*BL小説* 全作品R18です。 閲覧は自己責任でお願いいたします。
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布団に包まれた勝田は、少し頬を染めて穏やかな寝息を立てていた。その色っぽさに惹き込まれる。好きだと改めて自覚するには十分な刺激だった。こっそり彼の唇を奪う。勝田が微動だにせず寝入っている事を少し残念に思った。
疲れていたんだろう。皐が朝食の支度を終えても勝田は起きてこなかった。子どもではないのだし、彼はここの鍵も持っている。食卓を整え、店に行くとの書き置きだけして、皐は家を出た。
今日は接客をしつつ、月曜日だけ行っているフラワーアレンジメント教室で使う花材の確認をしなければいけない。月曜の朝一で仕入れてくる花のリストアップと資材の仕分け、やる事は盛り沢山だ。
フラワーアレンジメント教室は花屋の二階で行う。生徒は各回十名前後。午前と午後の二部制だ。花屋の休業日を当てて開いているので、皐には実質休みはない。けれど他に何かしたい事があるわけでもない。花に触れていられるなら、むしろ本望だった。
花は嘘をつかない。美しく儚くも、咲く時はエネルギッシュな生き物だ。守ってやりたくて手を掛けて、そして彼らの強さに励まされる。
そしてふと気付く。勝田を好きになった理由を唐突に悟った。彼は花に似ている。守ってやりたいほど寂しげで儚いのに、それでも強烈に華やかな人。今まで出逢った人の中で、彼ほど花に似た人はいない。
好きになった訳を納得したら、急に気持ちが落ち着いた。そして極力自分の気持ちに貪欲でいようと思った。
自分がこの手を離したら、勝田が追いかけて来てくれることは決してないだろう。皐が追いかけ続けるから、勝田も寄り掛かる気になるのだ。
勝田は疲れている。恋にとても臆病になっている。だから皐から手を離してはいけない。自分が手を離した瞬間、この恋は終わってしまう。
大人になると厄介な事だらけだ。好きなだけなのに、シンプルに事は進まない。出逢いには別れがある。仲違いだったり、死別だったり別れの理由は様々だ。好きな人と一緒にいることは、喜びや楽しさだけではない。悲しみや苦しみを生むことを、皐も勝田も知っている。だから茨の道なのだ。
勝田と一緒にいたい。喜びも悲しみも分かち合いたい。一度や二度振られたくらいで諦めたくはない。ましてや勝田の本心からの拒絶ではないと確信している中で諦めるなんてことはしたくない。甘く、心地良い時間をたくさん重ねていけば、いつかは振り向いてくれるかもしれないのだ。
シャッターを開け、ショーケースの中に入った花の手入れを始める。昨日まで蕾だったコスモスの花が、開き始めている。夏の暑さはまだまだ続きそうだが、花たちは着実に季節の移ろいを奏で始めていた。
人の心も移ろうもの。勝田の凍った心もまた、いつか皐の温もりに絆されて溶けていくかもしれない。そう信じて、皐はコスモスの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
曖昧な返事に終始した自分をよそに、自宅の鍵を寄越してきた香月。家に帰って、暫く彼のくれた鍵を眺めていた。
とても誠実だ。好きだと言いながら無理強いをしない。あまりに心地良過ぎる距離感に、もう半ば陥落していた。
けれど彼と同じだけの熱量を返せるかと冷静に考えた時、自分の思考は止まってしまう。誰かに繋ぎ止めて欲しいと望みながら、返すだけのエネルギーはない。
「ダメだよな、それじゃあ・・・」
自分からキスを仕掛けておいて、またグルグルと悩み始めた自分が憎い。けれど自分が同じだけの想いを返せない現実を知った時、きっと彼に嫌な思いをさせる。そしていつか離れていく。
気持ちを返せないくせに、別れを告げられるのは怖い。臆病で厄介な自分。開き直れた気がしたからキスをしたというのに。
「なるようになるか・・・」
迷った挙句、自分の家の鍵を付けているキーケースに並べて取り付ける。キーケースを眼下で揺らして鳴った金属音に、少し嬉しくなった。なんだか自分が途轍もなく現金な生き物であるかのように感じる。
香月はこんな面倒な自分の何が気に入ったんだろう。キーケースの中にお行儀良く収まった鍵を見つめて、深く溜息をついた。
