理央のフライトが遅れていると田浦から聞かされて、こっそり肩を落とす。今夜は二人で過ごしたかったが、ラーマンが皆でご飯を食べに街へ繰り出そうと張り切っていたので、さらにガックリと肩を落とした。
「小野村、わかりやすく落ち込んでんな。」
「・・・。」
「理由つけて、早めに抜けろよ。」
「いや、さすがにそれは・・・。」
悟られるようなことは絶対にしたくない。二人の関係は歓迎されない。だからそういう我儘な気持ちは封印すると決めていたのに、悪魔の声ならぬ堂嶋の声に心が揺れる。それだけ心が理央不足な証拠だろう。
たかだか一週間。しかしなかなかに大変な一週間だった。
「そんなやつれた顔して仕事すんなよ。一日くらい示し合わせて有給取れば?」
そうしてしまいたいが、実際のところそうもいかない。常盤は半人前どころかスタートラインにも立っていないし、理央と真が同時に有給を取ることはあまり歓迎されない。日本サイドとスムーズにやりとりできるメンバーが二人同時にいなくなるのは会社としては痛手だ。
「まぁ、いずれ。」
コソコソと悪魔の囁きを残していく堂嶋をデスクから追い払って、書類に目を通し始める。堂嶋が動いている商品開発の資料だ。
フロアの中央にかけられている時計に目をやる。なかなか針は進んでくれず、さきほど見たときから長針は九十度も動いていない。早く会いたいと、そればかりが頭を占めだしたので、無理矢理その思考を頭から追い出していく。
肺の中のモヤモヤとした空気を吐き出して、冷房でほどよく冷えた酸素を吸い込む。そろそろ頭を仕事モードに切り替えないと、ご飯どころか居残りになりかねない。さすがにそれは避けたいという気持ちが勝って、ようやく真は仕事に熱を入れる気になった。
* * *
廊下で快活な足音がするたびに耳を澄ますこと数回。フロアの扉を開けて入ってきたのは色素の薄い茶色の柔らかい髪とグレーの瞳が美しい待ち望んだ恋人だった。
会いたい気持ちが募り過ぎて、部下として見なければならない気持ちと、恋人として見たい気持ちがせめぎ合う。どうにか部下の方を押し上げて、仕事向きの笑顔で恋人を迎えた。
「ただいま、戻りました。」
「おかえりなさい、島津くん。」
「おかえり。」
フロアのあちこちから声をかけられて、その度に笑顔を振りまく恋人を、真はデスクに着いたままジッと耐えて待った。
真が己にポーカーフェイスを念じ続けて、抱き締めに行きたい衝動を堪えているなんて、誰も想像していないだろう。
現地組にお菓子の箱を渡して出張帰りの儀式を一通り終えた理央は、彼らしい人懐っこい笑顔で真のデスクへ向かってきた。
「ただいま、真さん。」
「おかえり。」
胸がいっぱいになっているのが気恥ずかしくて、いつも以上に気合いの入ったポーカーフェイスで書類の束を理央の前に差し出す。
「順繰りに片付けて。」
「真さんの鬼。俺、帰ってきたばっかりなのに。」
「なんとでも言え。」
少しぶっきらぼうに言い過ぎただろうか。赤面しそうになるのを必死にこらえて、理央をデスクに下がらせる。
渋々と言った具合で席に戻り、理央が常盤の隣りに腰を下ろす。
「常盤さん、どう?」
理央の問いに常盤が答えていくのを聞いて、彼女の教育に関する引き継ぎをした上で、さらに内容を練り直さなければいけないと思い出す。
「理央、とりあえず今日はその続きをやらせてくれ。終業前に十分、十五分いいか?」
「わかりました。ありがとうございます。」
理央と常盤のやりとりを耳に入れていると、やはり若者同士組ませて仕事をやらせるほうが、何かと都合が良いなと感じる。理央は真より若い分、頭が柔軟だから、常盤の言動に対して細かいことで衝撃をおぼえないで済む。彼の場合元々の性格も手伝って、直球で伝えることにも真よりはためらいがなさそうだった。
たった一週間で新人にめげるなんて、自分も歳を取ったのかと敗北感で心が折れそうになる。キリッとした面持ちで常盤に指導し始めた理央の横顔を眺め、真は今日何度目かわからない溜息をついた。
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朝霧とおる