名前も知らない彼は、月の始め、第一週の土曜日に必ずやってくる。買う花は決まっていないけれど、色は白を選ぶ。今日彼が手にした花は百合だった。
花屋の店主である香月皐(こうづきさつき)は、白に映えるリボンをいくつか手に取り、作業台へと並べた。
彼がこの店にやってくるようになったのは約一年前の開店当初から。年の頃合いは四十前後。肌の綺麗な男だな、というのが第一印象だった。目鼻立ちも整っていて、背筋が気持ち良く伸び、スーツを着たらさぞかし様になるであろう身体のライン。
「今日はいかがいたしますか?」
「いつもと同じで。」
最初に彼が要求してきたことは実にシンプルなもの。花が映えるようにしてやって、と不敵な笑みで言われた。
普段の自分なら、誰に贈るものなのかリサーチしていたところだが、彼には有無を言わせない何かがあった。
彼は、皐が花を結わえていく様子をただジッと眺めているだけ。花屋とは到底無縁そうなこの男の琴線に触れるものでもあったのか。気になって一瞬盗み見たせつない顔に、皐は心を掴まれた。今でも脳裏に焼き付いて離れないあの瞳には、一体何が映っていたのだろう。彼が花の向こうに見ているものを知りたいと思ってしまう。
今日もまた皐が結わえる花束に視線を送り続ける彼。その視線に気付かぬフリをしながら彼の元へと送り出す花々を結わえていく。リボンの端を切って整え、大振りな百合を傷めないようにそっと抱えて彼の方へと差し出した。
「いかがですか?」
「ありがとう。今日も綺麗だ。」
彼の懐へ花束を譲り渡す時、一瞬触れた手の冷たさにドキリとする。けれど彼の一挙手一投足に心を動かされているのは自分だけだ。
彼の瞳はもう百合の花しか映していない。それが寂しく思え、また魅惑的にも思えた。
目の前の百合を見ているようで、彼の瞳はずっと遠くを見つめている。そんな気がして、胸にチクリと痛みが刺さる。
この花は一体誰に贈るための花なのか。それだけがずっと気に掛かっていた。彼がやってくるのは第一週の土曜日。そして買う花は白。
最初は女性への贈り物だと思っていたが、繰り返されたこの一年、そうではないと確信する自分がいる。
この人を知りたい。
そう思い始めた自分の心に名前を付けるなら恋だ。久々に身体の奥底から湧き上がってきた欲求に、逆らいがたい何かを感じる。
財布を開けた彼に値段を告げる前に、いつものやり取りの中にはなかった言葉が出る。
「いつも・・・いらしてくださってますよね?」
「・・・そうだね。君が気に入ってて。」
思わぬ言葉を掛けられて目を丸くする。
「・・・ありがとう、ございます。私は・・・店主の香月と申します。」
「知ってる。」
「え・・・?」
我ながら間抜けな声で応えて、目を白黒させていると、自分の胸元に付いているネームプレートを彼が指差してくる。
「君、面白いね。自分で最初から公表してるじゃない。」
可笑しなものでも見るように彼がクスクスと笑ってくる。こんな風に笑われることを想定していなくて面食らう。初めて見る彼の人間臭さに自分の好奇心がさらにくすぐられた。
「俺はね、勝田。」
「勝田、さん・・・」
「ただのサラリーマンだよ。」
彼のさりげない自己紹介を呆然と聞いていると、笑いながら会計がいくらなのか尋ねてきた。慌てて値段を伝え、彼からお金を受け取る。
もっと彼の事を知りたいと思う一方で、理由も告げず、あまり長く引き留めるわけにもいかない。買ってもらった礼を言って、頭を下げた。
また彼が来るのは来月だろうか。そのサイクルが乱れた事は今まで一度もなかったから、きっとそういう事なんだろう。
百合の花束に赤のリボン。その華やかさに負けないほどの華がこの人にはある。
抱えられた花束と勝田のコントラストを目に焼き付けて、彼の後ろ姿を見送った。
名前を教えてもらっただけでも大収穫だ。兼ねてから気になっていたことがわかった瞬間に湧き出てきた興奮。別れて暫く経ってからもなかなか冷めずにいた。皐は居ても立ってもいられず、店内の花々を集めて、ブーケ作りに勤しんだ。
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朝霧とおる