スーツにネクタイ姿が初々しい。けれど入学式なんて、背伸びしているくらいが丁度良いのかもしれない。新鮮さで溢れる場所。そういう場がとても似合ってしまう恋人。
「変じゃない?」
「大丈夫。」
初めてのネクタイに鏡の前で格闘していた歩が、振り返って尋ねてくる。可愛いよ、という言葉は呑み込んで、綺麗な結び目を褒めたら誇らしそうな顔をした。
そわそわと落ち着きがない歩の手を取って、彼の唇を奪う。照れて俯いた顔が壮絶に可愛くて、こちらは悶絶する一歩手前だ。
自分以外の前でこんな顔しないでよ、と心の中で切実に訴える。目新しいものに飛びつこうと勇んでいる彼が危なっかしくて仕方がない。
悪い先輩に遊ばれやしないか、手を出されたりしないか、賢介の心配は大きくなる一方だ。歩が女の子に興味がないとわかっていても、本人の意図しないところで手玉に取られるかもしれない。良くも悪くも人を惹きつけるたちだからだ。
「気を付けて。」
「うん。いってきます。」
「何に気を付けるかわかってる?」
「うん。車でしょ?」
違うよ、と心の中で突っ込んだが、口では言わずに曖昧に頷く。
「お酒飲んじゃダメだよ。」
「飲まないよ?」
「だって今日、オリエンテーションの後、すぐに新歓あるんでしょ? 調子乗って勧めてくる先輩とか絶対いるから気を付けて。」
「大丈夫。ちゃんと断るよ。」
大丈夫ではなさそうだから釘を刺しているのだが、こちらの切実な願いはなかなか伝わってくれない。しかしあまりしつこく食い下がると怒るだろう。
「ッ・・・」
玄関先で抱き締めて、わざと歩の首元に唇で吸い付いた痕を残す。マーキングだと気付いていない歩は、ただ恥ずかしそうに頬を染めるだけだ。
やっぱり心配。隣りでずっと見張りたくなってしまう。
「もう行かなきゃ。」
「うん。いってらっしゃい。」
いつまでもじゃれ合って自分の恋人だと実感していたいけれど、ずっと繋ぎとめているわけにもいかない。名残惜しく、心配が膨らむ一方でも、握り合っていた手を離した。
手を振って送り出し、閉まった扉に溜息をつく。
歩が飛び込んでいく新しい世界の全てに嫉妬していたら身がもたない。気を紛らわせようと、仕方なく履修登録の下調べに没頭することにした。
✳︎✳︎✳︎
歩は入学式にオリエンテーション、新歓と立て続けにあるイベントに、今日は終日忙しい。帰ってくるのは夜遅いだろう。
歩は食べてきてしまうから、自分一人分の夕飯を買って、家路に着く。
新聞と広告の山だけだろうと思っていた郵便受に、歩宛の郵便物を見つける。差出人は英語でオオテラサトシと書いてある。先日、歩が彼に手紙を書いていたから、その返事かもしれない。
幸か不幸か、また封書。ハガキなら盗み見るというほどの罪悪感も湧かないけれど、さすがに封書を勝手に開けるほど無神経ではない。どんなやり取りをしているのか非常に気になるが、知る術もないので悶々とするしかなかった。
一人寂しくスーパーマーケットで買ってきたお弁当を開ける。
歩は宣言通り、料理を苦もなくやってくれていた。一緒に暮らしはじめてから温かい食卓を囲むことに慣れてしまって、一人で弁当をつつくのは二週間ぶり。人は誰かとともに過ごすぬくもりに慣れると、寂しさへの免疫が落ちるらしい。つい二週間前までは一人が当たり前だったのに、一人でいる今の状況を辛く感じる。
モソモソと遅い箸使いで食べ物を口へ運び咀嚼していると、外でドアの鍵を回す音がした。帰ってきたのかとドアを振り向けば、火照った顔をした歩が立っていて、上機嫌な面持ちをしている。
「ただいま。」
上気した顔、ヘラッと笑い緩んだ瞳ですぐにわかる。
「歩」
「うん?」
「飲んだでしょ?」
「・・・。」
慌てて口を抑えた歩だが、身体中にお酒の臭いをまとっている。自ら飲むとは考え難い。勧められて飲んだのだろう。
「何杯飲んだの?」
「断れなくて、ちょっとだけ・・・」
「具体的に、何をどれだけ飲んだの?」
出掛ける時飲まないと約束したのだから、反故にした自覚はあるのだろう。気まずそうに、縋るような目で見てくる。
「怒らないから、正直に教えて。」
落ち着いた声音で言えば、少しホッとしたように告げてくる。
「ビールと梅酒、二杯ずつ。」
ちょっとという量ではない。しかし申告通りなら、そのわりに足元はしっかりしているし、目も据わっていない。どうやら賢介の想像に反して、歩は意外とお酒に強いのかもしれない。潰れなかったことに安堵しつつも、やはり年長者として言うべきことは言わなければならない。
「未成年なんだから、ダメだろ?」
「うん。ごめん・・・。」
「倒れなかったから怒って済むけど・・・。」
「ごめんなさい・・・。」
美大は浪人生が多い。同学年でも二十歳を過ぎている人がたくさんいるから、紛れてしまうと大人の目が届かない。
早速洗礼を受けてきた歩に小言の一つも言いたくなるが、釘を刺すなら素面の時が良いだろうと思い直した。
「歩、手紙が届いてたよ。」
「手紙? あッ・・・」
テーブルの上に置いていた封書に歩が飛びつく。歩の嬉しそうな顔に、遠い地で暮らしている例の幼馴染への闘争心が湧いてしまう。
「とりあえず、お風呂入ってスッキリしてきたら?」
自分で手紙の話題を振ったくせに、どうにかその手紙から歩を引き剥がしたくて悪足掻きをする。
しかし歩は特に気に留めた様子はなく、呆気なく手紙をテーブルに置いてシャワールームへと向かう。
「なんか、ごめん。俺、結構臭い?」
「お酒とタバコの臭いだね。」
「入ってくるね。」
「うん。」
バタバタといつもより大きな音を立てて動くのは、やはりお酒が入っているからだろう。
帰ってきてから、まだ一度も水分を口にしていない歩のために、賢介は冷蔵庫から麦茶を取り出した。
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朝霧とおる