坂口に好かれているかどうかなんて、本当のところはよくわからない。川辺も言っていた通り面倒見のいい人だから、瀬戸が知らないだけで、誰とでも近い距離を取る人なのかもしれない。
差した傘を隠れ蓑に、時折盗み見る坂口の横顔に答えを探す。けれど経験が足りない自分には、彼の真意などわかるはずもなかった。
派手に光る大きな看板の前で坂口が足を止める。瀬戸も彼に倣って傘を畳んで店内に入り、先を行く坂口の後を追って目当ての商品棚を目指した。
「瀬戸、売り場の責任者に挨拶してくるから、ちょっとここで待ってて。」
「はい。」
坂口の背中が見えなくなるまで目で追い続ける。角を曲がってその姿が見えなくなると、ホッとしたような残念なような複雑な気分になった。
胸の中で燻っているこの気持ちの正体がわかったらいいのに。彼の背中につい手を伸ばしたくなる理由が知りたい。目が合うと鼓動が早く鳴って落ち着かなくなる訳を考える。今まで経験してきたどの感情にも当てはまらない。名前のない感情は瀬戸を不安にさせていく。
「瀬戸、写真もオッケーだって。」
坂口が去った後も呆然と見つめていた壁。しかし想像していなかった背後から坂口の声が湧いて出て驚く。
「あ、ごめん。そっちから来ると思った?」
肩を軽く叩かれて、坂口が隠そうともせずに笑う。軽い衝撃だったにも関わらず、触れられた場所がじわりと熱く感じた。
「限定の柔軟剤、瀬戸に任せることになるから、よく見ておいて。」
「はい。」
写真を撮るために携帯を取り出す。画面の隅には坂口の後姿も映り込んでいたけれど、構わずシャッターを切る。カシャッと意外に大きく響いた音で坂口が振り返り、彼は慌てて身を引いた。
「ごめん、邪魔だった?」
「いえ・・・大丈夫です。」
「そう?」
無言で坂口に頷き返しつつも、急に体温が上がっていくような感覚に戸惑う。耳や頬に確かな熱を感じ始めた後は妙な焦りをおぼえて、携帯を握り締める手に汗が滲み出てくる。
「瀬戸。写真、俺にも送って。」
「あ・・・はい。」
商品棚に向けられたままの視線。それだけが幸いだった。こんなに動揺している今、坂口と目が合ったら不審に思われるような行動を一つや二つはやってしまいそうだったから。
収めた写真をメールに添付しかけて瀬戸は手を止める。どちらかというと坂口の頭にピントの合った写真を見て、居た堪れない気分になったのだ。コソコソと加工アプリを立ち上げて、商品棚の部分だけを切り取る。そして加工した方の画像を坂口宛のメールに添付して送った。
「坂口さん、送りました。」
「お、サンキュ。」
心臓の音が煩い。ついでに頬も熱かった。それでも振り返って瀬戸を見てきた坂口から目が離せない。彼の微笑みが眩しい。
「瀬戸って、普段、柔軟剤とか使う?」
「・・・使いません。」
「そっか。俺も。」
「なんとなく、女の人が使うイメージだから・・・。」
「そうなんだよ。まさに今回はそこに切り込んでいきたい、っていう話でさ。数が読めないから最初は限定でいくけど、将来的には洗濯イコール女性っていうのをなくしたくて。今までこっちがターゲットにしてこなかった人たちの需要、発掘したいっていうか。」
「はい。」
自社の柔軟剤片手に盛り上がっている坂口を見て思う。彼は本当にこの仕事に生き甲斐を感じてやっているのだと。熱の入りようが違うから、いつの間にか発破をかけられて彼のペースに巻き込まれてしまう。畳み込むようなスケージュールに息は上がって大変だけど、振り返れば悪くない充実した時間だ。
「瀬戸」
「はい。」
「もっとそうやって笑えばいいのに。」
「え・・・?」
指摘されて初めて、瀬戸は自分が頬を緩めて笑っていたことに気付く。気恥ずかしくて俯いて笑みを封じると、坂口が遠慮がちに口を開く。
「あのさ、瀬戸。気になってること、聞いてもいい?」
「・・・はい。」
「昼に会った人・・・どういう関係?」
「・・・大学の先輩、です。」
咄嗟に上手く繕えなかった昼の自分を悔やむ。不審に思われても仕方のない態度を取った自覚は十分にあったから。
嘘をつけるほど構えていなかった。けれど自分の中にある歪んだ依存心を知られたくない。真実を話したところで軽蔑されることは目に見えているから、瀬戸は頭の中で忙しなく言い逃れる道を探す。
「重なってはいないんですけど、卒業生で。研究室によく遊びに来てたから仲良かったんです。」
追及される前に一息で言い切ったのは、これ以上、詮索の手を伸ばされたくなかったからだ。けれど仲が良かったと断言したのは失敗だったとすぐに後悔した。
「そっか・・・。」
溜息と共に漏れた坂口の相槌に、恐る恐る瀬戸は顔を上げる。坂口と目が合った瞬間、嘘だと見抜かれていることはすぐに悟った。
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朝霧とおる