春、日本は桜が舞う頃だが、ここは常夏。ほぼ毎日暑いので、季節の移り変わりを愛でることは難しい。
小野村が支店長になり、ますます遠くなってしまった。フロアが変わるわけでも、呼び名が変わるわけでもないが、男として置いていかれている感覚を強烈に感じた人事だった。
ついでに本社の勝田は役員に昇進した。こちらに関しては、すでに雲の上だ。いっそ寂しさすら感じる。
マレーシア支店に新しい風がやってくるという話も同時にもたらされて、理央も目の前に彼女を見るまでは楽しみにしていた。
しかしフロアで一同が活気付いているのを横目に見ながら、勝田の予言通り理央は複雑な気持ちで目の前にいる新人を見つめた。
「真っ新な新人は初ですよね。」
同じ女の子が入ってくるというので田浦は嬉しそうだ。ラーマンやオットも若い女の子にわいている。
けれどこの事態を素直に喜べないのは、目の前の新人が小野村に好意的な視線を送ったからに他ならない。狭量と言われようとも、自分の恋人にそういう視線が向くのは耐えられない性分だから、この敵対心を抑えることは容易ではない。
「こいつが君の教育係だから、今日から早速下について。」
「島津理央です。」
「常盤直子です。よろしくお願いします。」
「よろしく。」
「珍しい。島津くん、緊張してる?」
田浦に揶揄われたが、曖昧に笑い返して、イライラしている時の癖でつい腕組みをしてしまう。その一連の動作に、彼女が若干怯えの色を見せたのも、理央には納得がいかなかった。口さえ開かなければ、冷たい印象を与えることは知っている。けれどそこまで怯えなくたって、と思う気持ちと、縋るように小野村を見た彼女の視線がどうしても気にくわない。
教育係になる心構えはできていた。そもそも三月の人事の時に話はあって、それに向けて準備もしてきたのだから。
自分にとってはかなり最悪な初対面。これから毎日顔を合わせるだけでなく、手取り足取り面倒を見るのだから、当分片時も離れない時間が続く。やっていけるか早くも不安がよぎる。
自分はもともとそんなに気が長い方ではない。彼女が小野村へあからさまな言動に出るようになることがあれば、それこそ潰しにでもかかってしまいそうだ。
「常盤さん。まずデスクで仕事の流れを説明するね。ここにいる人、みんなおおらかだから、焦らないで一つひとつ覚えていって。」
「はい。よろしくお願いします。」
常盤に声をかけると、緊張した面持ちだけが返ってくる。
「島津、おまえ女の子泣かすなよ。」
堂嶋が軽い口調で肩を叩いて揶揄ってくるが、常盤の顔が引き攣る。完全に怖い人だというレッテルを貼られた気がする。
「常盤ちゃん、大丈夫、大丈夫。こいつ優しいから。」
最初からそのフォローだけにしてほしかったと内心肩を落としつつ、常盤をデスクに案内する。席は理央の隣りだ。
かつては自分と小野村もこうやって肩を並べて座っていた時があった。今は職場で並びようがない。
寂しさと不安を抱えつつ、理央にとって新たな一年が始まった。
* * *
新入生歓迎会をやろうと盛り上がっていたのは、大人数で騒ぐのが好きなラーマンとオット。露骨に渋い顔をした常盤を見て、今どきの子だなと思いつつ、断わることをしなかっただけマシだと思うことにした。
「小野村さんも、いらっしゃるんですか?」
「・・・うん、来るんじゃないかな。」
小野村が欠席することはまずあり得なかったが、言葉を濁したのは理央なりの抵抗だ。つい棘のある言い方で目を合わせれば怯まれる。心の狭い自分を苦く思いながら、書類に目を落とすフリをして目をそらした。
「常盤さん、仕事の流れはどう? 掴めた?」
「なんとなく・・・。実際やってみたら、またわからないこと出てきそうです。」
「まぁ、そうだよね。じゃあさ、早速一つやってみようか。明日お客さんのところに行くんだけど、そこに持っていく書類の中でね、コレ。」
「見積書・・・ですか?」
「そう。実際持っていく物はもう完成してるから、同じものが作れるように練習しよう。」
「わかりました。」
仕事に対するモチベーションはそんなに悪くない、というのが彼女の第一印象だ。しかし人に言われたことしかやらない人間か、積極的に仕事を見つけ出すタイプかは、現時点ではわからない。そこの見極めをすることで、理央が次に取るアクションが決まってくる。
「この書類はお客さんが指定してきた条件。コレに沿って見積書を作っていく。値段のリストはこのサーバに入ってるから。」
「はい。」
「すでに取引のある物品に関してはここにデータが入ってるけど、基本的には自分で発掘してくることも多いんだ。だけど取り敢えずは既存の情報を正確に集める練習ね。」
「わかりました。」
「表計算ソフトは使えるって話だったけど、大丈夫そう?」
「この内容ならできます。」
すぐに頷き、不安そうな様子もないので、やらせてみることにする。
「締め切りは一時間後。間に合わなかったとしても気にしなくていいよ。出来るところまでやってくれる?」
「はい。」
時計に目をやって、まずまずの進行具合にひとまずホッとする。就業一時間前に彼女が作業を終えるから、そこから指導をして飲み会に向かえれば彼女にも理央自身にも負担がない。常盤が早速サーバで検索をかけ始めたのを横目に見ながら、理央は明日の準備に取り掛かることにした。
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朝霧とおる