突然のスコールは日常茶飯事で、そのことに逐一騒ぐのは新入りの常盤ぐらいだ。いつまでも更衣室から戻らない彼女に業を煮やしたのは真より田浦で、結局、常盤を連れ立つことなく戻った田浦は憤慨していた。
「髪のセットに時間がかかるそうですよ、小野村さん。」
「そうか。度胸だけは一人前だな。ありがとう、田浦。」
「どういたしまして。」
堂嶋が笑いながら天を仰いだが、真はこのくらいのことで動じるのはやめることにした。目くじらを立てたところで疲れるのはこちらなのが目に見えているからだ。
早く理央に帰ってきてほしい。彼はもう少し上手く常盤をさばけていたと思う。向き不向きの問題なのか、年と共に忍耐力が落ちてきたのかはわからないが、手をこまねいているのは事実。久々に愚痴を言いたい気分だし、毎夜電話口で色気の大サービス状態なので、精神的に底が見え始めている。
離れて寂しいなどと口にしながら、理央はなんだかんだ日本での出張を楽しんでいるようなのは、話を聞いていればわかった。勝田も余計な報告ばかりしてくれるので、恋人としては若干気に食わない面もある。
理央は目立つ容姿だし、同年代の中では海外組のエースだから、魅力的な存在として認識されるのは誰が見ても明らかだ。
興味のあることにしか食指の動かないやつだとわかっていても、恋人に粉をかけられるのは面白くない。
「常盤、シート埋まったか?」
「いえ、まだ・・・。」
「今から十五分、書いた分だけ持ってきて。」
「はい。」
さすがにマイペースな常盤でもピリピリとした空気を感じたのか、威勢のいい返事だけはする。バタバタと落ち着きなく席に着いて、ペンを手にしたところで、真は彼女から目を離した。
真は理央に断りを入れた後、社会人としてこちらが彼女に求めるものを視覚的にわかってもらうための書き込み式の書類を作って渡した。実践の中での学びを自分の言葉で書かせ、頭に叩き込んでもらうためだ。
自覚して自らの意思で行動を改めてもらわないと意味がない。強制するのはさほど難しくないが、いつまでも指示ありきで動かれたら、面倒を見る周りの人間の方に限界がくる。マレーシア支店は正直そこに人材を割けるほど暇ではない。
社内に電話が鳴り響いて、すぐに止む。田浦が応答する声が聞こえてきて、そちらに意識を向けた。
「小野村さん、一番に島津くんからです。」
「わかった。」
保留で点滅している一番のボタンを押して答えると、晴れやかな理央の声が迎えてくれた。
『真さん、お疲れ様です。』
「お疲れ。」
『今日、無事に引き継ぎ終わったので、明後日朝の便で帰ります。午後着き次第、会社戻りますね。』
「そうか、良かった・・・」
『なんか、実感こもってる。久々の新人は疲れました?』
「ちょっとな。でもまぁ、なんとか回してるから、気を付けて帰って来い。」
『はい。』
「レポートはいつまでだ?」
『来週末が本社サイドの締切です。』
「わかった。」
デスクに広げてあった手帳を手繰り寄せて、予定を書き込む。
本社サイドに提出するレポートは真が一度目を通す。さりげなく彼の日本語チェックもしておかなければなと思い至ったが、全くそこには疲れという感覚が湧いてこないことに気付く。
自分も人間だから、好きなやつには甘いらしい。しかし新人が入ってきた以上、そうも言っていられない。
「理央、帰ってきたら、おまえは日本語の特訓な。」
『え・・・?』
「現地組が日本土産を期待してるから、よろしく。」
『は、はい。え? 日本語の特訓って何ですか?』
「レポートくらい、そろそろ一発で書けよ。」
『あぁ・・・それで日本語。』
「英語の方は問題ないけどな。」
『わかりました・・・』
電話口で苦い顔をしているのが目に浮かぶ。
『でも・・・俺、日本語検定一級なんだけどな。』
「おまえの場合、問題はそこじゃない。」
話し言葉は流暢だし、基礎的な語彙力に問題があるとは全く思っていない。会社で使う資料やレポートに載せる言葉の選択があまりに独創的なのだ。
「じゃあな。」
『はい・・・。』
電話を切ってみると、自分の口角が上がっていることに気付く。うっかりプライベートモードになっていたかもしれない。
どうにも弱っていたところで理央の声が聴けて浮上したらしい。無理に無表情を取り繕ってみるものの、あまり上手くはいかなかった。
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朝霧とおる