人に明かすのがあんなに怖かったのに、話してしまえば肩の荷が下りた。自分を纏っている不快感が完全に消えたわけではなかったけれど、多田が側にいてくれれば、自分を切り刻みたくなる衝動は不思議と湧いてはこなかった。
約束してくれた通り、ただ抱き締めて受け止めてくれた。それにどれだけ心が救われたのか、きっと救い出してくれた多田にもわからないと思う。多田といれば、自分が汚れたものだと卑下しなくても許される気がして安心した。
解決するための一歩をどう踏み出せばいいのかわからなかった過去の自分。けれど多田が導いてくれる道はきっと間違った道ではないはずだと思えるくらいには、彼のことを信頼していた。
ただ本当にそれだけなのか。果たして信頼という言葉だけで自分の気持ちに説明がつくのかわからなかった。
多田は柚乃宮のことを好きだと言った。最初はその場の勢いと流れでそう表現したのだと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。そしてその事実を受け入れて納得している自分に後から戸惑った。
男同士で恋愛をするなんて考えたこともない。というより、自分がまともに恋愛のことを考えられる日が来るなんて思ってもいなかった。多田に言われて自分は間違えなく意識している。
「だって男同士って……。」
未知の世界に頭がついていかない。
頭を抱え込んでしまいそうになりかけて、ここがホテルの会場であったことを思い出す。
四月頭の全社大会、社員たちには決起会と呼ばれているものが催されている最中だった。いつも平日に投げ込まれる決起会は社員には評判が良い。骨休みになるからだ。今年は木曜日の開催だった。
前年度の売上高や営業利益の報告と、今年度の目標値が発表される。堅苦しいのは最初の一時間だけで、その後は立食パーティーだ。このホテルはブュッフェが美味しいと毎年社員たちに好評だった。しかし柚乃宮自身、あまり味の優劣に興味がなくて、お腹が満たされればそれでいい。
乾杯の後のフリータイム、柚乃宮は多田のところへ行こうとしてすぐにやめた。女性社員たちが交代で彼のもとを訪れては話し込んでいる。結局例年通りの多田には気の毒だが、わざわざ出向いて巻き込まれるつもりはない。
「柚乃宮くん、久しぶり」
「あぁ、木下さん。総務の仕事終わったの?」
木下は総務部に籍を置く、同期の女の子だった。入社当初から垢抜けた雰囲気で面倒見も良い。三年目の研修の時は、営業部のメンバーにも負けず劣らず堂々とした話しっぷりだったのを思い出す。無駄口を叩くタイプではないが、口も達者だった。同期で唯一の女性で、華というのに十分な人柄だと柚乃宮は思っている。
社内の催し物は総務が段取りを全て任されるから、彼らは自分たちのように寛いでいるわけにはいかない。木下は皿に盛り付けたパスタとグラタンをせっせと口に運んでいる。
「代わりばんこで休憩なの。撤収作業までだから、まだまだ先は長いよ。でもさ、もう五年目になるんだよねぇ、私たち。」
この四月で五年目に突入する。入社当時に描いていた予想図としては、社会人としても人としても成長しているはずだったのに、入った時からちっとも成長していない気がする。そんな話をしたら、木下がチャーミングな笑みを浮かべた。
「あぁ、それわかるなぁ。私もね、もうちょっとクールな社会人になってる予定だったんだけど、中身全然変わってない気がするもん。仕事には慣れたし、それなりに楽しみも見出せてるなって思えるけど。こう、なんか……中途半端なんだよね。まだまだって感じ。」
木下の訴えることはよくわかる。柚乃宮としても、まだまだ社会人としての未熟さだとか精神的な不安定さは、これから先向き合っていかなければならない課題だ。
仕事は一つ終えてもまた次が来る。ある意味終わりがないから、自分で目標を設定し続けてレベルアップしていかなければ、あっという間に行き先を見失ってしまう。
「柚乃宮くんに至っては、可愛さが相変わらずだよね。あ、褒めてるよ?」
「可愛いって……。」
「ほっとけないっていうか、つい横から手出したくなる感じ。人事のお姉さま方がよく柚乃宮くんの事話してる。」
そんなに頼りなく見えているのかと思うと情けない。しかも男に可愛いって……。