貰うと使いたくなるのが心情で、会社から帰路へ着くたび、鍵を取り出しては眺めることを繰り返していた。結局誘惑に負けた自分は、金曜日、自宅にしているマンションへは向かわず、地元へと向かう電車に揺られている。
今日はトラブル続きだった。自分が、というより部下の尻拭いだ。ただそれ自体は日常茶飯事だ。部下がのびのびと仕事ができるように策を万全に練っておくのが自分の仕事。それでも彼らがミスをすれば一緒に頭を下げに行く。けれど立て続けに起これば愚痴りたくもなる。そして思い浮かんだのが香月の顔だった。
会いたくなったら来てもいいなんて狡い手だなと思う。強制されているわけではないから、行くのは自分の意思。自分の好意を晒すようで居た堪れない。けれどこの距離感は自分にとって、とても心地良いものだった。
もう夜も更けている。降り立った駅は自分がいつも使う最寄り駅より灯りが少なく薄暗かった。自分が乗った電車は終電だ。こんな時間に訪ねるなんて非常識だと思いながらも、もう後戻りもできない状況で、気の進まない道を歩く。
香月の住むマンションの前で佇む。やっぱり来ない方が良かったかと駅へと再び足を向けようとした時だった。
「勝田さんッ!」
頭上から突然声が降ってきて見上げると、二階の通路から香月が身を乗り出してこちらを見ている。
見つかってしまえば観念するしかないだろう。そう思う反面、何だか嬉しかった。
自分は本当に厄介な人間だ。そう思いながらも、ポケットの中でキーケースを握り締めた。
彼が逝ってしまった後、抜け殻のようになっていたかというと、むしろ逆だった。
すぐに控えていた受験のために猛勉強し、夏に志望していた大学より難しい大学に合格した。彼が出来なかったことを代わりにやるんだと力み過ぎているくらいだったと思う。
大学に入ってからも、恋に対して消極的だったわけではない。ただ、同じ性癖の人を日常生活の中で見つけるのが困難で、お酒が飲めるようになってから、その手のバーに出入りするようになった。
厄介だったのはむしろ自分より相手の大人たちだった。純粋に恋がしたい自分と、身体だけを求めてくる彼ら。徐々に擦り減っていく神経とは裏腹に、心と身体のバランスの取れない関係が当たり前になっていった。
しかし疲れてその生活に終止符を打ったのが四十歳の時。それからは仕事だけに全神経を捧げた。
心が擦り減ったのは自分の責任だ。周りに流されて、確固たる恋愛観を持てなかったことにある。誰かの、ましてや蓮の所為ではない。彼がいない日々に寂しさは募ったけれど、こうなった責任を彼に押し付けるなんて、自分で自分が許せない。だから全て自分の責任なのだ。
手を離した先から、白いカーネーションがクルクルと水面を踊って流れていく。彼の顔を思い出して、また切なさが一つ降り積もった。
蓮は未来の自分が透けて見えていたんだろうか。恋を貫くこともできず、一夜限りの相手を探しては彷徨い疲れていった自分。こんな寂しがり屋の自分を置いて、彼は逝ってしまった。
彼とした約束はずっと胸にある。けれどどうしたら彼なしで笑顔でいられるのか、幸せになれるのか、今もずっとわからない。
過去に想いを馳せて黙って水面を見つめているだけの自分に、香月は何も言わない。結局思い出に一人浸るだけで、香月に伝えたいとは思わなかった。やっぱり、思い出話なんて柄じゃない。
蓮との思い出は、自分だけのものだ。彼は関係ない。立ち入ってなど欲しくない。
けれど一方で助けて出して欲しいと思うのは我儘だろうか。激情こそないものの、香月と共にいる心地良さは勝田を少しずつ侵食していた。とても穏やかで優しい侵食。
「香月くんはさ、俺とどうしたいの?」
「どうしたいって、そうだなぁ・・・一緒にご飯食べて、散歩して、手を繋いで、抱き合って・・・あなたに笑って欲しい。いつも・・・寂しそうだから。」
「俺、寂しそう?」
「はい」
こんな年下の青年に見透かされるなんて、まだまだ自分も修行が足りない。けれど胸にストンと落ちてきた言葉は心を温かくした。
これは身を削るような恋とは違う。何の疑いもなく全身全霊で恋をしていたあの頃とは違うのだ。味気ない日々に少し色を添えるような恋。しかしそれも心に潤いをくれるものには違いない。ずっと自分が欲しくて手に入れられなかったものだ。
蓮の代わりが欲しいわけではない。彼はずっと自分の心の中で生きているのだから。
人恋しく寂しいことを自覚させたのは香月だ。ならばその責任を取ってもらおうと思うのは傲慢だろうか。
「香月くん」
