紅茶にも色んな種類があり、それぞれ風味に違いがあるのは大変興味深い。接客なんてやったことがなかったけれど、初めてのオーダーを終える頃には、すっかりその魅力に憑りつかれていた。
もともと一度興味を持つとのめり込むたちだから、天野が語ってくれる茶葉の違いやなんかを熱心に聞き入る。他人からは呆れられることが多いが、大学には凝り性の人たちが多いし、結弦のそういうところを見慣れている涼介は温かく見守ってくれる。天野は結弦と同じ性質の匂いが漂っているから、高校時代から比べて驚くほど快適な大学生活だった。
茶葉ももとを質せば植物だ。発酵の話などを聞くと面白く、より植物として生きていることを感じさせてくれる。天野に紅茶の淹れ方を教わりながら、透明なポットの中で茶葉が巡るさまを食い入るように見つめていると、自分がとても素晴らしい瞬間に立ち会っている気がしてくる。
最初は涼介と一緒にご飯が食べたいという邪な理由で思いついたアルバイトの一件だったが、天野に出会えて良かったと心の底から涼介に感謝していた。
紅茶は物心つく頃から幾度となく好んで飲んできたけれど、こんなにもゆったりとした時間の流れの中で抽出することが美味しさを引き立たせるとは知らなった。一人暮らしを始めた折にスーパーマーケットでティーパックタイプのものを買ってしまったけれど、それを飲み終えたら、次からちゃんとポットで淹れてみようという気になった。
「結弦、楽しいだろ?」
「うん。」
涼介が初めて結弦の淹れた紅茶を口にする。一口含むと満足そうに頷いたので、胸が不思議と高鳴った。天野も微笑んで一つ頷く。
茶葉を見つめていることも、香り立つ空気に包まれることも素晴らしい時間だったが、自分の淹れたものを誰かが美味しそうに飲んでくれることも嬉しいことなんだと知る。
自分一人の世界に浸ることでも十分満足できると思っていたが、人と関わることで生まれる和やかな空気も心地良い。あまのがわ喫茶室という空間は新しい気持ちを一つひとつ結弦に教えてくれる。
「白鳥くんは、待つことが得意みたいだね。」
ジッとその場に張り付いて留まっていることを褒められたのは初めてかもしれない。いつもは夢中で観察に勤しむ自分を、邪険にしたり訝しんだりする視線がつきものだったからだ。
少し照れくさくなりながら口元を緩めると、涼介も嬉しそうに結弦の頭を軽く撫でてくれる。本来なら小さい子どもにするような仕草だが、昔から涼介にされることは嫌ではなかった。彼の整った顔が微笑みを生むのも、見ていて心が和む。彼が年上で、いつもあれこれと世話をやいてくれるから、慣れもあるかもしれない。
幼い頃からずっと一緒にいて、大切な人。胸の中にふとそんな言葉が宿る。結弦は特に疑問を抱くことなくその言葉を咀嚼し、涼介に微笑み返した。
* * *
ランチタイムに提供するカレーを食べてみたいと興味を示したら、天野は三人分のルーを残して夕飯にしてくれた。
涼介は自宅でするように手際良く天野の手伝いをし、そのそばで結弦はサラダにするトマトときゅうりを切り分けていく。ただ口を開けて待機するのではなく、自分に役割が与えられるのは必要とされているようで嬉しい。まだ多くのことはできないけれど、結弦は今日何度目かの心地良さを感じていた。
「いい匂い。」
カレーの匂いが店内に漂って、結弦にも食欲をもたらす。炊飯器が出来上がりの音楽を奏でると同時に、涼介が蓋を開けてフワフワの白米をひっくり返して、再び蓋を閉じて蒸らした。一瞬結弦の鼻に届いたお米の甘い香りは優しく、とても温かな気持ちにさせてくれる。
「いっぱい働いたから、しっかり食べるんだよ。」
天野が結弦にそう言って声をかけてきたが、結弦としてはちっとも仕事をしたという感覚はなかった。ここで過ごす時間は自分の好奇心をくすぐることばかり。楽しい時間はあっという間に過ぎ、もう少し熱中していてもいいくらいに思える。
「結弦、足は大丈夫?」
涼介の言葉に首を傾げかけたが、指摘されてようやく足が重くなっていることに気付く。
授業を終えてここへ直行し、そのまま数時間立ちっぱなしだったのだ。疲れて当然なのだが、夢中になっていたので涼介に言われるまで全く気付かなかった。
「大丈夫。」
「湯船で揉み解すといいよ。」
「うん。」
何かに気を取られたままバスルームへ入ることが多いから、のぼせないようにするために、あまり湯船とは仲が良くない。しかしひとたび意識すれば確かに足が張っていて重かったので、涼介の言う通りにしようと思った。
「さぁ、食べようか。」
各々が盛り付けを終え、天野の言葉で席につく。
一人で食べたらこんな風に温かい気持ちで手を合わせることはないだろう。三人三様のいただきますをして、スプーンを手に取る。口の中に招き入れたカレーと白米は甘さと辛さが絶秒に融合する優しく心に響く味だった。
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朝霧とおる