あれから五年後。
久々に実家へと顔を見せに帰った歩は、一人自分の部屋を懐かしい気持ちで見回していた。
高校を卒業した後、親にはルームシェアをすると言って、片岡と同棲を始めた。一緒に過ごした丸四年は喧嘩もしたし、たわいもない事で揉めたりもした。
けれど一緒に暮らす部屋を飛び出した事は一度もない。怒って、泣いて、そして沢山笑い合った。
片岡と一緒にいて、自分がとてもヤキモチ焼きで融通の利かない性格だと知った。反対に片岡はいつも仕方ないと言いながら折れてくれる。歩の嫌がることは最初からしない。そういう意味で片岡はとても大人だ。
窓の向こう側に悟史の部屋がある。けれど悟史はもうここにはいない。日本にもいなかった。彼は大学を卒業した後、アメリカの大学で研究員として働いている。
時々今も近況報告のメールを送り合ったりはする。けれどそれだけだ。望まなければきっと会うこともないだろう。
悟史の隣りにはまだ誰もいない。本人に直接聞いたこともあるけれど、高校時代から変わらず、興味がないらしい。このままだと自分の研究に生涯捧げてしまいそうな勢いだ。
近くにいたようで、悟史はとても遠い人だった。その事を彼と距離を置いてから気付いたのだ。
見ている世界が違う。まだ誰も知らない未知の領域を探究することにその意識の全てを向けている悟史。今ならわかる。悟史にとって自分は景色の一部分でしかない。そんな彼に恋をした。とても無謀な恋だったのだ。
悟史に抱いていた恋心は封印する事にした。悟史の目にこの想いを映す必要はない。意地になっていると言われてもいい。その気持ちだけは譲れない。
この春から歩は建築事務所で働く。学生時代からアルバイトをしていたところでそのまま採用となったのだ。社会人としてはまだこれから。一年先を行く片岡は、医療機器メーカーの研究所で日々精を出している。
二人が一緒にいるために、同じ目線で世界を見ていることは大事な事だと知った。視点がズレていると大切にしたいものが噛み合わなくなる。そういう意味で、片岡と共にいることはとても心地良い。
机に座って窓の向こう側を見ても、もうかつて抱いた胸の苦しさや切なさは湧いてこない。ただ懐かしい日々がそこにあった。
届かなかった恋と二人で積み重ねた恋。どちらも自分にとっては大切なかけがえのない思い出だ。
机の一番下の引き出しを開ける。その奥に仕舞い込んだ掌サイズのスケッチブックを取り出した。
この中に高校三年間、自分が見て感じた世界の全てが詰まっている。走り描いた絵で、文字で、そして時には涙の跡で、あの時見ていたものがページを捲るたびに溢れ出してきた。
「下手だなぁ・・・」
窓の向こうで勉強をする悟史の姿。はじめの方のページはそんな彼ばかりが描かれていた。
幸せだと悲しい思い出は棘をなくしていく。時折泣く自分に片岡が言い聞かせた言葉だ。
悟史の姿を絵で見ても、かつてこれを描いた時のせつなさは込み上げてこない。一生懸命さが絵に滲み出ていて、ただ居た堪れない気分になるだけだ。
「賢介だ・・・」
ページが中盤に差し掛かると、片岡が現れた。この絵を描いた日の事を今でも鮮明に覚えている。初めて彼とキスをした日だ。
「なんか、俺って単純。」
唇の描き込みがやけに丁寧で、何を意識して描いたのかが今見ても明らかだった。
「ドキドキしたんだよな・・・」
スケッチブックの片岡に触れてみる。彼の柔らかく優しい唇は変わっていない。あれから数え切れないほどキスをした。
この日々が懐かしく思えるまで、長いようであっという間だった。どうしてあんなに悩んだのかと不思議に思うくらいだ。
今日はこの日記帳を取りに来たのだ。過去が優しい思い出になっている事を確かめるために。そして片岡に心の全てを明け渡す勇気を貰いに。
スケッチブックは片岡に渡す。渡されても迷惑かもしれない。けれどこれから先一緒にいるための決意表明だと言って押し付ければ、優しい彼のことだから、きっと受け取ってくれるだろう。
どのページを見ても、もう涙が込み上げてくることはなかった。大抵の事は時間が解決してくれるというのは本当なのだなと、しみじみ思う。
