市場から仕入れた花に新しい水を吸わせてやり、店の前に打ち水をしていく。五月の直射日光に熱せられたアスファルトが温度を下げて、風が皐の汗ばんだ肌を優しく撫でていった。
店を開けた後は、緑生い茂る季節らしい客入り。色とりどりの草花を求めて近所のご婦人方が店頭に並べてある花たちに見入り、思い思いの花を買っていく。
今日も平穏な一日だと店先で伸びをする。すると背後で上品な笑い声が聞こえてきて、振り返って自分より下に視線をやった。
「こんにちは、香月先生。」
「斎藤さん、こんにちは。今日は良いお天気ですね。どこかにお買い物ですか?」
皐のフラワーアレンジメント教室の生徒であり、勝田の亡き友人の母でもある斎藤夫人の手には、たくさんの買い物袋が下げられていた。
「そうなの。久々に遠出をして見ていたら欲しくなっちゃって、こんなに。」
袋を掲げて恥ずかしそうに笑う彼女は、相変わらず品が良い。皐もつられて微笑み返す。
「今日は何にしようかしら。あら、薔薇が綺麗ね。」
「手前に出てるものは今日入荷したばかりなんで新鮮ですよ。」
「つぼみが混ざってるものにしようかしら。」
「そうすると来週いっぱいまで楽しめると思いますよ。この辺りなんかはしっかり色づいているので、ちゃんと咲いてくれると思います。」
「先生、白と淡いピンク、五本ずつ。自宅用にお願いします。」
「ありがとうございます。お待ち下さいね。」
今日から一日でも長く楽しめるようにと、今朝咲いたばかりのものを中心に選び、綻びそうなつぼみを身にまとっているものも混ぜた。
贈り物用でなくとも、皐の店では見栄えが良くなるように簡素ながら丁寧にラッピングをする。たくさんのゴミを出さないように、しかし持ち帰った人が少しでも華やかな気分になってくれるように。
淡い色を染めたような薄紙で手早く包み、カラーゴムでまとめる。花を長持ちさせるための溶剤を薄紙に貼り付けて、まだ店頭で楽しげに花々の顔を見て楽しんでいる斎藤夫人に差し出した。
「まぁ、先生。このまま花瓶に挿したいくらい。やっぱり先生がまとめると違うのよね。」
「ありがとうございます。」
薔薇の花束と交換で彼女からぴったりのお代を受け取り、皐はもう一度礼を言う。斎藤夫人はたくさんあるショッピングバッグの一つにそっと薔薇の花束を収めると、ふと思い出したように話しかけてきた。
「そういえば香月先生、最近勝田くんには会ってるかしら?」
毎日会っているどころか一緒に寝食を共にしていますとは口が裂けても言えない。必要のない主張はかえって人間関係に支障をきたしてしまう。
「そうですね、お会いしてます。」
「そうなの。私もね、昨日、隣駅のスポーツクラブから出てくる勝田くんを見かけてね。反対側の道にいたものだから声はかけなかったのだけど、元気そうにしているみたいでホッとしたのよ。」
「スポーツクラブ・・・ですか?」
「ええ。ちゃんと運動してるだなんて、エライわ、って思っちゃって。私なんか、縁遠いもの。見ての通りです。」
斎藤夫人はふくよかな身体を誇るように、腰へ手を当てて笑った。皐もそんな斎藤夫人に笑い返しながらも、心では別のことに意識を攫われていた。
スポーツクラブだなんて初耳だ。しかも斎藤夫人は夜ほとんど出歩かない人なので、見かけたのは日中、あるいは夕方か。
フレックスを使って早帰りし、帰りがてら寄ってくるというコースが一番考えられる。皐は夜八時まで店にいるので、その間の勝田の行動は把握しようがない。
しかし皐に黙っている理由がわからない。特別やましいことなんてあるように思えないからだ。それとも好きなインストラクターでもできて、隠す意味がそれなりにあったりして。
斎藤夫人からの思わぬ土産物に頭をひねり、店の奥で一人唸っていたが、結局皐には答えが出せなかった。
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朝霧とおる