店内は清潔感に溢れていて、動き回るスタッフの所作にも無駄がない。プロフェッショナルとはこういうものだと感嘆し、和希の存在を少し遠く感じてしまって、醸し出される洗練された雰囲気に呑まれそうになる。
会いにいくとは言っていない。だから料理人として裏方に徹する和希がテーブルに顔を出すことはまずないだろう。
優希はこの春、無事に卒業を迎えた。医師国家試験の結果を受け、春から研修医としての生活がスタートする。社会人として六年先を行く和希の背中を遠く感じても、妙な焦りを抱いたりはしなかった。自分は自分。信じる道を歩んで、それだけの努力をしてきたと思っている。
卒業式を終えた足でそのまま和希の勤める《mare~マーレ~》にやってきた。人気店なので半年前から予約を入れていた。試験を受ける前だったので戦々恐々としていたが、合格の知らせを受けて以降は、和希に会いたい気持ち一色でこの日を迎えた。一人で食べに来るのは少々敷居が高かったが、誰にも邪魔されたくなかったので意を決して一人で乗り込んだ。
「このパスタ美味しいですね。クリームだからこってりしてるのかと思ってたんですけど、凄く食べやすいです。」
「ありがとうございます。春ならではの食材を楽しんでいただくために、ソースは素材を煮込んで作ったスープをベースにさっぱりと仕上げております。」
「こんなにゆっくり味わって食べるのも久しぶりで・・・」
優希のテーブルを担当してくれたホールスタッフの人が思いの外話しやすい人で、話に華を咲かせていたら、視界の中に飛び込んできた人物に驚愕する。来るなんて言っていないのに、何故わかったんだろう。
「いらっしゃいませ。」
ホールスタッフの人と目配せをして、厨房から出てきたと思われるその人物は立ち位置を入れ替えた。
「優希、久しぶり。」
料理を食べ終えたらスタッフの人に言付けでも頼んで、閉店まで時間を潰せばいいやと悠長に構えていた。掛ける言葉をたくさん考えていたのに、いざ会ってみたら感極まって何も言葉が出てこない。
「ごめん。驚かせた?」
何も言えないまま黙っている優希を少し困った顔で覗き込む和希の顔は、想像以上に大人びていて精悍な顔付きに変わっていた。
「食べに来てくれて、ありがとう。どう? お口に合った?」
「・・・うん。」
頷いて返事をするのがやっとだった。喋り始めたら泣いてしまいそうで、握ったままのフォークが微かに揺れた。
「今日の名簿にサワダユウキってあったから、もしかしたらそうなんじゃないかと思って。そうしたら、やっぱり優希だったから。」
自分と会えることを同じように願ってくれていただろうか。名前に気付いて期待してくれていたんだろうか。確かめたいことがたくさんあるのに、何も言えなかった。
「優希、もしかして、泣きそうなの?」
すぐ側に立って小声で聞いてきた和希の声は茶化すように笑っていた。けれど心底嬉しそうでもあって、逞しくなった彼の顔を見返す。
「時間大丈夫なら、九時までどこかで時間を潰しててくれる? 終わったら電話する。番号変わってない?」
なんとか頷いて見上げた目は、とても穏やかで優しい眼差しだった。見つめるとホッとして身体を熱くする大好きなその瞳。ちゃんと同じ気持ちでこの日を迎えてくれたんだと確信する。
「待ってる。」
「うん。じゃあ、後でな。」
和希が小さな紙をテーブルの端に置いていく。彼の姿が厨房に消えていったのを見届けてその紙を開くと見知らぬ携帯番号が書かれていた。一度解約してイタリアへ行ったのだろう。暗記していたほど頭に染み付いていた和希の番号。もうあの番号からの着信は二度とない。けれど新たなものに上書きされたそれは、もう寂しさを呼び寄せることはないだろう。
数字の並んだメモを眺めて彼が自分のもとへ帰ってきたことを実感する。少し癖のある字は別れたあの頃と変わっていなかった。
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朝霧とおる
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