明日は結弦と約束した水族館へ行く日。若干浮かれ気分でいるのは水族館が楽しみなわけではなく、もちろん結弦と出掛けられるからだ。
「涼介、今日もキスする?」
結弦のアパートまでの道、いつも通り大学での様子を話したりしていたはずだった。しかし唐突に投げかけられた言葉に涼介は固まる。いつの間に気に掛けるようになり、聞く決心をしたのかはわからないが、意識されていることがわかっただけでも、涼介の心にそれなりの衝撃をもたらした。
急激に早くなった鼓動を感じつつ、こっそり深呼吸をして努めて冷静なフリをする。
「結弦が嫌じゃないなら、したいな。」
「・・・イヤだったらしないの?」
「そうだね。」
涼介の言葉に首を傾げた結弦に、好きだからと伝えるべきか迷って、結局その言葉を呑み込んだ。怖い気持ちが勝ってしまったのだ。しかしその逃げ道を断つような結弦の言葉に涼介は胸が苦しくなる。
「でも・・・キスは好きな人とするものだよね?」
「・・・そう、だね。」
「涼介は、俺が好きなの?」
「結弦・・・。」
「好きじゃないのに、するのはおかしい。」
結弦が自分で考えて出した結論は正しい。納得するまで引き下がらない性格であることを知っているだけに、涼介は腹を括ることにした。しかし決心した矢先、またしても結弦の言葉で一旦口から出しかけた言葉を呑み込む。
「・・・って、飯島くんが言ってた。」
誰だよ、飯島くんって・・・。
心の中で盛大に悪態をついて、涼介は天を仰いでしゃがみ込みたくなった。
飯島くんとやらに、自分たちのことを話したんだろうか。確かに結弦なら話してしまいそうだが、彼に悪気はないだろう。口止めを完全に忘れていた自分が悪い。
「結弦、俺たちのことは内緒ね。」
「内緒?」
「うん、内緒。これからは誰にも言っちゃダメ。」
「・・・。」
すぐに返事を寄越さないことが気になり結弦の顔を覗き込むと、口を尖らせてむくれていた。納得していない顔だ。厄介なことになったと内心焦っていると、抗議するような目で見上げてくる。
「わかった、結弦の家着いたら説明するから。」
「泊まってく?」
「うん、そうしようかな。」
稀に見る威圧的な視線に屈し、うっかり泊まることを了承してしまう。結弦は嬉しそうに目を見開いたが、涼介は肩をがっくり落とす。明日せっかく二人で出掛けるというのに、これではぐっすり眠れない。後悔しても後の祭りだった。
* * *
無言でにじり寄ってくる結弦に、壁まで追い込まれる。そうさせたのは涼介だ。
泊まることに気を取られて、結弦の言ういつもの儀式、つまり玄関先でのキスをしなかった所為で、彼に変なスイッチを入れてしまった。
「ゆ、結弦ッ」
「自分でしてみたら、わかるかもしれないから。」
身長差がなければ、確実に唇を奪われていただろう。
もちろんキスしてくれるのは嬉しい。しかし気持ちがあるとは限らない彼から、そういう行為を受け取るのは違う気がした。
「結弦。結弦は俺のことが好き?」
「わからない。」
即答でわからない、では期待できない。
「キスだけじゃない・・・セックスしたいって思う?」
「!?」
もう完全に開き直っていた。とりあえず結弦にブレーキをかけられるなら、それでいい。結弦の見開かれた瞳に、彼の驚き具合がこちらまで伝わってきた。
「結弦、俺は結弦のことが好きだよ。そういう意味で好きなんだ。」
「でも・・・セックス、できる?」
気になるところはそこなのかと若干落胆したものの、男同士でもできるよ、と一応付け加える。
結弦の前進はひとまず止まったので、涼介は安堵して肩の力を抜く。そして心を掻き乱された仕返しに、結弦の唇を奪っていつもより長く吸い付いた。
相変わらず全く抵抗はしてこなかったが、肌が上気し、離した唇が湿って潤うさまには心臓を掴まれる。色事に無縁で興味もないだろう。しかし色っぽくこちらを誘ってくる厄介な存在だ。自覚がないのは本当にたちが悪い。
結弦は可愛い。無意識に人の庇護欲を煽る雰囲気を持っている。本人は全く気付いていなくても、彼を好意的に見る人間が少なからずいることを、一緒に過ごしてきた涼介はよく知っていた。
しかしだからといって、誰かに盗られる心配をしているかというと、そうではない。結弦自身が無関心だからだ。結弦の心を得るために最大の敵となるのは結弦本人と涼介のメンタル。結弦がほだされるのが先か、涼介の忍耐力が折れるのが先か。
「結弦、納得した?」
「うん。涼介は俺のことが好きなんだね。」
「そうだよ。」
結弦が何事もなかったように肩から斜め掛けにしていた鞄を床へ降ろし、キッチンのある方へ消えていく。そして冷蔵庫の開閉音がした後、カットキャベツの袋を持って現れた。この場で夕飯を終えていないのはカタツムリだけである。
「結弦・・・風呂、先いい?」
「うん。」
狼を招き入れたまま全く危機感のない結弦に溜息をついて、涼介はしずしずとバスルームへ向かう。今日は本当に疲れた。言うまでもなく疲れの大部分が心労で、この二十分ほどに積み重なったものだ。
明日はキラキラと目を輝かせて生き物を追い掛ける結弦とデートだ。少なくとも、今この瞬間よりは楽しいはず。そう自分に言い聞かせ、涼介はシャワーの湯滝に打たれて瞑想した。
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朝霧とおる