横に並ぶ涼介を見上げると、どうしたのと尋ねるように微笑みかけてくる。しかしどうしたのかと聞きたいのは結弦の方だった。
最近、涼介は情緒不安定なのだろうか。長い間彼と共に過ごしてきたけれど、知らない顔ばかり見るようになった。困ったような顔が一番多い。ふと見上げると言い淀むことも多いような気がする。
涼介と駅を挟んで反対側に住む自分たちは、本来アルバイトを終えて並んで帰るはずはないのだけれど、結弦が寝込んだ一件から、涼介は結弦を家まで送ってくれるようになった。何度か誘ってみたけれど、涼介が泊まっていくことはない。その代わりに温かい口付けを残して帰っていく。
最初は額だった。しかしその次の日から唇に重ねるようになった。
恋愛に疎く、無縁な自分にもわかる。キスは恋人や夫婦がするものだ。少なくとも男同士の幼馴染でするものではない。
何故そんなことをするのか、今までの結弦なら迷うことなく涼介に尋ねていただろう。けれど最近の涼介は、突然傷付いたような顔をしたり乱暴になったりする。自分の知っている穏やかな彼でなくなることが多々あった。涼介をそんな風にすることが不安で、ただ口付けを受け止め、おやすみを言う。
「結弦、おやすみ。」
「おやすみ。」
予想通り、涼介は結弦のことをジッと食い入るように見つめて、顔を近付けてくる。そして涼介の唇は結弦の唇に優しく触れた。
唇と唇が重なると、じわっとそこに熱が生まれる。その熱はいつまでも尾を引いて、布団にくるまれて眠るまで、ずっと結弦の唇で燻り続けるのだ。
今日は頬も熱くなった。すると涼介は興味深そうに結弦を見つめ、頭を撫でて去っていく。やっぱり泊まっていってはくれないらしい。送ってくれるというから、涼介の家へ押し掛けることがなくなった。けれど一緒に眠ることもなくなったので、少し寂しいのが本音だ。
家に上がって荷物を置き、手洗いとうがいを済ませる。そして冷蔵庫にしまってあったキャベツを広いケースで這うカタツムリのそばに置いた。夏に向けて食欲も増しているらしく、朝置いて行ったキャベツは欠片も残っていない。ケースは飯島の友人から厚意で譲ってもらった。かつてはカブトムシを入れていたらしく、ケースには土の匂いがしっかりと残っている。
結弦はいそいそと水を替え、居住まいを整えてやると、ようやく就寝の準備に取り掛かる。結弦は朝方人間なので、夜は早く寝て、朝に図書館へ出向いて勉強をしていた。時間割に沿って本を鞄へと詰め込み、バスルームへと向かう。充実した一日を終え、肩から力を抜くと、ふわっと一つ大きな欠伸をした。
* * *
朝目覚めてすぐに身体の変調に気付く。硬く上を向いた中心が布地を押し上げていた。昔驚いた自分に涼介が教えてくれたことがあった。放っておけばそのうち鎮まるし、すっきりしたければ擦って熱を吐き出せば終わりだ。
結弦はこの朝の現象が少々苦手だ。涼介に教えてもらい興味本位で触れてみたのは数えるほど。頭がふわふわとして身体が落ち着かなくなる。生理現象を恥ずかしいと思うほど子どもではないけれど、なんだかいけない事をしている気分になるから、極力見ないフリをする。
最近頻度が増しているのは、俗にいう欲求不満だからだろうか。ここ数日毎朝で、それは涼介がくれるキスとも呼応しているように思う。
結弦は今日も例外なく自身の現象に見て見ぬフリをして起き上がる。トースターにパンをセットし、電気ケトルでお湯を沸かす。着替えが済み、寝癖を直し終わる頃には、もう頭の中は魅力的な講義のことでいっぱいになっていた。
* * *
講義と講義の合間にある休憩時間、結弦は飯島に薦めてもらった水族館に行ける算段が立ったことを教えてくれた本人に伝えた。誰と行くのかと揶揄われたが涼介と行くことを告げると、仲の良い幼馴染がいることを羨望のまなざしで見られる。
涼介は結弦にとって自慢の幼馴染だ。最近二人の間にいろいろなことがあったけれども、その気持ちは揺るぎない。褒められたようで嬉しかったが、ふと涼介の行動に関して聞いてみたくなった。飯島なら何かわかるかもしれないと思ったからだ。
「飯島くん」
「ん?」
「どうしてキスしたくなるんだと思う?」
「え? キス!? 白鳥、誰かにしたいの?」
「ううん、違うんだ。キス、されたんだけど・・・どうしてか、わからなくて。」
「え? え!? キスされたの?」
「うん・・・。」
暫く結弦の眼前で唸っていた飯島だったが、一つ咳払いをして尋ねてくる。
「好きって言われた?」
「うーん・・・言われてない、と思う・・・。」
「普通は好きだからしたくなるものだと思うけど。」
「好きだから・・・。」
胸にじわりと得体の知れない熱いものが広がる。
涼介が結弦のことを好き。そんな風に考えると確かに行動自体には説明がつく。しかし面倒をかけてばかりいて、自分のどこに好きになってもらえる要素があるのかがわからない。簡単には納得できそうにない飯島の意見に結弦は首を傾げる。
一方の飯島は興味津々といった具合に結弦の顔を覗き込んできた。
「白鳥はその人のこと、どう思ってるんだ?」
「一緒にいると、安心する。」
「それって、好きってこと?」
「・・・わからない。」
「わからないのかぁ。なんか、白鳥らしいっていえば、らしいけど。」
本当にわからなかった。飯島に聞いてみれば納得できる答えがもらえるかもしれないと期待していたが、かえって結弦の心は混乱をきたしてしまう。もう少し話をしたいと思った矢先、講義の始まりを告げるチャイムが鳴る。
「やべ! 俺、隣りの校舎でドイツ語なんだ!」
「ごめん、引き留めて。」
「大丈夫、また聞かしてよ! 俺もめっちゃ気になる!」
ドタバタと荷物をまとめて去っていく人のいい友人を見送る。混迷の度合いが深まり、結弦は涼介に会うのが少し不安になった。
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平和過ぎる、結弦と飯島。
雄叫びを上げたくなる年末の癒しです。。。
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朝霧とおる