誰かと一緒に食事を楽しむということが、永井にとっては新鮮なことだった。たわいない話をして、相手が自分を見つめているのが不思議で。連日、息を吸うように宮小路が甘い言葉を吐くものだから、永井の感覚は次第に麻痺していった。褒められることは恥ずかしかったが、もうそれでもいいかと思うようになってしまったのだ。
「永井さん。土曜日のご予定を伺ってもよろしいですか?」
「土曜日、ですか?」
「はい。メゾン・マリィのオーナーに一度会っていただきたいのです。」
「そういう事ですか。勿論構いません。」
一瞬、デートのお誘いかと思ってしまった自分が居た堪れない。しかし続いた宮小路の言葉は永井の予想からさほど外れてはいなかった。
「生憎予定があって同席はできないのですが、用事が済み次第合流します。そのあと、一緒にお食事でもいかがですか?」
「……はい。」
『アクアリウム』の窓際、永井の特等席に宮小路が相席を始めて早いもので一週間が経とうとしている。慣れとは怖いもので、彼の前で落ち着いて仕事が捗るまでになっていた。案外、自分の神経は図太いのかもしれない。
「永井さんはクリームソースがお好きなんですね。」
「舌が子どもなんです。甘くて優しい味が好きで……」
「永井さんの優しいイメージにぴったりですよ。細いのに食べっぷりがいいので、あなたとお食事するのはとても楽しい。次何を召し上がっていただこうか考えているだけで時間があっという間に過ぎます。」
赤面したくなるような台詞もこの男から言われると満更でもない気分になるのだから、自分も大概だ。
「永井さん、お手を。」
「え?」
「渡したいものがあるので。」
「はい……?」
レモン水の入ったグラスを握ったばかりの手は、水滴で濡れていた。おしぼりで拭って手を差し出すと、宮小路が唇を寄せたので狼狽える。すぐそばに智子も立っているから気が気ではない。
「宮小路さんッ」
「大丈夫。永井さんは気にし過ぎです。そういう奥ゆかしいところも素敵ですけどね。」
少し入りの遅い昼だったので隣席に客はいないが、店内には点在している。宮小路はただでさえ目立つ容姿だ。存在そのものが人を惹きつけるから、彼の一挙手一投足は無視できない。掌にじわりと滲んだ汗は、どちらかというと冷や汗だった。
「あなたに受け取っていただきたいんです。」
「え……?」
握らされた物を見てギョッとする。
「ッ……宮小路さん……う、受け取れません。」
明らかに自宅の鍵と思われる電子錠を慌てて突き返す。宮小路の本気具合を見誤っていた自分の鈍さにも酷く狼狽した。
恋愛経験が少なくても、家の鍵を渡すというのは深い関係を求められているのだという事くらいは察しがいく。あるいは宮小路が特別変わっているかのどちらかだろう。
「永井さんを他の誰かに渡すなんて考えられません。どうしても受け取っていただけませんか?」
展開が突飛で早いと思ってしまうのは、経験不足によるものなのか。永井から見た宮小路は、いつでも余裕とおおらかさに満ちていて本音を推し量ることが難しい。
「あなたの事を独り占めしたいんです。私を安心させるためだと思って。ね?」
永井の鍵を寄越せと強請られているわけではない。甘い笑顔で押されれば、取り乱して否を突き付ける方がよほど無粋に思えてくる。宮小路の方が明らかにズレているという念が消せないものの、逆らって頑なになるのも疲れる。
「いただきます……」
「はい。」
嬉しそうに微笑まれて、悪い気はしない。しかし追い掛けてくる熱い視線に耐え兼ねて、永井は意味もなく鞄の中を漁り始めた。
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朝霧とおる