首を少し傾げて伺ってきた彼の顎を掬い取り、そっと唇を重ねる。驚いたまま硬直した彼の顔が可笑しくて、勝田は小さく声を上げて笑った。
他の花屋で調達した花束を手にぶら下げて現れた自分をどう思うだろう。つくづく自分は性格が悪いなと内心苦笑する。けれどそんな自分を見て、むしろホッとしたような顔をした香月。どれだけ惚れてるんだろうと、少し憐れにも思えた。
こんな厄介な自分など、よせばいいのに。もっと報われる恋をすればいいと思ったところで、考えるのを止めた。自分だって、届かない想いをずっと抱えてここまできた。だから人の事をとやかく言う資格などないだろう。
「ごめんね。浮気しちゃったんだ。でも、やっぱり君の作ってくれる方が好きでね。」
黙ってこちらの話をただ聞いている香月に苦笑して、手に持っていた花束を突き出した。
「これは君にあげる。」
香月は花束を受け取りながら苦笑する。気まぐれな自分に呆れただろうか。
今日は色とりどりのカーネーションが並んでいるのだな、と今までより幾分親しみを持って花々を眺める。花には詳しくないけれど、カーネーションくらいは知っている。目に付いた白の群れも、またカーネーションだった。
「今日はこれにして。」
「わかりました。」
彼が嬉しそうに微笑んだのは気のせいだろうか。すぐに屈んでこちらに背を向けてしまったのでわからなかった。気持ちには応えないくせに、彼から花に映える笑顔を消したくない、という自分の願望が見せた幻かもしれない。
「勝田さん。いただいたコレ、先に活けてきて良いですか?」
「うん、どうぞ。」
自分の勝手で無理矢理渡したようなものなのに、嫌な顔をせず、花束に巻かれたリボンやセロファンを取り払っていく。
「ねぇ、それも売っちゃえば。」
「嫌ですよ。折角、勝田さんから初めて貰ったものなのに。」
「・・・ごめん。」
何故だか謝らずにはいられなくて、つい口に出る。何に対しての謝罪なのか、自分でもよく分からなかった。
「花に罪はないですから。だから・・・有難く、いただきます。」
何処からか取り出した花瓶に、花を活けていく。自分が同じように花瓶へ活けても、こうもバランス良くはいかないだろうなと思った。
自分の手元に来たばかりに、行き場を失いかけていた花は、香月の手によって息を吹き返す。彼の手によって新たな生を与えられて、きっと彼らは幸せだろうなと羨ましくなった。
今ある幸せを大切にできない手と、新たな息吹を与える手。もしかしたら愛しい友が自分の元からすり抜けていってしまったのも、その所為かもしれない、なんて暗い考えが湧いて出てくる。
「勝田さん。白のカーネーションにはね、私の愛情はずっと生き続けてる、っていう意味があるんです。」
「・・・重いね。」
「でも・・・大切な人を忘れる必要なんてないですよ。大事な人を想う、そのままのあなたで良いと思います。」
「そう・・・。」
てっきりまた告白される流れかと思い身構えていたが、香月は白いカーネーションと向かい合ったきり、それ以上何も言葉を発しなかった。
魔法の手で花たちが彩られていく。美しく咲いているのはほんの一時でも、命の輝きは強く逞しい。やはり香月の手に掛かると、全てが鮮やかになっていく気がした。目を離せないでいると、香月がふとこちらに視線を寄越す。
「気に入っていただけましたか?」
「うん。やっぱり君のがいい。」
「ありがとうございます。」
あの土手に誘ったら、さすがに嫌な顔をされるだろうか。それでも声を掛けたい衝動を堪え切れなくて、口を開く。
「君も来てよ。」
「・・・いいんですか、俺が行っても。」
「もちろん。」
肯定の言葉に胸を撫で下ろす。人の顔色を伺って緊張するなんて、自分は滅多にない。珍しい現象に自分でも首を傾げたくなる。
この青年に、見放されたくないのだ。
唐突にそこへ考えが思い至って愕然とする。惹かれているんだろうか。それも自分が自覚する以上に。
打ち消そうと思っても微かに湧いてくる不安。もう、恋はしたくない。いずれなくなってしまうものなら、最初からない方がいい。確かに自分は過去からそう学んだはずなのに。
「勝田さん、今、お店閉めるんで、待っててもらえますか?」
「ああ、うん。」
手際良く片付け始める香月の背中を目で追う。しがみつきたい衝動と、一刻も早く逃げ去ってしまいたい衝動。ごちゃ混ぜになった心は厄介な事この上ない。勝田は心に湧いた不安を払拭できずに、柄にもなく俯いた。