リリは丁重に輿で担ぎ上げ、数十人の兵で囲いながら彼女の故郷まで長旅をする。フェイは薬師として同行し、万が一の事態になれば彼も剣を抜くことになる。
出立間際、キィが目を光らせて世羅が近寄るのを全力で阻止しようとしていた。その必死さについ笑ってしまったが、終始フェイは落ち着かない様子でキィを宥めていた。
甘い時間とは無縁だったが、なんだか自分たちらしくていい。今まで彼が帰って来なかったことはない。また春には前触れの文を寄越し、この王都へやってくるだろう。内心別れを惜しみつつその後ろ姿を見送った。
危険と隣り合わせの薬師。山賊に襲われたり、民から病を移されたり、あらゆる困難がすぐそばに潜んでいる。
そんな場所へフェイを放ってしまうことが心配でないと言ったら嘘になる。けれど彼が自らの仕事を誇りに思っていることを知っているからこそ、行かないでくれとは、どうしても言えなかった。
王宮ではリリ一行を見送った後、忙しなく臣下たちが動き回っていた。フェイの耳に入れないようにしていた羅切の処刑準備のためだ。
羅切の処刑をフェイの出立に合わせたのには理由がある。彼の目の前でそんなことをすれば悲しむからだ。再三情けを、と懇願されたが、天帝として、民を守るものとして、譲れないものがある。
毒殺未遂はあくまで羅切の単独行動だった。無関係だった羅切の母は早々に釈放されたが、その動向だけは追わせていた。息子が処刑されて黙って指を咥えているとも思えなかったからだ。
初めは見せしめのためにと臣下たちの多くが公開処刑を望んでいたが、そんなことをすれば、すぐにフェイの耳に届いてしまうだろう。それ以上に、世羅の戴冠で湧く民の心に暗い影を落としたくなかったということもある。民たちの伝え話す速さを舐めてかかってはいけない。
「羅切様のご様子は、相変わらず不遜な態度を改める気配もありません。全く反省の色もないようです。」
「そんなものを求めるだけ無駄であろう。」
「今宵、執行いたしますか?」
宰相のシュウに頷き返す。内密に行うため、世羅と軍師自らが処刑を執り行うことになっていた。羅切の母にも報せない。時期を濁すことで反乱分子の乱立を防ぎたい狙いもあった。
「承知致しました。」
ここ近年、王宮は穏やかな場所だった。しかしたったこの一年の間に、王族の一人は病死し、もう一人は半分血の分けた兄弟に断罪される。
王族はもう自分一人しかいない。しかし世羅はそのこと自体を憂いてはいなかった。
王族も一人の人間。そして世羅は子を成す気が全くなかった。
いつか終わりは来る。終焉を告げる天帝が自分であっただけで、民がこの地からいなくなるわけではない。民の命は脈々と受け継がれ、この地をさらに豊かにしていくのだろう。
自分が死ぬまでに、このシンビ国の民を苦しませない策を練る必要がある。それは常々、亡き兄とも語り合っていたことだった。
王族にあった全ての権限を優秀な民に返していく。長い道のりになるが、それが健全に果たされれば、民が飢えて苦しむことはないだろう。
どうかそれに耐えるだけの力を与えて欲しい。
世羅は長い旅路に出た愛しい存在に、心の中で語りかけた。
* * *
父の時代に兵士を率いて遠征を経験していた世羅は、人をこの手で殺めるのは初めてではなかった。平穏だったはずの心が一瞬にして凍りつく。人を手にかけるとはそういうことだと、世羅は思っている。
フェイを抱く手を汚すのは、心に決めていたこととはいえ、こたえる。けれどその胸の内を羅切に悟られることだけは避けたくて、無心に努めていた。
狂気に満ちた目に上から下まで舐めるように見られ、不快感が身体を這い上がってくる。フェイを失うかもしれないと思った恐怖は、一生忘れられないだろう。
「第三皇子、羅切様。百八代天帝の名において、反逆罪により、処刑を執行いたします。」
「民の前で首を飛ばせば良いものを。」
不敵に笑った羅切を一瞥して、狭い処刑台に羅切の首が据えられる。今から死ぬというのに、全く恐怖を感じさせない笑みが、逆に恐ろしかった。
昔は父のもとで一緒に遊んだこともある弟。しかし何かと比べられることも多く、羅切は少しずつ歪んでいった。
最初からこうなる事を誰も望んでなどいなかった。できることならこんな事をせずに済んでほしかった。
「羅切。どうしてこうなった。そんなに私が憎いか。」
「早く切れよ。話すことなんて何もない。」
理世と距離が近かった分、羅切とは遠かった。ずっと分かり合えぬままここまで来て、そしてついにこういう事になってしまった。
どんなに憎くても殺めることは許されない。世羅はそう思っている。羅切を疎ましく思うことがあっても、心底殺したくて刃を向けるわけではない。
鞘から剣を抜いて、処刑台に括り付けられた羅切の横に立つ。身動き一つ取れない彼は、自分の身を憂うでもなく、ただ淡々とその時を待っていた。ある意味その覚悟が世羅には恐ろしく見えて、静寂の中、息を殺す。
もし理世だったら、フェイだったら、何を思ってこの剣を振り下ろすだろう。
きっと何か自分に至らないことがあった。そう考えずにはいられなくて、構えた剣を冷たく感じる。
心がすり減って、いつしかなくなってしまったら、人をこの手で処すことを何とも思わなくなる日が来るのだろうか。
涙が出るわけではない。フェイを苦しめたことには変わりないし、それを許そうとも思わない。けれど羅切も同じ命を灯した人であるはずで、彼がいなくなれば、腹を痛めて産んだ彼の母は嘆くだろう。
人の死は悲しみを呼ぶ。闇を呼んで、新たな憎しみを生んでしまう。父はそれを教えてくれたはずだった。羅切がそのことを顧みず、こんなところまで行き着いてしまったことが悔しい。
「羅切。さらばだ。」
世羅が振り下ろした刃は、真っ直ぐ落ちて、羅切の道を閉ざした。
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朝霧とおる