「ほら多田さんとかはさ、愛想もいいし話し掛けやすいんだけど。柚乃宮くん、人見知り激しいから、無愛想に見えるでしょ。柚乃宮くんの事、飼い慣らしてきてって頼まれてまして。」
「飼い慣らすって、俺、ペットじゃないんだけど……。」
もはや人間扱いですらないのかと思うと、言い返す気力もなくなる。
人間関係が希薄だと思っていたけれど、自分の事を気に掛けてくれる人は案外いるものらしい。
パーティーが始まってからというもの、声を掛けてくれる同期、労ってくれる各方面の上司たち。規模もそれなりにあるから、自分など埋もれて見えなくなっていると勝手に思い込んでいた。けれど仕事は一人では出来ない。助けられて、時には自分が手を貸して、持ちつ持たれつ日々を過ごしているのだ。
一人取り残された気になっていた今までの時間は何だったのだろう。勿体無いことをしていたのかもしれない。心の持ちようでいくらでも見える世界は変わるのに。
少し強引だけど、自分を見捨てないで暗闇から引っ張り出そうとしてくれる多田の好意を無駄にしてはいけないと思う。
「あ、もう交代の時間。今度、同期で飲もうよ。決まったらメールするから、良かったら来て。」
「うん。ありがとう。」
あまり参加していなかった同期会だけど、今年は時間の都合がつけば出ようと心に決めた。
お腹が膨れてきたので後はゆっくりビールでもと思い、ホールスタッフからビールを受け取る。今朝多田の部屋から出勤する際、ちゃんと食べてから飲むようにと口酸っぱく言われたのだ。たまのイベントくらい好きにさせてくれてもいいのにと思いつつ、結局は頷いた。多田は柚乃宮の身体の事を気遣ってくれているだけだ。一度疲労で眠りこけた前科があるだけに、柚乃宮としてもあまり大口は叩けない。
別に隣りでずっと見張っているわけではない。そして多田にだってそんな気はないだろう。けれど忠実に多田の言いつけたことを守ろうとしているのが何故なのか、自分でもわからなかった。
幻滅されたくない、嫌われたくないと心の奥底で叫んでいる。もうとっくに自分の心は多田に囚われているのかもしれない。それなら自分はどうすればいいのか。喉元まで出掛かっている答えが、まだ何かに引っ掛かって出てこなかった。
「柚乃宮、ビールなんか飲んで……ちゃんと食べたの?」
遠くの視界に捉えていたはずの多田が、いつの間にか背後から顔を出してきたので驚いて咽せた。
「っ……多田さんッ……」
子ども扱いされているような気がして、拗ねたように食べましたと告げれば、そんな柚乃宮を気にした素振りも見せずに満足そうな笑みが返ってくる。
「多田さん、もういいんですか?」
「俺は最初から用はないんだけどね。でも相手をしておけば、何かと融通の利くことも増えるから。」
人好きのする面をしておいて、考えていることは悪どいではないかと抗議すれば、そんなのお互い様だよと言われた。口の上手い多田のことだ。手の届かない処務を自分のいいように片付けさせるのは常套手段なのだろう。けれどそれでお互い気分良く仕事が出来ているなら文句も出ない。
多田は女性を恋愛対象に見たことはないんだろうか。ふと疑問に思った。きっと今までの自分なら聞かない。聞こうともしなかっただろう。しかし今は聞いてみたかった。他にも聞きたいことは山程ある。多田のことをもっと知りたかった。
「多田さん。今日帰ったら多田さんに聞きたい事があるんです。いいですか?」
「そう。今じゃダメなの?」
それはちょっと、と言葉を濁せばすぐに察したようだった。
「それは確かに。こんな公衆の面前でカミングアウトする気はさすがにないね。でも聞く気になってくれたのは嬉しいかな。」
「そうなんですか?」
「興味を持ってくれたってことは、可能性があるってことだろ?」
聞きようによっては十分際どい会話な気がして、赤面する。慌ててグラスの縁に口をつけてビールに全神経を向けようと努力した。
こんな事でドキドキ胸を鳴らしている自分は、もう落ちるところまで落ちているのかもしれない。
ビールのグラスを両手でしっかりホールドしたまま俯いていると、多田が微笑んで覗きこんできたのでさらに顔が熱くなった。
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