慣れた日差しとはいえ、暑いものには変わりない。年度末、営業先への挨拶を終えて社へ戻る途中、屋台のココナッツジュースが目に飛び込んでくる。
「ちょっと飲んでいこうかなぁ・・・」
外へ持ち出していた手持ちの水筒はすでにこの暑さで空だった。砂糖たっぷりのお茶をどこかで調達するより、今はさっぱりとした水分が欲しい。
「みんなの分も買っていこっと。」
ラーマンやオットはココナッツジュースが好物だ。支店で働いている面々を思い浮かべて、理央は大きめの紙パック一つと自分用に小さめのものを一つ手に取る。自分用にはストローを付けてもらって、屋台の隣りで立ち飲みをした。
小野村がそばで見ていたら顔を顰めそうだ。彼は行儀が悪いのを嫌うから。
「ああ、生き返った・・・」
道に止めていた車に乗り込むと、信じられないくらい蒸した車内に目眩がする。
「やっと生き返ったばっかりだったのに・・・」
うんざりしながらエンジンをかけて、まず冷房のスイッチを入れる。炎天下に放置した車なんてこんなものだ。客先で話していたのは三十分ほどだが、非力な冷気ではあっという間に消え去ってしまう。
社に戻ったらシャワーを浴びようと決め、渋滞する市内へと車を向ける。
小野村がマレーシア支店に来て、五度目の春を迎えようとしていた。
* * *
なかなか栓の閉まらないシャワーに悪戦苦闘しながらデスクに戻ると、見透かしたようなタイミングで電話が鳴る。営業事務の田浦が出払っていたので、理央はスリーコール鳴る前に受話器を上げた。
「はい、常盤食品マレーシア支店営業、島津です。」
『お疲れさま。元気?』
名乗らなくてもわかる声の主に、後ろ暗いことが何もなくても冷や汗が出る。間違えようもなく、今年から役員に昇進するともっぱら噂の勝田だった。
「おかげさまで。勝田さんもお元気ですか?」
『元気、元気。小野村いる?』
揶揄われることなくすんなり本題に入ってくれたことにホッとしつつ、小野村が外出中であることに思い至る。
「今、出ちゃってまして・・・折り返します?」
『うん、お願い。そっかぁ。島津には複雑なお知らせかもしれないんだよねぇ。』
「・・・え?」
『じゃあね。』
「えッ、ちょっと!」
意味深な言葉だけ残して唐突に切れた電話に、成す術もなく呆然とする。
「複雑なお知らせ、ってなに・・・」
「どうしたの、理央?」
オットが書類から顔を上げて、パソコン越しに声をかけてくる。彼に苦笑いを返して、力なく首を横へ振った。
勝田のことだから、また自分を揶揄うための常套手段かもしれないが、小野村が来て五年という節目を迎える今、嫌な予感が頭をよぎる。
三月にやってくる恒例行事といえば人事。小野村が来て以降、マレーシア支店はそれらと無縁だったから、すっかり忘れていた。
「誰だろう・・・」
それだけに勝田の言葉が気にかかる。小野村か、あるいは自分か。いずれにせよ、嬉しくない報せだ。
いっそ、この電話をなかったことにしたいと思いつつ、小野村のパソコンに渋々メモを置きに行く。
シャワーを浴びてスッキリした矢先に降ってきた衝撃。書類の山を見て、理央はガックリと肩を落とす。
「さっきまで、やる気満々だったんだけどなぁ・・・」
腑抜けになっていると、廊下から足音が聞こえてきて、すぐに小野村と堂嶋が入ってくる。そして堂嶋が理央の顔を見るなり怪訝そうに眉を上げてニヤリと笑った。
「小野村ぁ、暑いから島津のこと殴ってもいい?」
「なんで!?」
理央が抗議の声を上げると堂嶋が何食わぬ顔で言い返してくる。
「スッキリして涼しくなるかもしんないだろ?」
「ならないですから!!」
「おまえ、シケた面してんじゃねぇよ。」
最後は小野村に聞こえないよう耳打ちされて、勘の良い上司に項垂れる。
「あれ、勝田さんから電話?」
「あ、はい・・・でも何の用事なのかは、わからなくて。」
「そう。」
小野村が職場で素っ気ないのはいつものことだが、縋るように小野村の姿を目で追いかける。しかし残念ながら彼の目が理央の方へ向けられることはなかった。
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約半年ぶりの二人なもので、
勝手がわからなくなって困っています(笑)
今回は全22話と短めでお送りいたします。
また約1か月、お付き合いのほど、よろしくお願いします。
朝霧とおる
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