システム部の留松が目の前で唸っている。そりゃそうだ。彼は開発を何本も抱えていて、そこへさらに勝田から仕事が降ってこようとしているのだから。
「営業部、絶対このシステム欲しいって言うと思うんだよね。」
「・・・そうでしょうね。」
「ダメ?」
「・・・。」
「急いではいないけど、今年中に稼働できたら最高だよね。」
「本気で言ってます?」
「うん。物凄く本気。」
留松がうんざりする顔を幾度も拝んできたけれど、今回もなかなかに渋い顔だ。しかし抵抗しながらも結局この男は働いてくれることを勝田は経験則で知っている。
「君たちが全部を請け負う必要ないでしょ? むしろそれは営業のやつらにやらせればいいことだから。」
「ひんしゅく買いますよ。」
「じゃあ、そうならないようにすればいい?」
「え?」
「そうならないようにするから、やってくれる?」
渋かった留松の顔が急に綻ぶ。仕方ない人だなという小言でも聞こえてきそうな苦笑だった。
「・・・楽しそうですね。」
「楽しいよ。」
「やりましょう。勝田さんのそういう顔見るの、久々ですから。」
「そう?」
「はい。」
留松や彼の部下たちはどんなにタイトなスケジュールでも、本当に必要な仕事はやってくれる。そうやって柔軟に対応できる彼らだから、順当に実績として現れている。
「留松、コレどうぞ。」
用意していた企画書を留松に差し出す。営業部や企画部にリサーチをして、久々に勝田自身で書いた企画書だ。各部署に役員が何をやっているのだと不審がられながらまとめた。
「用意周到ですね。」
「そりゃあ、人にああだこうだ言うだけ言っておいて、根回しもないんじゃね。でしょ?」
留松が仕方なさそうに笑って企画書を奪っていく。
現行の運営やシステムに口を挟むのは若い頃はできない。できないというより相手にされない。だから歯痒い思いをたくさんしてきたし鬱憤もあった。
しかし人の上に立って、自身が現場から離れてしまうと、そんな風に抱いていた不満も薄れていってしまう。香月が思い出させてくれて良かった。もう少しだけ、ここでの仕事を楽しめそうだ。
同じ役員連中に白い目で見られること自体、別に痛くも痒くもない。ちゃんと実になればそれで良しとする連中だ。
今まで通り何も変わらない。好きなようにやる。できなくなったり、必要とされなくなれば今度こそ潔く去ることにしよう。
まだ、留松は渋い顔をしながら引き受けてくれるし、営業部の子守も現在進行形だから、当分この頭を必要としてくれる。
デスクに静かに鎮座していた電話が部屋中に鳴り響く。予定していた異業種役員による会合の時刻が決まったのだろう。
いつもは退屈で仕方のない集まりだが、少し前向きな気分で勝田は受話器を取った。
* * *
電車に乗っていた時から雲行きは怪しかったが、改札口を出る頃には本降りになっていた。見計らったようなタイミングでスマートフォンが震え、メールの着信を告げる。
私用のスマートフォンに連絡を寄越してくるのは香月くらいだ。案の定彼からのメールで、駅に迎えに行くと端的な文面だった。
走って帰ってもずぶ濡れになってしまうだろう。店の閉店時刻も過ぎていたから、お言葉に甘えることにした。
最寄り駅の改札口で雨宿りしている旨を送ると、すぐに返事がやってくる。すぐに行くから待っていてという言葉に、ちょっと嬉しくなって頬が緩んだのは内緒にしておこう。
誰かが自分を思って雨の中迎えに来てくれる日を、若い頃の自分は想像していなかった。一緒の布団から起きて、同じテーブルを囲んで温かい夕食を摂ることだって、夢のまた夢だった。
手を離さないでいてくれる。ずっとそばにいてくれると思えるから、恋人を待つ時間は全く苦痛ではない。
どんな顔をして現れるだろうかと想像するだけで楽しかった。疲れているだろうか。それとも自分と同じようにちょっと嬉しいことがあって、気分がふわふわと上向きだったりして。
雨の日は憂鬱な事が多い。しとしとと降る寂しい雨は、頭痛も呼ぶし、少し気分を後ろ向きにしてしまう。
けれど今年の梅雨は久々に意気込んで仕事ができそうなので、落ち込んでいる暇はないだろう。朝の予報になかった雨に憤りもなく、むしろ胸を躍らせて香月が現れるのを待つ。
転々と歩道を照らす街灯の下に、見慣れた顔を見つけて、微笑み合う。気付いたのは、ほぼ同時だったと思う。
何故か仕事着のエプロン姿を想像していたから、シャツにデニムパンツという出で立ちに目を瞬かせる。
仕事を終えて来たのだから当然なのだが、外で会う香月といえば店で会う彼だったから、どうしてもそのイメージが先行していた。
「凌さん、お待たせしました。」
「ううん、待ってないよ。ありがとう。」
彼が差し出してくれた傘に、ちょっとだけ寂しさがよぎる。香月の持つ傘で二人収まって帰ることがとても魅力的に思えた。しかし思うだけにとどめて、差し出された傘を開く。
この歳で相合傘に憧れるだなんて、笑われるかもしれない。魔が差したと思うことにしようと無理矢理湧き出た気持ちを封じ込める。
駅に続く通りから逸れて角を曲がったところで、香月が隣りに並ぶ。傘をさしているから、いつもより身体の距離がある。残念に思いながら香月の顔を見たら、ずっとこちらを見ていたらしい彼の視線とぶつかった。
「ねぇ、凌さん。そっちに行ってもいいですか?」
そう言って自分で持っていた傘を閉じて、すぐに勝田の傘の下に潜り込んでくる。
「人いないし、いいでしょ?」
「・・・うん。」
同じことを思っていたなら嬉しい。けれど胸の内を見透かされていたなら居た堪れない。何食わぬ顔をして香月を招き入れたけど、なかなかに聡いこの恋人には筒抜けかもしれなかった。
「今日の夕飯、豚バラブロックが安かったから、豚の角煮です。醤油と砂糖と生姜のシンプルなやつにしました。」
「美味しそう。」
「いっぱい食べてくださいね。」
「うん。」
夕飯への期待値が増してお腹が鳴る。聴こえてしまったかと香月の様子を窺えば、どうやらしっかり耳に届いていたらしく、笑いを堪えていた。
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番外編お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
本日午後6時に次回作の予告を致します。
またのぞきに来ていただけたら、嬉しいです!!
朝霧とおる
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