「なんかお嫁に行く気分・・・」
歩の卒業と就職を機に、片岡と学生時代を送った思い出のアパートを出る。二人の勤務地により近い場所へと移るのだ。慣れ親しんだ街を出て、社会の荒波に揉まれながら再出発をする。
つまらない喧嘩をするかもしれない。泣きたくなる時があるかもしれない。けれど喜びと幸せを二人で分け合いたいから、たぶんこの先も自分は片岡と過ごしていくのだろう。
スマートフォンを片手に、片岡の名を呼び出す。そして彼に電話を発信した。
『歩、着いた?』
「うん。」
『久々の実家はどう?』
「居心地良いような、悪いような・・・」
そんなものだよ、と電話越しに片岡の笑う声が聞こえる。
『探し物は見つかった?』
「うん、見つかったよ。今すぐ飛んで帰りたいくらい。」
『ゆっくりしてきなよ。親御さんとも久々なんだろ?』
「そうなんだけど・・・」
早く帰って、このスケッチブックを渡したいと思ってしまったが最後、気持ちは逸るばかりだ。
「やっぱり、遅くなってもいいから、そっちに帰ろうかな。」
『親御さん、悲しむんじゃないか?』
「・・・。」
『顔見せるだけでも親孝行っていうし。ね?』
「・・・うん。そうだね。」
肯定しながらも歩が納得していないのは筒抜けらしい。クスクスと電話口で笑われて何だか面白くない。
「・・・。」
『歩、拗ねないで。明日、一緒に美味しいものでも食べに行こう?』
「・・・うん。」
悔しいけれど、嬉しい。何を食べに行こうかと、早速考えてしまう。
「賢介」
『うん?』
「好き。」
『・・・知ってるよ。』
落ち着いた彼の声音が耳の中で心地良く響く。沢山の温もりをくれた彼に、もう一度心の中で好きだと呟いた。
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いつも閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また、ブログ村やユニオンへのポチやたくさんのアクセス、
重ねて御礼申し上げます。
やる気を沢山いただけるので大変嬉しいです!!
「隣り」はこれにて終了です。
そういえば、何話で完結するのか予告していなかったような・・・。
申し訳ありませんでした!
明日0時から久々の「マイ・パートナー」番外編を
全7話でお送りいたします。
あまりにも久々過ぎて、結局最初から最後まで読み直すという(笑)
結構忘れているものです。
自分の記憶力のなさに感動したくらいです。
日常的なお仕事風景やら、のんびり甘々な二人になっている、か・・・な?
心穏やかにお楽しみいただければ幸いです。
まだまだ花粉症の時期が続いておりますね。
患者様も通院されている方が多いです。
バタバタと忙しない管理人ではありますが、
頭がエロエロしくなるくらいには、十分元気にしております。
次回作の予告は番外編最終話を掲載した日にさせていただきますので、
またお付き合いいただけたら嬉しいです!!
本日からコメント欄開放させていただきます。
ようやくお返事できそうなくらいに生活が落ち着きましたので、
メッセージいただけると嬉しいです(^^)
誤字脱字などのご報告もありましたら是非!!
自分ではなかなか気付けないもので、ご指摘いただけると助かります!
それでは皆様、良い一日をお過ごし下さい。
管理人:朝霧とおる
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@AsagiriToru
朝霧とおる
2. はじめまして
賢介君と歩君の揺れる心が切なくて切なくて、
1年後には、両思いになって結ばれて嬉しかった。
毎日、とても楽しみに読ませて頂きました。
次の作品、期待しています。
>
毎日足を運んで下さったこと、大変恐縮です!!
子どもと大人の狭間で彷徨っている二人が、
葛藤しながら近付いていく様子が伝わっているといいなぁ、
という思いで書いておりました。
次回作もお付き合いいただけましたら幸いです。