誰もが考え及んでくれた結果だろう。
鼓動と脈、そして細やかな息がなければ、生きているとはにわかに信じがたいほど、理世は安らかに身動き一つせず、眠っていた。
この数年、病床にいても、理世は眠りの浅いことが多かったが、今、彼は深い眠りについている。
「ライ、兄上のお加減はどうだ?」
「世羅様・・・もうこのまま、お目覚めにならないかもしれません。」
「そう、か・・・。」
間に合わないかもしれない。世羅が思い浮かべたのは、フェイのことだった。
世羅率いる一行は王都へ着いていたが、フェイは途中、崖崩れのあった村で怪我を負った民の世話をするために隊列を離れたのだ。世羅の一行には往路と同じくルウイが同行し、その彼も今は東に発ってしまった。
「リリ、兄上に寂しい思いをさせたくはない。最期までそばにいてほしい。私には公務がある。投げ出しては、きっと兄上に叱られてしまう。兄上はなによりもまず、民のことを考える御方だ。」
「おそばにいると、お誓い申し上げました。ご心配なさらず、いってらっしゃいませ。」
「頼む。」
名残惜しいと思いながらも、静かに眠る理世の寝顔に別れを告げて議場へと向かう。
「兄上、どうか見守っていてください。」
その日は星の降る、空が賑やかな夜だった。
別れを惜しむように星々がまたたく中、理世は多くの臣下に見守られながら、永遠の眠りについた。
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朝霧とおる
1. 初めてコメントさせて頂きます
いつも影ながら楽しみに読ませて頂いてます。涙が出ました。読んだすぐで、言葉もあまり見つからない状態ですが、今の率直な気持ちを伝えたいと思い行動しました。これからも応援しております。
コメントありがとうございます!
いつも、ありがとうございます!!
とても嬉しい感想をいただけて、舞い上がっております。
おるか様をはじめ、読んでくださる方がいらっしゃるから続けられます。
是非、これからもよろしくお願いいたします!!