怒鳴られた日々を懐かしく思うのは、それだけ過ごしてきた日々が充実していたからだ。
最初は皿洗いや掃除に徹した。それすらもスタッフの動きを見ながらこなしていくことに難しさを感じたものだ。しかし、前菜の下ごしらえを任されるようになり、パスタやリゾット、メインと段階を経ることで、作る楽しさに魅せられていった。
何か一つに熱中することへの生き甲斐を見出せた気がして、事実日々は潤っていたし、毎日新しいことの連続で休む暇などなかった。
そしてその日々を振り返るたびに思う。挑戦したことも、悩ましい恋慕から一度離れたことも、決して無駄ではなかったのだと。
一所懸命になれる自分を知った。まだまだ半人前だけれども、自分の足で立って生きていく覚悟を持てた。それだけでこの怒涛の五年間に意義を見出せる。
高校を卒業したばかりの頃は、将来の事、優希の事など全てを抱え切れるほど大人ではなかった。その判断は正しく、狭量な自分を認めることで、全てを失うという惨事を避けられたのだ。
自分の歩んできた道に胸を張れる今、きっと優希の事を受け止められる。昔よりずっと広い心と多くの知恵で乗り越えられるだろう。
優希が卒業するまであと一年。その一年を有意義に使って、日本で暮らしていく基盤と、優希との未来を見られる準備をすればいいと思えた。
「何だか顔付きが逞しくなったな。」
《mare~マーレ~》のオーナーとの久々の対面は穏やかなものだった。五年の歳月はオーナーには更なる貫禄と、自分には自信を齎してくれた。
「あの店で五年もやってきたんだ。スタッフ一同、期待してる。時間を取るから、後で料理長と話してくれ。」
マーレではどんなに凄い腕を持っていようと、まず最初は皿洗いと全ての料理の下ごしらえからスタートする。スタッフの動線を知る事はチームとして作り上げていく上で基本中の基本なのだ。また一から積み重ねていく日々が始まる。
「よろしくお願いします。」
オーナーに頭を下げて身を引き締める。自分が手にしたい未来がカタチを成して目の前に現れ始めているのを感じた。
優希と堂々と向き合えるだけの覚悟を持てた自分に安堵する。そして同時に、無性に会いたくなった。会って彼の顔を見て、自分は開口一番、何を言いたくなるだろう。大切に想う気持ちも、恋い焦がれていることも何一つあの頃と変わっていない。どんなに変化を望んでも、昇華させたくても、決して思い出になどならなかった。
好きで、触れたくて、叶うならまたもう一度この腕の中であの笑顔を見たい。同じ気持ちでいてくれているだろうか。それだけが心配になる。もし他の誰かがすでに隣りにいたとしても、潔く身を引ける気がしない。お願いだから自分を忘れていてほしくない。自分の温もりを恋しがっていてほしい。
置いてきたくせに勝手な言い分なのはわかっている。けれど、それでも願わずにはいられなかった。
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朝霧とおる
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