雪原の真ん中で、くるくると舞い踊るのは紫苑のよく知っている幼子だ。しかしその姿が急に違和感として紫苑を戸惑わせる。
凛はこんなに小さい姿をしていたっけ。自分はもっと大きな彼を知っている気がする。
楽しそうに跳ねる彼の後を必死に追ったが、追いつくどころかその姿は遠くなっていくばかりだ。
何かがおかしい。
けれど追い掛ける足を止めることはできなかった。立ち止まってしまったら、もう二度とその姿すら見ることが叶わなくなる気がしたからだ。
凛と会えなくなるなど、紫苑には耐えられないこと。
どうかこの腕の中に戻っておいでと、紫苑は駆けていく愛らしい幼子を無我夢中で追い掛ける。
周りの景色はどこまで行っても白銀の世界。その世界に果てはなかった。
* * *
誰かが自分を呼んでいる。
しかしその声は愛しい人のそれではなく、抑揚のない淡々とした声だった。そしていつもとは違う目覚めの感覚の正体を知る。
隣りが温かい。
紫苑は凛をこの大きな天蓋付きの寝台へ残したまま朝の公務へと向かうのに、今日という朝は温かいままなのだ。
重い瞼をゆっくり開いてみると、確かに感じたとおり、紫苑の美しく整った顔が目の前に鎮座している。
自分を呼んだのは誰だろうかと首を回してみると、紫苑の世話役をしている露博が寝台の横で跪き、凛の目覚めを待っていたかのように顔を上げた。
「凛様。」
「どうしましたか、露博(ろはく)。」
「お邪魔を致しまして、申し訳ございません。至急お耳に入れたきことが・・・。」
「はい。」
窓に取り付けられた垂れ布の隙間からは朝陽がうっすらと入り込んでいる。それならば何故紫苑は未だに眠ったままなのだろうと回らない頭で思っていたが、すぐにその答えを知ることとなった。
「紫苑様がお目覚めになりません。」
「え?」
深刻そうな面持ちで露博にそう告げられて、もしかしたら紫苑は寝坊したのではないかと思い、彼の大きく逞しい身体を揺り動かしてみる。
すぐに目覚めてくれるという凛の期待は裏切られ、紫苑の穏やかな顔は変わらないものの、全く目覚める気配はなかった。
「紫苑様・・・紫苑様!」
最初は優しく、次第に乱暴な手付きで紫苑の身体を揺さぶる。鼻をつねってみたり、身体をくすぐってみたりしたものの、紫苑は死んだように眠っていた。
凛は飛び起きて、この受け入れ難い現実が何なのか、必死に頭を整理した。そして一つの答えに行き着く。
「まさか、夢の使者が・・・」
前任の星の宮に聞き及んだことがある、夢の使者という存在。人の不安につけ込んで、深い眠りの世界へと誘い込む精霊だ。彼らは人の記憶を食う。魅惑的な夢を見せている間に大切な記憶を貪り、その人間を人の形をした抜け殻へと変えてしまう恐ろしい生き物だ。
「紫苑様・・・」
夢の使者は空気が凍てつく冬に現れると聞く。まさに今は絶好の気候であり、夜の長い冬は人の心に影が落ちやすい。紫苑は何か隙をつかれるような不安を心に抱えていたのだろうか。
とにもかくにも大変なことになったと、凛は紫苑の胸に覆い被さる。
「露博。紫苑様は夢の使者に捕まっておいでです。」
「夢の使者?」
「人の記憶を食べてしまう、恐ろしい精霊です。」
「なんと!」
目を見開いて驚く露博に、凛は震える声で懇願した。
「紫苑様を露天の湯浴み場へ運んでください。湯の花は私が用意いたします。あと、香を焚く準備も。」
「かしこまりました。」
慌てて部屋を出ていく露博を見送り、安らかな顔を晒したままの紫苑に視線を戻す。
夢の使者に捕まると、自力で戻ってくることは不可能だ。癒しの力をもって星の宮が迎えに行かねばならない。
しかしそれでも本人が甘い夢の世界から帰るのを拒めば、戻す術はない。奥深い闇に連れ込まれる前に一刻も早く連れ戻す必要がある。
「紫苑様。凛のもとへ戻っていらしてください・・・」
凛は紫苑に口付けを贈り、花湯を用意するべく紫苑から泣く泣く身体を離した。
いつもありがとうございます!!
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朝霧とおる
1. 無題
いちゃいちゃで過ぎていくのかと思ったら、紫苑が大変なことに・・・。
1日で2度美味しい日々です♪
10時は冬の精霊、
0時は百の夜から明けて。
寒くなってきました。
体調崩されませんように。
Re:無題
紫苑と凛は愛さえあれば、と気負わず書いているので、お話の空気も他に比べてまったりと時間が流れているように思います。
イベント合わせの作品なので不定期投稿にはなりますが、少しずつスパイスを入れながらお届けしていきたいです。
体調、お気遣いいただきまして、ありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです!!