異国の地に降り立って最初に思ったことは、今日から二ヶ月、紳助はそばにいないのだなということ。
彼も仕事中で返信がないことはわかっていたけれど、無事に着いたと送ったメールに返信がないかと、先程から何度もスマートフォンの画面を覗き見ている。
「ケイ。さっきから、溜息ばっかだね。」
「ッ・・・」
溜息をついていた自覚がなくて赤面する。助手席に座った岡前を恨みがましく見て、車窓に向かってもう一度溜息をついた。
今まではなんだかんだと日本での仕事が多く、海外に行ったとしても長くて一週間にも満たなかった。
岡前がアメリカでの仕事を携えて提示してきたのはつい二週間前。ファッションブランドの仕事を取ってきたついでとばかりに、せっかくだからとアメリカでの仕事をこれでもかと詰め込んできたのだ。
それに伴って、仕事風景やオフショットを載せたドキュメンタリータッチの写真集も組まれている。
仕事があることを本来なら喜ばなければいけない。この世界で暇であることは褒められたことではないから。
しかしだからと言って二ヶ月は長い。それでも強がって家を出てきた手前、プライドが邪魔して口が裂けても寂しいと泣きつくわけにもいかなかった。十三時間もの時差があるニューヨークと日本では、頻繁に連絡を取ることも物理的に無理だ。
紳助は入社して三年目。頑張りどきの彼の邪魔をしたくない。出立の前夜はそれこそ骨の髄まで貪られる勢いで愛されて出てきたけれど、飛行機から降り、異国の地を車で走り始めたら、無性に心細くなっている。
自分は紳助という恋人を得て、繊細になってしまったように思う。
些細なことが自分の感受性を高めてくれると同時に、奥深く枝分かれした神経にまで寂しさが響いてしまう。
紳助という人を知って、今は十分に幸せだ。しかしこんな繊細な自分には気付かされたくなかったという気持ちがないわけではない。
仕事は楽しい。余裕はまだないけれど、身体一つで表現できるものがあるという面白さに、自分は今、魅了されっぱなしだ。
ニューヨークは我こそはと思う者が集う街。それと同時に、世界という壁を知り、挑戦者に厳しい現実を知らしめる街でもある。
その街で自分を撮りたいと言ってくれるカメラマンがいる。偶然訪れていた日本で目にした恵一の姿に惚れ込んだらしい。
なんていう僥倖だろうと思う一方で、話を聞いて鳥肌が立った。
応えられるだろうかという不安。そして想像を超えてやるぞという奮い起つような感覚。感情的になったその日の晩は、神経が昂り過ぎて紳助を困らせた。しかしそれでも受け止めてくれる彼に偉大さを感じざるを得ない。
空港からニューヨーク市内まで連れてきてくれた運転手の彼と岡前が、先ほどから忙しなく話をしている。
初日の今日は挨拶回りがいくつか控えているらしく、指定時間も細かい。明日は休息を取って、明後日から本格始動。怒涛の撮影月間が待ち受けている。
自分はこの街に、人に、認めてもらえるだろうか。
助けてくれるスタッフ、広告を見てくれる人たちを納得させてこそ、来た意味を見出せる。
けれど一人ではない。不安に苛まれて、漠然とした未来を抱えていたかつての自分とは違う。支えてくれる人がいるから、自分の身体は自分だけのものではないし、たくさんの人からエネルギーを貰う。
「岡前さん。最初はどなたに会うんですか?」
「ダニエル。ケイをここへ連れて来てくれた人だよ。」
「そっか・・・わかった。」
「怖い?」
「そうでもないんです。わくわくする。」
「ケイ、今回の仕事も期待していい?」
「うん。」
岡前にしっかり頷いて、自分で自分にプレッシャーをかける。
ダニエルはモデルとしての自分に惚れてくれたカメラマン。それこそ世界を股にかけて仕事をする、この業界では誰もが一目置く人だ。
そんな人と仕事をさせてもらえる。自分を過小評価せずに堂々と闘って、共に最高の作品を作りたい。
見守っていて。
遠く離れた地で自分の成功を祈ってくれている恋人に、心の中で語りかける。
絶対に誇れる仕事をしてくる。
そう心に誓って、車内で気怠げに投げ出していた身体を正して、背筋を伸ばす。
胸を張って紳助に報告する自分を想像して、ようやく頭が戦闘態勢に入った。
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朝霧とおる