身体が鉛のように重い。多田の部屋にいるというのに気分も浮かない。久々の定時退社に気が緩んで、今までの疲れがいっきに畳みかけてきたような状態だ。多田に休日の予定を聞かれても上の空で、心配そうな顔をする多田の顔すら鬱陶しく思えた。
「健斗。ちょっとだけ、目瞑ってて。」
「・・・え?」
背後から迫り、目を瞑ってと言いながら、多田の大きな掌はすでに柚乃宮の視界を覆っていた。何事かと瞬くと、睫毛が多田の手に当たって抵抗を受ける。大人しく従って目を閉じると、多田の手がようやく去っていった。
「ッ・・・。」
前に回り込んでくる気配を感じた途端、唇に柔らかい感触を覚える。目を開かなくてもわかるそれは、多田の唇だ。口をこじ開けられて入ってきた物は舌ではなく固形物。鼻に届いた香りは確かにチョコレートなのに、口の中には濃く苦い味が広がった。
「な、に・・・?」
「健斗、甘い物食べないから。」
「これ、チョコレート・・・ですか?」
舌の上で転がす苦い固形物は体温で徐々に溶けていく。しかし体内に取り込まれていく香りは間違えなく憶えのある匂い。
「99%・・・?」
多田の手にあったチョコレートタブレットのパッケージには、大きく99%と表記されている。
「カカオの含有量。濃厚だよね。ポリフェノールたっぷりだし、健斗にぴったりだと思って。」
「ぴったり?」
多田が言葉を口にしながら、言うんじゃなかったと後悔で顔を曇らせる。一度口ごもったものの、結局彼は続きを口にした。
「健斗・・・最近イライラしてる。」
「そんなこと・・・」
そんな事はないと断言しかけて、先程から憂鬱な気を撒き散らしていた自分に思い至る。この一か月ほど、多田の誘いを無碍にしてきた。しかも休日は睡眠を貪ることが最優先で、出掛けもせず話相手すらしていなかった。
抱える仕事量が前よりも増した。適応しきれていない体力と精神力が、恋人と楽しく過ごすための気力を削いでいる。多田は何でも受け止めてくれるから、強く当たってしまうことも増えていたかもしれない。一種、恋人への甘えなのだが、多田には何の落ち度もないことだ。
「イライラ・・・してる、かも・・・。」
溜息と共に肩を落とす。気まずくて多田から目を逸らすと、抱き締められて、そのままソファへ着地した。
「健斗、何でも一人で抱え込むから。もっと我儘言って。」
「・・・。」
中途半端に耐えようとするから、綻んだ先から不機嫌さが漏れ出てしまう。多田はすぐに察知するから侮れない。しかし素直になれたらいいと思う一方で、重い口はなかなか開いてはくれなかった。
「教えて。健斗が大変だと思うこと全部。」
やはり多田は人生の先を行く先輩なんだなと苦い思いが湧いてくる。
昨夜だって、手を伸ばしてきた彼の手を拒んで背を向けて寝たのに。こっそり溜息くらいはこぼしたかもしれないけれど、今朝だって嫌な顔一つ見せず、先に起床して朝食を用意してくれていた。
有難いと思う気持ちを、どれだけ言葉と態度で伝えられているだろう。与えられることに申し訳なさが先に立っていた頃もあった。しかし慣れてしまった今となっては、甘えて胡坐をかいている。
「聡さん・・・。」
「うん?」
「ごめんなさい・・・。」
「・・・。」
謝り続けると気持ちが麻痺して自分が下手に回ることに何の疑問も抱かなくなるから、感謝と謝罪はせめて半分ずつにしろと、多田に言われたことがある。新人の頃、謝ってばかりいた柚乃宮を諭してくれた言葉だ。
「謝ってほしくないな。」
「ッ・・・。」
弾力のある唇が柚乃宮を咎めるように口付けてくる。
「相談できない、頼りにならないって言われてるみたいで、凄く腹が立つ。」
こちらの気配を窺うような抱擁ではなく、多田にしては珍しく強く乱暴な腕が柚乃宮をきつく抱き締めてきた。
「ん・・・聡さんッ」
「健斗、わかってる? もう一か月以上、ご無沙汰なんだけど。」
「ま、待って・・・」
「今日は健斗が泣いても止めないから。」
心配してくれてありがとう、と言えば良かったんだ。謝るべきじゃなかった。至らない自分を謝りたかっただけなのに、意図は外れ、かえって彼の神経を逆撫でしたらしい。押すべきスイッチを自分は間違えてしまったのだ。多田も人間だし、頭にくることはあるだろう。そんな当たり前なことに気付けていなかった。
貪り尽くしたいというストレートな欲求だけを、強く握り締めてくる多田の掌から感じ取る。多田の優しさに浸け込んで、日々の鬱憤を彼だけに浴びせていた罰だ。
恋人としての均衡を先に崩したのは自分。受け止めきる自信はなかったけれど、ソファから振り落とされまいと、多田の身体に力を込めてしがみついた。
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朝霧とおる